昔と比較して最近の異常教育の特徴として明確なのは、叱る基となる自然な怒りや
悲しみを全て悪として捕らえ、喜と楽だけで子をそだてようとしていることです。
自分の心を無理に捻じ曲げて育てるおかしな現象もおきている。 例えば、叱ると子
供は親の顔をみます、当然で当たり前のことなのですが、それが「将来親の顔
色ばかり見る子になる!」といって、絶対悪のようにあつかっているのもその一
つです。
でもこれっておかしな事ですね、叱られれば恐怖が発生する、恐怖が有れば防御本
能が働いて自分を守ろうとする、そのために相手(親)の感情を読み取り理解しよう
として体の全感覚と頭脳が全力で働き始める。
これのどこに問題があるのでしょうか?
感情がもっとも顕著に表れるのが顔である以上、それを子供が見るのは人であれば
極当たり前で当然のこと。
生き物はその心の豊かさに比例して表情も豊かになるように出来ています。
ワニの顔に表情が無く、犬より猿、猿より人間というようにです。
言葉が強くても顔に笑みが有ったり、言葉はやさしくても表情がきびしかったり、人の
心は言葉だけで表現されるものではなく、言葉や表情をメインとしたあらゆる伝達に
よりなされるものなのです。
幼い頃から親の顔をたくさん見る、だから様々な心のパターンを学習できる。
だから大人になって顔を見ただけでその人間の心の状態を読みこめるような人間ら
しいコミュニケーションができるわけです。
社会で生きていくための力の一つとして欠かしてはならないものなのですが、これが
悪いのだと恐怖の教育はいっているのですから話にならない・・・
親に叱られるは、何をしたら叱られるのかであり、それを学ぶの事は一度でなしえる
ものではなくて、さまざまなパターンで繰り返すことが必要(これが教育なのです)に
なります。
* 勉強の出来る子を育てるのが教育なのではなくて、そんなものあくまでも片隅に
あるものでしかなく、繰り返し学ばせることで人間性を成長させることがその最大の
目的であることを忘れてはなりません。
いくら優れた頭脳を持っていても、人の心が判らない人間にまともな一生など遅れは
しないのです。
ゆえに思春期くらいに成長して親の顔色を伺う人間であるというのは、幼少期にきち
んと親の顔を見て育った子には無縁の話。
十分すぎるほど親の表情と心を学んできているから、自然に表情と言葉を総合判断
してきちんと相手の心を読み込めるからです。
反対に幼少期に親の顔を見て育たないと、人が何を考えているのか分からず
に発生する恐怖で常に顔色を伺うようになるのが現実。
こちらの方が正解です。
具体的例をあげましょう、不登校や引きこもりの子達の最大の特徴は、まず初めに
やたらと顔を色をうかがうことから始まります、なぜなら彼らはほとんど共通して幼少
期にきちんとしかられて来ていません。
親の怒りの感情をきちんと学ばずにきているわけです。
それが相手の表情から正しく感情を読み取れない恐怖を呼び、顔を常に地面へ向
かせる事となる。
最後は相手の顔を見るとき、上目使いで一瞬だけちらりと相手の顔を見てまた伏せ
るという動作がでて来るようになる。
同時にその恐怖が人の言葉すら遮断させ、耳に言葉は届いても思考はシャットアウ
トされるわけです。
もっと分かりやすく実体験したければ、目隠ししている状態を考えてください。その状
態で自分に怒りを向けている人、行為を持っている人、恨んでいる人、諭してくれて
いる人等など、どう判断するのかを考えてみればすぐにわかります。
眼を隠されるだけで、相手の心を読み取る能力は信じられないくらい貧祖になりますから。
注意:目に障害を持っている人は、音で情報を読みとる能力が非常に鋭くなります、
言葉の震えや音程の高さ、強さなどで判断できるすばらしい能力を持つことになりま
すので、感情を読み取れます。
ところが情報の大半を視覚に頼っている私達にとって、視覚情報である表情が読み
取れないということは、心を読むための情報がほとんど失われるのと同じ、ということ
ですから誤解なきようにお願いします。
幼き頃に十分過ぎるほど親の顔をみて、人の心の動き、すなわち感情の動きをきち
んと学んでくれば、人が怖いなんていうことはなくなるわけです。
続きは来週です、へへ (^^)> ぽりぽり