昨日(06.12.15)、民主、共産、社民、国民新の野党4党は教育基本法案成立阻止を図って、空しい抵抗となる安倍内閣不信任決議案を提出。菅直人民主党代表代行の趣旨説明の演説をNHKのテレビから。
「先ず、恥を知れという言葉を私は――(「恥」という言葉に効果を持たせるべく、気を持たせるように少し間を置く)、あのタウンミーティングの報告書を読んだときに私の頭に最初に浮いた言葉、この言葉でありました――」
対する反対意見を石原伸晃自民党幹事長代理「野党は教育改革タウンミーティング問題で教育基本法案の撤回を求めるとのことでございますが、(糾弾する強い口調となり)一事を以て法案の正当性を非難することはまったく道理に欠ける言いがかりとしか言いようがございません」
自民党の存在自体が「言いがかり」だと思うのだが。
野党が内閣不信任案を提出したあとに中川秀直幹事長が記者会見している。
「民主党は内閣不信任決議案の提出に慎重だと思っていたが、突然の、まあ、国会戦術転換という感じが正直いたします。ま、来年の参院選に於ける野党共闘維持のためのそういう国会戦術転換なのかなと。党利党略に基づく国会戦術は邪道であり、国民の厳しい審判を受けるのではないかと思います」
どうも中川幹事長には政治家というよりも暴力団の組長といったイメージが優先してしまう。第2次森内閣で内閣官房長官に任命されながら就任3ヶ月で辞任せざるを得なかった原因が愛人問題や右翼との交際といったスキャンダルであったが、なるほどなと納得したのも、その風貌からくる印象からだった。類は友を呼ぶといったところなのかなとそのとき思った。
中川幹事長には野党に対して「党利党略に基づく国会戦術は邪道であり、国民の厳しい審判を受ける」といった批判を展開する資格はないはずである。小泉内閣が離党勧告・除名という形で断罪した郵政造反議員を参院選対策のための「党利党略に基づく」無節操な「邪道」を地で行く復党を自身が既に演出し、安倍内閣支持率低下というしっぺ返しに当たる「国民の厳しい審判を受け」ているのである。
舌の根も乾かないうちに、そのことをご都合主義の健忘症よろしく忘れて、「党利党略に基づく」だ、「邪道」だと持ち出す。省察精神というのもがないのだろうか。自民党政治家にそういったことを求めること自体、ないものねだりなのだろう。
安倍内閣の消費税増税隠しも「党利党略に基づく」参院選対策であり、「邪道」としか言いようがなく、お互いに人のことを言える資格があるのだろうか。人間は自己利害の生きものであり、自己を政治家として成り立たせるのも、政権与党を担い自らの政策を展開するのも選挙を基本の利害とし、出発点としなければならない。
カネをばら撒いて票を買うとかのなりふり構わないやり方が問題となるのであって、なりふり構わないという点では不信任案提出よりも郵政造反議員の復党問題の方が遥かになりふり構わない汚点だと記憶しなければならないのではないだろうか。
改正教育基本法は与党の賛成多数で成立した。「国を愛する」教育は形式的には定着していくだろうが、従来以上の従属人間を粗製濫造するだけで、その必然的反対給付として自律性(自立性)に関わる発展は何も望めないだろう。
日本人が元々従属的に出来上がっているところへ持ってきて、「国を愛する」ことを教育するという力学自体が、生活に関わる利害に、あるいは自己人生の利害に現在のところ直接的には関係しないことが理由となって〝従属〟要求と化し(軍国主義の時代に回帰した場合は関係してくるだろう)、その要求に応えるために形式として受け止めることになるだろうからである。
このことは〝必修無視〟問題が逆の証明となる。学習指導要領に違反する行為でありながら学習指導要領に〝従属〟する利害よりも、受験という利害に直接的に関係してくる〝必修無視〟の利害を優先させた発明行為だったはずである。