タウンミーティング疑惑と安倍首相の対応

2006-12-14 07:02:28 | Weblog

 昨日(06,12,13)NHKが夜7時と9時のニュースで政府のタウンミーティング調査委員会(委員長林芳正内閣府副大臣)が塩崎官房長官に提出した最終報告書について報道していた。かいつまんで引用してみると、174回あったタウンミーティングのうち105回で内容まで示さなくても、発言するように働きかけていたこと。その105回のうちの25回で、参加した65人各自に5000円の謝礼が支払われていたこと。京都市のタウンミーティングでは不適当と見た人物が参加できないよう作為的な排除を行ったこと。国が地方自治体に動員を依頼したケースが71回にのぼること等を〝世論操作〟関連で伝えた。

 次に不明朗経理関連で、衆議員の集中審議で民主党の蓮舫議員が追及していた、岐阜の会場で大臣を迎えてエレベ-ターまで案内するのに4万円、大臣が乗ったエレベーターのボタンを押すだけで1万5千円も支払っていたという、何様相手だとそれくらいの人件費を受け取る人間でないと釣り合いが取れないからなのだろう、そんなかんなで平成13年度前半の1回当りの開催経費が2200万円もかかっていたこと、そのような高額支出の特例としてだろう、去年6月の静岡市で開催されたタウンミーティングでは内閣府が地元ではハイヤー4台を調達できなかったとして、東京の業者と57万円で契約して、ハイヤーを東京から派遣、会計上は21台借り上げたとして水増し処理をしたこと、こうしたハイヤーの借り上げと清算をめぐる不透明な会計処理が合わせて7回あったことを報道していた。

 調査委員会委員長林芳正内閣府副大臣、ご馳走ばかり食べているようで、いい感じにふっくらと太っている。豚だったら、食べ頃の太りようといったところだろう。「政府の側から見たイベントの成功というものが追求されていたこと。事業の進行を優先するあまり、適切な会計上の執行についての意識や手続きが、まあ、不十分であったこと。公平性・透明性の確保をと、こういうことを提案させていただいた――」と、あくまでも淡々と記者会見で述べていた。

 対する塩崎官房長官「国民との対話を掲げていたにも関わらず、逆に期待を裏切って政治への信頼を大きく損なう大きな問題を発生させてしまったことは、極めて残念なことであり、国民の皆様方に深くお詫び申し上げたいと思います」

 責任問題についてはアナウンサーが「安倍総理大臣は当時の官房長官として責任を取るために総理大臣としての給与の3カ月分を国庫に返納し、その他の関係者についても事実関係を明確にした上で処分したいという考えを明確にしました」と伝えていた。

 中川幹事長の談話発表として「報告書の指摘は弁解の余地はなく、極めて遺憾だが、安倍総理大臣が逃げることなく、自身の責任を含めてけじめをつけると述べていることを評価したい」

 何らかの責任を取ることは当然なことで、「逃げる」も「逃げ」ないもないのだから、それを「逃げることなく」と殊更立派な姿勢だと見せかけた上で、それを「評価したい」とするのは、責任を「評価」で相殺して、限りなく安倍内閣支持率に関係することになる政府への風当たりを薄めようとの魂胆なのだろう。

 また責任を取る(「けじめをつける」)ことを「評価」するというのは普段は責任を取らないことが当たり前となっていることの裏返しではないだろうか。

 当ブログ『ニッポン情報解読』の11月25日記事<タウンミーティング/広告代理店の参考人招致を>で「多分政府は担当者の処分を検討する考えを示したといっても、一般常識から離れた不適切な金額の契約が行われたとの理由のみで関係者をそれ相応に処分するだけで幕引きを行う可能性が高い。中央省庁だけではなく、地方公共団体に於いても、役人の世界では公費・予算を使った私利の遣り取りが一般化している。そのことから考えただけでも、談合の可能性だけではなく、還流と還流金を原資とした裏ガネづくりの可能性すら疑える。受注した広告代理店だけではなく、応札会社すべてを国会に参考人招致して追及すべきではないだろうか」と指摘したが、静岡市で開催されたタウンミーティングでのハイヤーの調達先と台数偽装、水増し処理は既に外務省がかつて使った手口のまさに類似行為であり、そこに外務省同様の犯罪を疑わなければならない。

2000年の夏に行われた九州・沖縄サミットを利用して外務省の課長補佐らが「東京都内のハイヤー会社にサミットで使ったハイヤーの台数や人件費を水増し請求させ、差額約1200万円分をタクシー券で受け取ったとされる」と2001年7月16日「朝日」朝刊(『タクシー券 自宅に220万円分』)は伝えている。「残りの約1千万円分については金券ショップで換金して、自分の洋服代や飲食費などに充てたほか、職場での飲食費の足しに使ったりしたと話している」(同記事)

 外務省は当時タクシー代金の水増しだけではなく、「東京都内のホテルを利用する場合、参加人数の水増しや宿泊した部屋より、料金の高い部屋を使ったように装うなどの方法で水増し請求させ、実際の料金との差額を裏金にすることが以前から行われていたという」(01.7.17「朝日」夕刊『外務省 ホテルで裏ガネ管理』)とホテル代金をも水増しの利用対象とし、水増し分は約7000万円、使途はうち4300万円を容疑者である課長補佐の浅川明男(56)が個人流用し、残る3700万円は内輪の歓送迎会・パーティ・懇談会などに使い、水増し請求させたホテルを利用することでその代金に充てる方法を取っていた。

 この事件以後、外務省の約30課に裏金が存在することが発覚、海外の大使館・公使館・領事館の大使・公使・領事、さらに料理人といった職員までが公費を私的流用していたことと合わせて、構造的な犯罪であったことが判明している。

 静岡市のタウンミーティングの場合、地元でハイヤーを調達できなかったという事実そのものを疑わなければならないが、調達できなければ愛知県や神奈川、山梨といった隣接する自治体から調達すれば、それだけ節約できるものを、隣接県の神奈川を越えてわざわざ東京の業者を指定したのは、外務省がかつてホテル代水増し用にホテルオータニを御用達としていたのと同じウラの存在を疑わなければならないだろう。

 また実際に4台しか利用しなかったにも関わらず、会計上は21台借り上げたとして水増し処理した余分の金額はタクシー会社にチップとして与える程に日本の役人が気前良いわけはなく、逆に公費流用を政治家・官僚の習いとしている程に卑しい上にせこくでき上がっているのだから、当然還流して私的流用した疑いが濃く、還流されたとしたら、その使途が問題となってくる。

 4台を57万円とは、1台当たり14万2500円となるが、21台借り上げたことにすれば辻褄の合う57万円÷21台≒27000円/1台という金額になると言うことなのだろう。27000円×4台=10万8000円で済むところを57万円もかけた。57万円-10万8000円=46万2000円はどこへ行った、何に使った。その経緯・行方を明らかにしなければならない。地元静岡県のタクシー会社すべてに内閣府からハイヤーの調達要請があったかどうかも調べる必要がある。

 安倍総理大臣の記者会見「こうしたことが起こったことは大変遺憾であります。責任をしっかり取っていく、けじめをつけなければならないと。真の国民との対話であるべきタウンミーティングであるにも関わらず、事勿れ主義的な対応があったと、ま、これは役所ではよくありがちなことであると指摘もなされています。次なるタウンミーティングについては、まあ、例えば経費についても華美にならないように、ムダ遣いにならないように徹底していきます。そして初心に帰って、国民の皆様と双方向の対話の場にしていく。そういうタウンミーティングをスタートさせていきたいと思います」

 さすがに「美しい国」という十八番の安部ギャグ(ギャグにしか聞こえない)は一度として使わなかった。使えなかったのだろう。

 「これは役所ではよくありがちなことであると指摘もなされています」とは、「役所」にこそ責任があるとでも言いたかったのだろうか。聞きようによっては、止むを得なかったことだ、あるいは起こるべくして起こったことだ、と〝役所全面責任論〟に聞こえないこともない。

 裏ガネ作りは警察署も行っていたことである(今も行っているかな?)。しかし首相自身の責任も自ら論じなければならない問題に関して記者会見で述べる言葉として、「役所ではよくありがちなことであると指摘もなされています」とは、少々――どころか、まるきり的外れな解説となっていないだろうか。安倍首相の感覚からしたら、「ありがちな」的外れとすべきなのか。

 また、「例えば経費についても華美にならないように、ムダ遣いにならないように徹底していきます」と言っているが、「華美」とか「ムダ遣い」といった問題ではなく、「華美」・「ムダ遣い」の程度を遥かに超えて、公費のタレ流しそのものの高額予算の支出となっている。問題の大きさがどのくらいなのか、正確に把握し、受け止めているのだろうか。阪神大震災のときの村山富一同様に「何分にも初めてのことだったもので」といったのと同じ感覚でいるのではないかと疑いたくなる。

 「役所ではよくありがちなこと」とか、「華美にならないように」とかの説明で済むとしているいること自体、「事勿れ主義的」なのは安倍首相自身ではないだろうか。尤も郵政造反議員復党問題でも、道路特定財源問題でも、「事なかれ主義的な対応」の前科を既に犯してはいる。

 調査委員会委員長林芳正内閣府副大臣にしても、「適切」を遥かに超えている会計処理・請負価格を単に「不十分であった」と把える感覚も、「事勿れ主義的な対応」のうちに入るのではないだろうか。

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