最近、娘の親しかった友達の姉妹が引きこもりになっているのを知りました。
家にも何回か遊びに来た事があったので、私もその子はよく知っています。
二つ年上の子で、私立の中学へ進学したのですが、たまたま家内が伺う事があって様子を知ったわけです。
家庭的にも、経済的にも恵まれ豊か、しかし起こるべくして起こった?ひきこもり。
私には記憶の中から「そうだろうな・・・」とおもうシグナルはある程度みえたはいたものの、しかしながら親の処に行ってこれから引きこもりになりますなどと言葉にしようものなら殴られかねないので。
黙ってみているしかなかったわけです、特徴として現れるのは、小学校低学年のときに、「宇宙人と会話したとか」、「自分に特別な能力がある」というたわいも無いような子供の話の流れからそれを読みとることは出来るわけですが。
まずはやさしすぎること、これはその子の心の強さに裏打ちされたものではなく、しぐさや物腰など、外見的な判断としてのすがたです。
本来やさしさは、自分が持ちうる経験が蓄積された結果として、の差異を冷静に捉えることができる事から生じるものであって、目でみえるものではありません。
ですからやさしい子に育てるとして、厳しさや辛い事から遠ざける今の教育では、この先も増え続けることは間違いありません。
しかし、厳しくというと、子供を殴る事と関連つけて考える人が8割近い現状から、これを変えていくことは難しいでしょう。
厳しさとは、普段の生活において我慢させる事から始まるのですがね・・・