基礎
増築だろうがなんだろうが、家を建てるのに肝心なのが基礎、これがなきゃ~始まらない。
ちなみにこの工事を思い出すだけでも胸くそ悪くなるので、写真は全く有りません。(笑)
基礎工事そのものは非常に簡単で、レーザー水平器等の特殊な機械などが無くても、ピタゴラスの定理と長いビニールホース&バケツが有れば誰でも始められる。
建築予定地の周りにぐるりと杭を打ち、水盛りで水平を出してまっすぐな木で横を打ち、
最後に345(さんしご)とピタゴラスさんで、 5Mに対して誤差2mm以内(僕の場合)で完全な直角を出せば良いだけの話だ。
後は、掘る、背筋を行なう、枠を造る、そしてコンクリートを流し込む。
特別な能力も必要無く、考えることも必要とせず、しかしながら、体力だけがやたらと要求される作業。
でも~ これって、一人でやると大変な作業でありながら、業者だと必要機材が全部揃っているので力仕事とは言えない(どこまでを力仕事と考えるかで違うけれど)。
基礎工事を行なったのが10月の半ば、そして完成までほぼ一月。
途中、一度ダウンしたのですが、その理由は全身汗だくになる作業のつらさ故。
増築建物の基礎全てに使用したコンクリートやら割石の量は約5トン(多分?です)これを全部手でやった。
ほぼ確定的なバカです。
ちなみにコネル為のトロ箱が、摩耗してうすくなっていましたね~(爆笑)。
穴をひたすら掘り、割り石を引き詰め、ひたすら付き固めを行い、背筋を構成し型枠を取り付ける。
割り石だけで厚さ20~25cm、方法は遙か昔の手法そのもので、重さ20kgほどの丈夫なコンクリート注に取っ手を取り付け、両腕で持ち上げては落とす、 こうして、ひたすらガシガシと突き固めていく。
「ランマーを使えば?」 いえいえ、水を呼び寄せて地盤を壊す(液状化の原理と同じです)事になるので使わない(解りますかね?)。 第一近所迷惑甚だしい。
故に住宅基礎にはプレーナーなんぞが良いわけですが、個人が毎日少しずつやっていくには極めて不利でして、レンタルなんかしたら、いったい、いくらになるやら。
そんでもって4号割り石をいれ、唯々 モクモク突きまくる、だんだん押し固められて石が大地に沈み、全体が凹んでくるので、また石を注いではガシガシ。
まったく凹まなくなるまで、ひたすらそれを繰り返す。
それが終わると、背筋し、捨てコン乾いたら、型枠を取り付け基礎ボルトをバインドしてコンクリート流しこみ。
実はこれにも多種の問題があった、というのはさまざまな要因で、ネコ(一輪車)が庭に回せない。
駐車場から庭まで、ひたすらバケツを使って手で運ぶしかない。
ポンプ車を頼もうかとも考えたが、単なるミキサー車なら安いのに、特殊車呼ぶわけだから、目玉が飛び出すほどの請求がくる。 5万から10万です
コンクリートは安いのに、特殊故車にかかるコスト、しかもたった一度でだ。
これらを避けようとすると、後はひたすら手練で行くしかないのが現実。
とにかく安くて高品質が僕のもっとー、「有り余る体力があるじゃないですか~?」 とあまり考えずにやったのが大間違い・・・
建物ならともかく、基礎工事そのものは設計だけで、工事の実経験は一度も経験が無く、完全に頭の中の知識だけだった(笑) ここでもバカそのもの。
助かるのは、建築法に一度、もしくは一回で全てコンクリートを流して基礎を形成せよ、とは書いていない。
本来は一発でやることによって全体が一体化して強度が出るのだけれど、出来ないものはできないのだ。
そこで、コンクリートを区分けしながらブロックのように固めていくことを考えた、簡単にいうなら基礎を沢山のブロックにわけ、一つ一つが隣のブロックと歯車のように噛み合うように施工することにした。
レゴやダイヤブロックみたいな感じと考えてもらえると分るかと思う。
難しいのは、一つのブロックが固まりきれない内に、次の部分にコンクリートを流し込んで、出来るだけ一体化させること。
このために結構な量のコンクリを毎日練っては流すこととなり、しかしながらコンクリートを練るのは半端な力じゃ出来ない・・・・
そんでもって、睡眠不足と肉体疲労で熱を出してしまったのですね。
全てをたった一人、そして手作業でやるとこうなる、あはは・・・。
*機械化された現在の基礎工事は、苦労も無く、子供の遊び程度の物でしかありません。
正直、二度とやりたくもなく、思い出すだけでも寒気がしてくるのですが、一度始めたら、どんなに苦しくとも最後まで貫徹しなければならない。
泣き言は一言たりとも許されず、これをもって子供達に”「やるといった以上は必ずやり遂げる姿」”を見せられねば、どうして父親の言葉を聞いてくれるであろうか?
よく言われる、”背中を見せる”ということは、有言実行、初志貫徹、同時に子供達の模範でなくてはならないということだ。
そしてその姿が将来の子供の姿になるよう、記憶に留めるということだ。
又、それが出来ずして、どう父親面が出来るであろうか・・・・
そう、僕は思うわけです。