明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



〝鎌倉物”である『蘭渓道隆』『無学祖元』がラインナップに加わることにより、それまで制作するつもりだった『昇龍図』が外れた。2人の人物について調べたり考えていると、小学校低学年で伝記、偉人伝を読みまくった私の本分は人物である、と改めて。鎌倉物に欠かせない元寇、蒙古兵を作ることも出来た。禅師と絡ませられるモチーフはそうない。 坐禅姿の蘭渓道隆と無学祖元は、もう出来たも同然である。相当なご馳走ではあるので、すぐに齧り付かずとも。謎の笑いと共に、人知れず、絡み合うように存在する寒山と拾得が欲しい。 余命の設定は、仮定の割に長過ぎ?と思わなくもない。そこに至らなかったら格好悪いので年数は言わないでおく。

 



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工芸学校時代の友人が、父親の死の直前、感謝の意を伝えた話を聞いたことがある。普段はそんなタイプではない。二人だけの時に、そっと伝えたのだろう。もし父親がまだ意識がはっきりしていて、死ぬつもりがなければ、息子がこんな似合わないことを言うくらいなら、俺はもうダメだろう、と思うんじゃないか?とも思った。 ホームにいる母は転院する前から食欲がなくなり、ぼんやりするようになってしまったが、今何を作ってるの?という話から、近作の話から、どさくさに紛れて感謝を伝えた。母は「感謝してるんだ?」と笑った。そもそも母のためにいった訳でもないし、二度というつもりもない。元気な時にいうのはバツが悪いし、私こそ言いそうにないセリフに、場合によっては泣かれる可能性もあったろう。幸い、もう死ぬんだ?という状態でもない。親不孝息子が感謝を口にするには良いタイミングであったろう。



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寒山拾得を手掛けて以来、つくづく、幼い頃に知ってしまった、好きなことに熱中すると溢れ出す快感物質が、私の人生の方向を決めてしまった、と振り返ることになった。共通点は何も無いような、大谷翔平を連日眺めながら、明らかに幼い頃からアレに取り憑かれている、と見える。今までやった悪いことは?に考え込んで「脂っこい物と甘い物を食べた事」とは、まさにユニコーンである。 私もこうしてはいられない。と余命を想定して、さらにアレを湧き出させ、味わい尽くそう、と決めた。 外の世界に撮るべき被写体はなく、この部屋の中、私の頭の中にしかないので、六年ぶりの深川の本祭りにも出掛けることもなく。 作業台の上に立つ、剣を構える蒙古兵を見上げながら、140キロのバーベル担いでスクワットすることもなく、高所から滑落したり、水圧でペシャンコに押し潰れることもなく、ライバルを病院送りにすることもない。余程のことがなければ引退する必要もなく、今が人生上の最突端だと思えるのはラッキーなことであるな、と。冷凍庫で冷やしたキンミヤで喉を潤すのであった。



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一日  


蒙古兵は甲冑や兜、武器などのために、いつもの乾燥、仕上げとは行かず、何度か乾燥させながら製作することになる。本日もおおよそ出来たところで乾燥させ、甲冑のペーパーがけに取り掛かった。脇役ではあるが、余計なことまでしておくと、主役が引き立つことになるので、やることになる。全く面倒である。1カットしか考えていないので、いつもなら写るところしか作らないが、展示前提なので全体を作っているから時間がかかる。と深川八幡祭りの最中、愚痴っているようで、思ったより蒙古兵が気に入って、実際は喜んでいる。ここまで来ると作業の領域なので、飲みながら気楽にやっている。 たまに土砂降りだったが、深川祭りは水掛祭りなので関係ないだろう。おそらくモニター相手の作業は相変わらずだと思うが、人物制作に関しては、眠くなるとすぐ寝てしまうようになった。それが身のためだろう。



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格闘王こと、前田日明が動画で、大谷翔平が160キロのウエイト担いでスクワットをしていて、数えたら100回くらいやってた、と驚いていた。自身はそんなことしたことないという。そんなことをしていながら走塁を見る限りスピードは衰えていない大リーグでは偉業だ、と騒いでいるが、まだまだ先があるだろう。 深川八幡祭りの大祭は6年ぶりだそうである.八幡様の近くに30年以上住んだので、某事件の時も極近くで飲んでいてサイレンを聴いた。お誘いもあり、馴染み連中と飲酒に耽るところだが、私のイメージは我が家の私の頭の中にあり、蒙古兵も今日はペーパーがけに入り創作の快感に耽りたい。 私の場合は何故かストイックに見えないようだが、猪木やカール・ゴッチの愛弟子である前田が出来ないという、140キロ担いでのスクワットも、脳内に何か妙な物質が溢れ出ないで出来る訳かない。と私は思うのだが。



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行き当たりばったりも良いが、余命を想定した今〝何を作らないか”も大事になってくる。『昇龍図』を思い付いた時、小学生の頃八岐の大蛇やキングギドラを作ったことが思い出され抵抗があった。作るなら今年、と思ったが、私の本分は人物制作だし、何より肝心な、私ならでは、という部分が弱く断念した。昨年『タウン誌深川』の連載で書いた。 〝あの頃の私にお前がこの間読んで感心していた一休和尚やガマガエルを頭に乗せた蝦蟇仙人、虎に乗った豊干禅師、鯉に乗った琴高仙人、布袋様も作ったぞ。」と教えたら「えっこのままオジサンになるまで好きなことをやってていいの?」と目を輝かすだろうか。いやそれでは教育上よろしくない。人生はチョロい物だと勘違いしかねない。その後の私の紆余曲折、艱難辛苦のイバラの道を記録した映像でもあれば見せたいが何か作ってるか寝てるか酒飲んでるかで、肝心なことは何もやらない人生じゃないか!」と号泣させてしまうかもしれない。「いや待て、涙を拭け!これはダイジェストだ、肝心なことは編集でカットされてる。」”



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蒙古兵は兜や甲冑の部分や、剣を持つ手があるので、一度ある程度乾燥させ、細部を作ることにした。剣と鞘はあるので、後は弓と矢か、盾を持たせるか。仰々しい方が、飄々とした無学祖元とのコントラストが出て良い。 子供の頃、例えば少年少女世界の名作文学的なシリーズで『古事記』とか『ギリシャ神話』とか夢中になって読んだ。活字が小さく、挿絵が子供向けでなく本物が使われているのが良かった。学芸会では紙芝居や人形劇をやった。休み時間に堂々と八岐のオロチを作っていても叱られない。 ジャズ、ブルースから実在した作家『三島由紀夫オマージュ椿説男の死』でやり尽くし感を味わった後、『寒山拾得』。そこで仙人や、小四で読んだ『一休禅師』作りながら、どうしても〝あの頃”のことを振り返り、結果、私とは何者か?ということに至る。実に上手くできている。そして本日は『お坊様と蒙古兵』という訳である。



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ここ数年、禅画、道釈画など歴史的絵画を目にする機会が多いが、オリジナルだと思うと大抵先達がいる。今ならパクリと言われそうだが、当時は写すというのが主要な修行法だったためだろう。昔から独学我流だからこそ、一度入った物は出て行かない。と、学ぶことの影響、危険性を恐れて来た。 博物館に行くと、師匠から弟子、親から子へ、学び伝えたものに経験を上乗せて行けば時代と共に良くなるはずが、必ずしもそうはならず、むしろ逆だったりする。なぜそうなのか?大谷翔平はいった「憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう」大谷は解っている。学びながら冷徹に捨てることも出来る。こんな人間が一歩進んで二歩下がらず、記録を塗り替え続けるのだろう。

 



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独学我流者は、むしろだからこそ、自分でやってみて学んだこと以外知る必要はないと考えて来た。教わったことというと、入学試験もないに等しい工芸学校のリンゴを作る授業で、いきなり粘土をリンゴ大に丸めるな、芯をイメージして作れ。あれが最大にして唯一のことだったかもしれない。当時若くて、私のようなド素人の劣等生とは目も合わせてくれなかった先生は、後に女子美の学長になった。もっともリンゴを前に、いきなり粘土を丸めている若者がいれば、その先生でなくても注意ぐらいするだろう。 その後、人間も草木同様自然物、肝心なことはあらかじめ備わっている。目を瞑って見える物を対象にすべきだ、とそこまで自分を信じたのは、オメデタイかオッチョコチョイが過ぎたか、そのどちらかであろう。40年の挙句に禅的なモチーフに至ったのは、話としては実に良く出来ている。



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無学祖元は、頂相彫刻の傑作とされる木像がある。それを参考に作ったのだから、写真作品として作るべきイメージがないなら、手を出さない。蒙古兵との一作に、もう一作作るとしたら、円覚寺、仏殿開堂落慶の折、開山無学祖元師の法話を聞こうと白鹿が集まったという逸話から山号を『瑞鹿山』という。白鹿に囲まれた無学祖元だろう。これも私は見たことはない。 蘭渓道隆に関しては、像が何体か残されているが、それぞれ顔が違う。参考にしたのは国宝の肖像画で、その迫真性から宗時代の中国で描かれ、本人が来日時に持参したと言われていることと、様々な資料から蘭渓道隆の実像をもっとも伝えている、と判断した。それを立体化したことで充分であり、一作は蘭渓道隆が自ら植えたと伝わる建長寺のビャクシンの木を背景に。もう一作は、斜め45度の肖像画を立体化したからこそ、真正面を無背景で撮影したい。誰も見たことがない。 全体のバランスを考えると、そもそもの事の発端?である『寒山拾得』にかかりたい。ここ3年の、行き当たりばったり具合を、客観的に眺めながら手掛けたい。

 



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無学祖元の前で仁王立ちする蒙古兵。剣を持たせるのは最後にして、仕上げを残し完成。一度乾燥させてから細部の仕上げに入る。 子供の頃、頭に浮かんだイメージは、友達にでも話したならともかく、一人の時に浮かんだものはどこへ消えて行ってしまうのだろう。確かに在るのに。平然とした無学祖元に剣を向ける蒙古兵。参考にした円覚寺の祖元の木像は、口角が上がり一見微笑んでいるかのような表情が、この場面では効果的である。頭の中に浮かんだそのままの物が作業台の上にあり〝やっぱり在った”な、と確認。他人にもこんな物が頭に在ったと示せるが、そこに興味がない人間もいる。 昔、マックスヘッドルームが流行っていた頃知り合った男が、友人のあるグループがコンピューター上に神を作ろうとして自殺者まで出た、といった。内緒だというから黙っていたが、数十年後、その話をすると「何の話だ?」駄ボラ吹くのは良いが、せめて吹いたホラは覚えておけという話である。内緒にしていた私が恥ずかしいわ。



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毎日、まずは大谷翔平を観てから始まる。出掛けるとしても近所のアリオに食事や買い物に行くか、夕方近所の、テーブルに味の素が置いてある定食屋か蕎麦屋で一杯やりに行く程度で、出来るだけ外に出ない。材料はもっぱらアマゾンである。家で作っているのが一番良いので助かるが、作らないと写真が撮れないのだから仕方がない。 無学祖元来日前の、蒙古兵との名場面と思われるが、七百年の間、誰も手掛けていないというのは(私が知らないだけかもしれない)名場面と思う人間が他にいなかった、ということか?良くあることではあるけれど。それなりのエピソードは、たいてい絵画化されているものである。あるいは特定の寺の開山ということもあるのかもしれない。



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蒙古兵は右手に金属製の剣を持たせるので、制作中にバランスを崩すと困るので、足元を一日乾燥させ、安定ささてから作り始めた。私の作品は、牧神に見立て、ひずめの下半身にしたニジンスキーだろうと自立するのは、不安定なまま作るので、完成に至れば自動的に自立する。不安定なまま作る、などというのは、独学我流ならではであろう。彫刻などどうやって作るのか知らなかった。もっとも、あの佐藤忠良が制作中の粘土がバランス崩して崩れ落ちたのをテレビで見て驚いたことがあったが。 昔、まだ写真を初めていない頃、スタジオでカメラマンに人形を撮影されるたび、すべて自立するので驚かれたのを思い出す。独身者同様、独学我流者の部屋もノックしないで開けてはならないだろう。何をしでかしているか判りゃしない。糞尿運搬人やドラゴンに噛み砕かれる三島由紀夫や、蒙古兵を作っていたりする。



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一日  


まことを写すという意味の写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い続けて来たが、単に自分のやっている行為に〝まこと”なんて付いてるのが、居心地が悪かった。しかしAIの登場のおかげで、そんな必要もなくなったろう。本当は、デジタルの登場で、これで写真が裁判でも証拠と扱われなくなるだろうと期待したが、まだ足りず、AIの登場でようやく。私のイメージするリアルは、本物らしい、ということではない、と陰影を無くすことで表現できたのが、AI登場前だったことは何よりである。 午後『貝の穴に河童の居る事』で笛吹の芸人をやってもらったMさんと久しぶりに馴染みの焼き鳥屋、さらにTやへ。『牡丹燈篭」でお米をやってもらったかみさんに会った。『貝の穴〜』では笛吹の女房。『牡丹燈篭』のお露は三女。長女は『貝の穴〜』で、河童に尻を狙われる娘、三島由紀夫の『潮騒』の初江も屋上でかみさんにヒシャクで水をかけてもらいながら撮影した。軍医姿の森鴎外の肩飾りの飾緒の三つ編みなど出来ないので、娘が3人いるかみさんにやってもらったし、サーベルは店の使い古しかの菜箸をもらって使った。場面は『貝の穴〜』で河童がケガをさせられた腹いせに、連中にこういう目に合わせようという構想を画ににしたもの。ちなみにこの隣の部屋で、高橋是清は226事件で惨殺されている。



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ワクチン6回打った友人がコロナに。喉の痛さが相当なものだったらしい。特に水を誤嚥してしまうのが辛かったと。ワクチンのおかげで、これくらいで済んだ、と解釈するか、効果のない宗教みたいである。 無学祖元に剣を向ける蒙古兵だが、700数十年前のモンゴル人が、無学祖元師が詠んだ漢詩『珍重大元三尺剣、電光影裏斬春風』を解することが出来たものなのか。このぐらい古いと事実なのかさえ定かではない。(ここだけの話しだが)小説だろうと宗教だろうと、私に面白い物を作らせてくれるなら何でも良いのである。私の場合、写真は〝まことを写す”用には用いられない。最近はAIのおかげで、写真という、まことを写すという用語に対し、敵愾心を持つ必要がなくなったのが何よりである。もっとも自分のやっていることに〝まこと”なんて付いてるのがただ恥ずかしかっただけなのだが。



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