以下の文章はNHK教育番組「きらっと生きる」を見て、投書したものです。「投稿いただいた内容は一部修正、省略させて頂く場合がありますのでご了承ください」ということだから、書いたとおりに記載されるのか、それ以前に投稿したものの、採用されなかったということもある。余計なお世話でみなさんの参考に供したく、ブログ記事に直してみた。
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先ずは番組案内から。『陸上少女13歳の挑戦』「この秋に兵庫県で開催された『第6回全国障害者スポーツ大会』で陸上400メートルに最年少で出場した。5年前に視神経委縮という視力が急激に低下する病気を発症し、現在は左目で光を感じる程度だという。陸上に出合って以来、積極的に生きようと白杖(はくじょう)や料理など日常生活でも挑戦を始めている。走ることで、新しい世界が見え始めた彼女の姿を見詰める」
自分の世界を広げていこうとする姿、その積極さ・一歩一歩が伝わってきました。人との関わりを持つものの、自分が生きる世界は自分独自の作品であり、自分独自の人生です。例え同じような障害を持ち、同じように陸上競技に挑戦している同じ13歳の少女が別にいたとしても、関わる人間の違いによって、例えば両親が違うだけで、それぞれの生きる世界は違ってくる。それぞれの世界がそれぞれに独自性を抱えることに変わりはない。
人間は一生をかけて、自分の世界をつくっていく。自分の世界をつくっていくこと自体が生きることに他ならない。彼女は「自分の世界をつくっていくことが生きるということだ」という言葉どおりの自覚はなくても、日々自分の世界をつくっていくといった感覚をかなり自覚しつつ生活しているのではないだろうか。そんなふうに思わせた彼女の挑戦する姿だった。私自身障害者ではないが、健常者がなかなか持ちにくい「自分の世界をつくっていく」、あるいは「自分の世界を広げていく」という感覚を障害者の多くは常に肌に感じつつ生活しているように思える。
翻って政治の世界を見ると、政治家の多くが自分の都合だけを押し付ける世界となっている。
満足できる形に自分の世界をつくり、その世界を思う存分に生きて欲しい。司会者から、将来何になりたいか聞かれて、「多くの人に助けられたから、人を助ける仕事をしたい」と言い、将来的な希望職種として白衣への憧れを口にしたが、彼女のめげずに生き、挑戦していく姿勢そのものが既に多くの人間に元気を与える人助けとなっている。
陸上400メートル走は残念ながら優勝を逃し、3位の銅メダルに終わったが、もし練習がままならないとしたら、家で自分一人でできる体力向上の役にも立たないかもしれないアドバイスを二、三。
直立の姿勢で足をほんの少し開き、踵をゆっくりと目一杯上げて、一呼吸置いてから元の姿勢に戻して、再び一呼吸置いてから踵を上げる繰返し運動を100回ずつぐらい3回程度合計300回行う。一回ずつの間、音楽を聞いたりしてほんの2、3分休憩を入れる。
次に足を25センチほど開いて直立の姿勢となり、両手を前方水平方向に出して身体のバランスを取りながら膝を曲げ、尻をギリギリまで落とす。立ち上がるとき、両手で左右それぞれの膝頭を後ろに押さえるようにして立ち上って、元の直立の姿勢に戻る。これは50回ぐらい、日に1度か2度行う。
前者の運動はふくらはぎの筋力と足首の関節を強くします。後者の運動は膝のバネの強化に役立つと思います。立ち上がるとき、手で膝頭を抑えるのは、経験から膝の負担を軽くするように思えます。若いときから右ひざを痛めていて、ハードワークになると痛みが再発するといったことを繰返していて、再発した場合、屈伸運動の回数を減らしたり、休止したりして痛みが治まるのを待つのだが、3ヶ月程前に痛いのを我慢して屈伸運動していたとき、痛みを抑えるつもりで膝を押さえながら立ち上がっていたら、痛みが和らぎ、そのうち痛みを感じなくなって、それ以来時折ほんの少し鈍いしこりを感じることはあっても、以前のように痛みを感じることはなくなったのです。膝を押さえることによってその部分の筋肉がつくのではないかと思っています。例えば野球選手はバットを握ることで手のひらにたこができます。それと同じ原理で、習慣的な負荷によって筋肉がついていくのではないでしょうか。
最後に握力と腕の力をつける運動として、懸垂が効果的だと思います。学校に鉄棒がありますが、家でも行うとしたら、ぶら下がり健康器を買ってきて使用するか、家に3尺幅の廊下があり、柱が左右一対になっている場所があるようでしたら、中が空洞の鉄棒を鴨居より高い位置に取り付けて、鉄棒代わりにすることができます。これは固定されるから、思い切りぶら下がることができます。鉄棒の直径に合う受け金具をホームセンターで買い求めることができると思います。それをネジで柱に止めれば固定できます。
懸垂は1度に10回と決めたら、その回数を守り、できるからとむやみに回数を増やさない方がいいと思います。少な目の負荷で継続させることが疲労や疲労からくる故障を避ける最良の方法であり、継続こそ力と言われているように、力をつける一番の方法だと思います。
上記運動の大事な要領は、一つ一つの工程をゆっくりと着実に行うことが肝心です。ゆっくりと行うことによって、身体の各部分の動き・リズム・負荷を自分の身体に記憶させていくことができます。「記憶させる」とは身につくように仕向けることを言います。記憶させることができたとき(=身に付けさせることができたと)、身体の各部分の動き・リズム・負荷といった一つ一つの要素は身体の中で有機的に働き合って全体的な統一性を備えることとなり、それが運動エネルギーに転換されるとき、より躍動的な力強さを発揮するはずです。
身につかない力はどう発揮しようもない、満足のいく運動エネルギーに転換しようもない、その逆の原理です。記憶させ、身につくことによって、より力強い力が発揮できる。
回数だけ消化しようとして、せかせか行うと、身につかないでしょう。練習が形式・義務・儀式となるだけです。私自身、ゆっくりと行う運動を「ユックリズム」と名づけています。具体的なイメージで説明すると、童話の「ウサギとカメ」のカメの黙々と一歩ずつ進む着実さを頭に描いています。少しずつ力をつけていくその継続的な忍耐が、精神的な練り強さと同時に身体の内側に大きな力を溜め込み、着実な力の発揮につながるのではないかと勝手に思い込んでいます。
それは少しずつ自分の世界を広げていく生きる作業に通じると思います。この投書が少しでも役に立つようでしたら、幸いです。
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投書には書かなかったことだが、年齢のせいで前立腺肥大が進んでいるらしく、かなり長い間間歇的に発症する股間部分の痛みや不快感に悩まされてきた。尾篭な話で申し訳ないが、1ヶ月前程のことだと思う、朝便意を催したとき、かなり強い痛みを前立腺部分に感じて、用を足すと痛みが治まった。2,3日そんな状態が続き、腸内に溜まった便が前立腺を圧迫して痛みを発症させるまでになったかと、カネがないから医者にも行かず観念して放置していた。直立の姿勢となって両手を前方水平方向に出しながら、膝を曲げる屈伸運動は以前は両足を揃える形で膝を閉じて行っていたのだが、膝を曲げたとき急に股間に前立腺の痛みが走ったのを思い出して、閉じて行うのは前立腺を圧迫することになるのではないかと思い、25センチほど開いて行うことにしたら、それ以降、ウソみたいな話だが、便意を感じようが感じまいが、また他のときも前立腺に痛みを感じなくなり、痛みからも不快感からも解放され、現在に至っている。
単に偶然に直ったのか、他のことが原因してのことなのか、それとも足を開いて行う膝屈伸運動が治療に役に立ったのか分からないが、役立つかどうかは前立腺の痛みや不快感に悩まされている多くの人間が試してみれば分かることで、悩んでいる人がいたら教えて、試しにやってみたらどうだろうか。
実際に治療に役に立つなら、結構。何の役にも立たないということなら、悪しからず。