帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

指示待ち

2007年04月16日 | 研究-教育・育児

新学期が始まり、息子の口から少し気になる言葉が出てきた。
それは「いちいちうるさいんだよねー」というもの。

「あれれ・・・なんか問題でもあったか?」と思いつつ話を聞いてみると、「なるほどねー」と思う話がたくさん聞けました、
息子の大学はバリバリの体育系で、学生はみんな中学校からずっとそれぞれにスポーツを続けてきた子達ばかりで、中には小学校低学年からという子もいます。

スポーツをしてきた子達ですから、そうした子達に対して私が持つイメージは自発性があり、活発に動く若者という感じだったわけですが、
まあ、これは私だけに限らず、世の中のほとんどの大人はそうしたイメージを持っているかと思います。

ところが話を聞いていくと「うーん・・・?」と思うことが多々あって。

何が?なのかということを簡単にいうなら、”指示待ちが多い”ということなのですね。

18才ともなれば、もう大人ですね。
自分に何かしらの投げかけがあれば、その先につながって広がる常識的なものは”当然”に推知しうるわけで、さらにはその先に広がる事まで予想が可能なわけです。
という事は基本的なことさえ伝えれば、年齢に沿った大人としての行動は自分の頭で考え判断していける力があるということ。
基本的なものを伝えればよいはずなのに、なぜかその広がり部分を逐一、面倒見ているらしいのですね。

一寸抽象的で分かりにくいため、例をあげます。
車を運転するときに、「気をつけて運転しな」といわれれば、そのために何をすべきかというのは100万通りあり、大人であればいちいち車に乗るたびにそんな事を言われずとも分かるものです。
ところが、安全確認の仕方から始まり、砂漠を走る方法、雪道走る方法というように、いちいち面倒を見てくる。
そんな感じを受けるそうです。

これでは学校が余りにも大変、本来の勉学意外に余計な事まで背負わねばならないからです。

私は、この年齢になればそうした事は当然に出来るものだと思ってましたし、息子もそれが当たり前として出来るように育ててきたわけです。

まあ、それが中学時代に不良になる原因であったのかもしれませんが
 (^^;) たはは・・・

ところが学生達はそうではないらしく、そのため教授は逐一その広り部分まで面倒を見なければならず、相当に大変なようです。

勘違いしないでくださいね、これはけして悪口ではありませんから。

”非常に素直すぎる子達ばかりである”という事なのです。

言われた事に疑問をもたず、質問もせず、そのまま受け取り、そのまま動くということ。
まあそれが、これまで一貫してスポーツを続けてこれた事と大きく関係しているわけですが、「それで本当にいーのだろうか?」と私も思ってしまうわけです。

親や先生の言う事を素直に聞いていると、とても”良い子”にはなれます、
しかし、良い子は自分という意思が弱いか、無いかという事でもあり、同じ事に関する世の中での評価と視点は全く違ったものになるわけです。

社会は強い意志を常に求めるものだからですね。

中学や高校じゃないんだから、大人としての扱いがあるものと考えていた息子は「おいおい、大人なんだから子供みたいな事は勘弁してくれー!」という気持ちをかなり持ったらしいです。 (^^)笑

さらに何か動くときの力の入れ方が尋常じゃないらしく、ところがその先の展開を余り考えていないのも明確で、このまま行くと「これこれしかじかじゃないの?」というと「あ!」っと気づくような感じでもあるらしくて。

私はこういったのが可愛くて好きですが (^^) 先を読む力というのは将来において結構大きな影響を及ぼすもので、かつ必要なものです。

「スポーツマンらしくていいじゃないか!」と良い方向で見るなら、それはそれでまったく問題は無いのですが、裏を返せばこれまで先生やらなにやら周りが介入してやってくれていたということが見えて来てしまうわけで、自分でそうした調整をする必要はなかったということでもあって、そうした面での姿もまた見えてきてしまうわけです。

息子の語る言葉の中にスポーツマンらしさと純粋さが多々見えてきて、良い大学に受かったものだと、本来なら私は感謝せねばならないのですが。

反対に純粋すぎる子達が、これから出会っていく世の中の試練というものに免疫が無さ過ぎるのでは無いかとも思ってしまい、そういった面で大丈夫だろうか?と心配にもなるわけです。