ふと気がついたのですが、最近めっきり娘を叱る事がなくなりました。
特に冬の合宿以降にそうした事が一度でもあったかな・・・・?
と、思い出す事すら出来ないほどです。
もっともまだ13歳ですから、ときおり???と思う事もありますが、でも話してみるとそれなりに心得を持っており、故に叱るべき理由が無いわけですが。
「なんとなく寂しい・・・・」 (--;)
親としては、叱らなくてもいいような人間にすべく育てているのに、叱る事がなくなるとそれはそれで寂しい。
上の子の時もそうですが、あーだこうだと怒ったり腹立てたりしているときは常に家の中に波風があり、嫌ではあるけれどそれ自体は生きている事の一つの証明でもあって、親という仕事?をしているというか、なんというか「頑張れ!」と子供に心を投げかけてきたダイナミックな心の動きというものを感じていたわけです。
それがなくなるということは、いうなれば子供が独立した一人格としての完成が近いということでもあるわけですが、
いえ、親が子供に完全な人格をもたらす事はできませんから、人格の基礎までにとどまるものですが、後はそれを礎として子ども自身が自分の力で完成していく以外にはないわけです。
その基礎のほぼ99%まで完成してしまったというか・・・・
もちろん親の力だけで子供を育てられる等というような、根拠の無い思い上がった心は私たち夫婦にはありませんし、また親から見えてこない部分を他人の視点から正す教育をしてもらうという幅広い教育をしてきました。
私の場合は、抜群の成績で一流の学校へ行き、一流の企業に勤める人間にする事が目標ではなく、”誰からも愛される人間になってもらえる事”、ただそれだけを子育ての終着点としています。
故に子供が自分で歩み出したら、もう口出しはしません。
上の子は自分の思うままに未来ヘ向かって歩んでいますし、下の子もここに来て他人に流される事の無い、明確な自分の意思を中心において歩くようになりました。
とにかく幼い頃によく叩いた下の子は、今は何も言わずともやるべき事はきちんとやり、何でも自発的かつ積極的活動するので、
私と家内は「なんでこんなにいい子に育ってしまったのだろう・・・」と人様から見ればまるで”オオバカ者”と罵声を浴びせられかねない贅沢を言ってるわけですが、
またそれと同時に「このまま無事に大人へ成長してくれるのだろうか?」というような恐怖感も同時に持っているわけです。
今年の夏は、息子は大学や地元の友達と行動し、娘はおそらくスクールの夏合宿へ行って一夏は家にいないでしょう。
子供たちのいなくなった静かな夏をどう過ごすか・・・
いま二人で話しているのは家内と私で湖へ出かけ、キャンプとウインド三昧の二人だけの休日を過ごそうと話しています。
新婚のときのような、静かな時間が戻ってきつつあります。