中学へ上がると問題になるのが部活、娘の学校はいまでも意図的に全入?させる方針を取っています。
上の子の時はそれが問題になりました、何一つやりたい部活がなかったのを強引に強制した学校、猛烈に反発する息子と学校(校長先生まで巻き込んで全先生)との間で全面対決状態となってしまったのですね。
廊下をあるいているだけで、すれ違うそれぞれの先生からあーだこーだと言われ続けた毎日。
頑として譲らない息子と、「部活は子供に生きがいをもたらす」と主張してはばからない学校。
こうした場合、親としてはどちらを選択すべきなのか?という面での舵取りが難しく、ベストという道は無いわけですから身動き出来なくなります。
「ほかの子達は普通に部に入り、普通にやっていけるのに、何で家の子はこうなんだろう・・・・」なんて、ぼやいた記憶があたまの片隅に残っています。
こうした学校とのギャップが後の非行行動へとつながっていった訳ですが、中学生活のスタートから大きくつまずいた原因でもあって、以降まったく先生を信用することがなくなり、存在すら忌み嫌うという事の始まりでもありました。
今となれば、それも息子の生き方でもあったわけですが、こうした時に息子が見せる気性の激しさと、その行動は常に親の意表をつくもので、
毎日のように学校からかかってくる電話に、一時は恐怖すら覚えた事がありました。
3年の時には、積み重ねられてきたあらゆる事ですっかり反社会的な考えになっていた息子。
それに対して、このままでは・・・・という焦りを感じていた私。
反抗期真っ只中の子供は、親がどんなに真剣に向かい合いたくても、けしてこちらを向いてなどくれません。
親に自分から恭順することは、敗北でもあり独立と自立の失敗を意味することであって、ゆえにまったく親を無視した状態で突き進むものです。
腹を割ってだとか、もっと親が寄り添ってなどという”理想主義的たわごと”を信じてのあらゆる努力というものは、いかに無意味な事か・・・・
それを嫌というほど学ばされたのもこの時でした。
とにかく、何かしらの手立てをしないと、人に対して歪んだ視線を向ける心が、息子に将来の不幸をもたらす事は分かりきっていたわけですから。
これが息子を親と違うところで生活させる理由の一つにもなりました。
学校というシステムとは全く異なった、見てくれでもなく、体面をおもんずるわけでもなく、なんと言えばよいのか、人としての有るべき姿をそのまま見せてくれたこと、すなわち第二の父親のような存在というべきでしょうか?
息子は小学校、そして中学で対人面での苦しさを沢山経験した事が、人の気持ちを洞察する能力を高くし(わたしよりはるかに優れています)、さらに優れた人と出会った事が正しい方向をむく事を学ばせてくれ、その結果として今は何の問題を起こすことなく正道を歩ませてくれている姿となっているわけです。
さて、こうして上の子に全く問題が無い今、 次なる悩み?は下の娘ですね。
部活(特に運動系)=日曜練習という意味合いもあり、家のようにウインドをやっている場合は非常に難しい事になります。
ウインドを小学校でやっていた子達の99%は中学へ進学すると辞めてしまいます。 これ絶対的な現実です
そしてその口実のトップ? は部活が忙しいというもの。
本当に忙しいのか?ということを考えるならそうした学校ばかりではなく、また日曜活動の無い物も当たり前のようにありますから、単に部活という言い訳をして逃げるというほうが正解だと思います。
というのはとにかくウインドを覚える事の辛さは部活動の比ではなく、ハーネスをかけてストラップに足を入れてプレーニング出来るレベルになるには、それは大変なつらさを越えねばなりません。
大人でもあっさり挫折することは珍しくありませんから・・・
ウインド人口自体が少ない事もありますが、小学6年でこうした乗り方の出来るレベルにある子は、おそらく全国で10人から、多くて20人くらい。
ましてや女の子となれば、おそらくは数人です。
ちなみに三浦で女の子は、家の子一人です。
勘違いされやすいのですが、これは自慢でも何でもなく、それだけたいへんなのですね、家の場合、私も家内も、そして上の子もやっていますので、自然とそうするものだという感じで来てしまいましたが。
たんにウインドスクールだけに子供を行かせている場合は、やはり継続が難しくなります。
体が小さく、キャシャなうえに、強大な風のパワーを微妙なコントロールをしながら乗る事は、子供にとって容易ではなく、体をぶつける、怪我をする、セイルにつぶされておぼれそうになる。
ただただ苦しいだけ、それが故に辞めてしまう子が本当に多い。
親子でやっている場合、親によっては子供に部活かウインドかの選択させる事もあり、「さて家ではどうしたものか?」と思うのですが、強制すればそれを言い訳にしてあらゆる事から逃げるのもまた子供。
かといって自主性だなどといえば、今度はそれを隠れ蓑にするのも子供。
娘が自発的にどう選択していくのかを? どちらにもよらず、遠からず、近からず、という感じで見守って行きたいと思います。
ちなみに、部活は生きがいをもたらすという事に関してですが。
息子のいた中学の子達で、当時部活をまじめに続けていた子達の大半は、高校デビュー(高校に入って問題を起起こし始める子をさす)し、もちろんニートや引きこもりの子もいて、部活動が人格の形成にはたしてどれだけ寄与できるのかに関して、相変わらず(というか完全に)私は否定的な立場を取ってます。
学校が良かれとして強制した部活が、けしてすぐれた人格と関係ないことは現実なのですね。
ちなみに、部活とウインド合宿の訓練は似てはいますが、まったく異なるものです、その違いを一言でかけないのが悔しいですね。
掲載の写真は似て非なる花、そしておきな草です