帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

正しく叱る方法 その2

2008年04月25日 | 研究-教育・育児




こう書くと、「そうした考えは古い」とい言い出す人間が必ず出てきますが、

そもそも人間(喜怒哀楽を含めた豊かな感情)を育てるという事に関して古
いとか、新しいという事があるのか?


もしあるとするなら、それを受けて育った子供たちの心にも明らかな違いが
あるはずで、同時に昔と今の人間は全く異なった感情をもつことになるわけ
ですから、この場合「いつ人間(喜怒哀楽を含めた豊かな感情)は新しくな
ったのですか?」と僕は尋ねる事にしています。


違いを年代ごとに明確、そして明らかにしてもらう為に質問するわけです。


日本なら平安時代、鎌倉時代、戦国時代、明治時代、とその時代背景は変化
すれども、そこで生きてきた人間達が今の人間と比べて「感情の何がどう古
いのかを明確に説明してくれ」と望んでいるわけですが、今もってまともな
答えをもらった事は一度たりともありません。


単にみんながそういっているから、恰好がいいから、いかに自分が先進的で
あるかを思わせたくてそういっているわけですが・・・


もし考えが古い新しいで常に違った心の人間達が生まれてくるなら、なぜ時
を遥かに越えた古典文学のなかに心をゆり動かされるものがあるのだろう
か?


なぜ、今でも経典の中に人の真理を見つけることができるのか?


原始時代の壁画に描かれている人の姿になぜ自分を重ねることができるの
か?


それらのすべてが成り立たなくなってしまうわけです・・・


なぜ心は変らないのだろうか?と疑問が浮かんでくるかと思いますが、

複雑そうに見える心は、実は単に喜怒哀楽の基礎感情+経験や学
習によりえた知識で構成されています。

心が複雑に思えてしまうのは、人により得ている知識の差が有り、そこに計
り知れないものがあって感じいるだけのことで、感情そのものは本能がもた
らすものですから、とてもシンプルかつ簡単なものなのです。


分かりやすく例をあげましょう。

例えば、生活に利便をもたらす工業技術の発達は確かに積み重ねられ常に変
化をとげています、しかし、その構成をなす基礎理論になんら変化は無いよ
うに、人間とて基礎理論たる本能に変化というものはないわけです。


携帯電話が発達しようが、火星に人間がいこうが、オームの法則は以前とし
てオームの法則。 数学の方程式は未来永劫同じ結果を導き出します。


恐怖の教育
たるほめて育てる・叱らない教育はその基礎たる法則をまったく
学ばせずに技術を教えていると同じ事でもあり、


1+1=2すら知らないのにどうやって難しい公式を運用できるのか?

これと全く同じ事この教育はしているわけです。


こうしたことからも、大切な叱るという事そのものを排除しようとするほめ
て育てる・叱らない教育がいかに愚かな事かとわかるわけです。


さて、これとまったく反対方向に有るのが自然な子育てなわけですが、

まずは褒めることは大歓迎、素晴しい事ですから、ただし、自然な心で褒め
ということが一番重要で有り、親のもつ何がしかの計算の上でやるなとい
うこと。


同時に子供を叱らねばならない時はきちんと叱る、格好を付けずに正しくし
かる
ということです。


といっても、その正しく叱るということそのものがどうすればよいのか分か
らないから多くの人が悩むわけですが、実は叱るという事これそのものは本
来とても簡単なものであり、しかるそのものは子供の行動や言動に何がしか
の問題や過ちがあり、それを親が不快と認識してまず怒りが発生する、そし
て正さねばならないと判断するからから子を叱る。


たったこれだけのことでしかなく、至極単純、なんら難しくなく当たり前の
ように必要な部分を必要なだけ叱ればよいわけです。


その方法は後ほど説明します。