なかなか手厳しい判決が出た。だが、内容は単に残留孤児に対するというだけではなく、日本の国家権力の一般国民に対する態度をも、ものの見事に炙り出している。いわば中国残留孤児に対して示していた日本政府の人権意識の希薄さは一般国民全体に対して向けられている人権意識の質と谺し合っているのである。
判決は先ず国の残留孤児訪日調査が日中国交正常化直後から開始可能だったにも関わらず、8年間も放置したあとの81年から開始したという怠慢・不作為を糾弾している。怠慢・不作為は人権意識、もしくは人間性を欠いていることによってもたらされる。
そのような人権意識、もしくは人間性を欠いた行政の怠慢・不作為が同じ国民に入る中国残留孤児に向けられていたと言うことは憲法が保障することを命じている「国民の生命・財産」といった人格権・財産権、及びそういった価値観に対する不感症と責任放棄を示すもので、政治家が口を開くたびに言う「国民の生命・財産」なる言葉が政治的都合によって発せられる政治的道具と化していることを暴露するものであろう。
判決が指摘した帰国拉致被害者との支援格差にしても、拉致が現在進行形のホットな政治問題となっている関係上、その対策と有権者の態度が対応し合うことを考慮した政治的都合からの「国民の生命・財産」優先であろう。常に見るべきほどに発揮されることがない「国民の生命・財産」意識が拉致被害者のみに発揮されるたとするのは整合性を著しく欠くことになる。
このことは「国民の生命・財産」対する不感症と責任放棄が日本国民にも散々に発揮されてきたことを例示することによって証明することができる。
戦前の戦争化での自国民・他国民を問わずに向けられた「国民の生命・財産」を無視した残酷な権行為は例を挙げるまでもない。
1950年代には在宅治療が主流の世界標準に反して1996年の「らい予防法廃止に関する法律」の成立まで16年間も強制隔離を続けてきたハンセン病(らい病)対策は「国民の生命・財産」無視の顕著な例の一つであろう。しかし社会の偏見と国の支援対策不備で隔離された施設から退所した元患者は当初は僅かで、殆どが入所したままの状態に置かれた。
2年後の1998(平成10)年7月31日、熊本・鹿児島両県の国立療養所入所者ら13名が国を相手取り国家賠償を請求して熊本地裁に提訴した。2001(平成13)年5月11日に熊本地裁が国の責任を認めて賠償を命ずる判決を出したのに対して、旧厚生省は控訴の方針を示したが、小泉首相が控訴断念を決意、原告勝訴が確定した。
その直後の朝日新聞の内閣支持率調査で小泉内閣は前回の78%から84%に撥ね上がったが、これは明らかにハンセン訴訟控訴断念に対して国民が評価し、その好感が作用した数値であろう。
しかし、控訴棄却した場合の支持率の低下を考えたはずである。なぜなら、小泉首相は竹下内閣と宇野内閣のもとで、1988年から1989年までと、1996(平成8)年11月から1998(平成10)年7月までは橋本内閣のもとで2度厚生大臣を務めている。
1998年3月に発表し、ハンセン病元患者たちから失望と怒りの声が上がった彼らに対する「社会復帰支援事業実施要項」の作成に厚生大臣として関わっていたはずである。4ヵ月後の1998(平成10)年7月31日の国を相手取った国家賠償請求の熊本地裁提訴は、国に期待できないことに対する司法への期待転換が動機としも含まれていたであろう。国が患者に満足を与える支援策を示したなら、何も時間とカネをかけて裁判にかける必要はどこにもないからである。当時の小泉厚生大臣は患者が権利として有している「国民の生命・財産」の保障要求に応えなかった。
こういった経緯に関しては残留孤児にしても事情は同じだろう。政府が例え最低限であっても、生活をしていく上で納得のいく支援策を打ち出していたなら、何も訴訟といった最後手段まで進まなかったに違いない。そして地裁段階では、訴えは正しいと判断された。
小泉首相は2度目の厚生大臣だった時代にハンセン病元患者に対する補償を彼らが満足できる方向と内容で解決しておくべきだったし、解決こそが「国民の生命・財産」の保障の責任ある誠実な履行となったはずである。そうしなかった軽視と不作為が2001年の控訴断念につながったのであり、その責任の一端は厚生大臣を務めた一人として責任を負っているはずである。当然控訴断念を手柄とのみするわけにはいかない。
厚生大臣時代に「国民の生命・財産」への尊重意志を示さずに首相になってから示す一貫性のない姿勢を小泉内閣運営のための戦術だったと見られても仕方がないし、安倍首相が首相に就任した途端に自らの国家主義的歴史認識をアイマイな形に転換としたのと同じご都合主義だと批判されても、反論できないだろう。
その他にも国家権力は「国民の生命・財産」の権利を政治的道具に利用する責任放棄を犯してきている。例えば有機水銀が原因となった水俣病。1956(昭和31)年、熊本大学医学部は、原因を水俣市にある新日本窒素(現在名=チッソ)水俣工場の排水中に含まれる有機水銀が魚類を介して人体に入り、中毒を起こしたものと結論したが、政府に設けられた「水俣病事件関係省庁連絡会議」は汚染源について何の結論も出さず、事後対策も不十分なまま、連絡会議を自然消滅させてしまった「国民の生命・財産」に対する不感症対応と責任放棄を行っている。
9年後の1965(昭和40)年に新潟県で第2の水俣病(新潟水俣病)が発生、昭和電工鹿瀬工場からの阿賀野川への排水を原因として流域住民に多数の水銀中毒患者を発生させた。
1956(昭和31)年の熊本大学医学部の原因究明から遅れること12年の1968(昭和43)年9月になって、政府は水俣病を公害と認定した。12年間の「国民の生命・財産」の無視であり、国民に対する自らの責任放棄である。
政府はその後も患者救済に注ぐべきエネルギーの量・予算額よりも企業救済により多く注いで、「国民の生命・財産」を企業以下に置く国民意識不在の態度を取っている
自民党政府の言う「国民の生命・財産を守る」といった声は信用しないほうが言い。
アスベスト対策の遅れも「国民の生命・財産」軽視の態度から出た無策であろう。1973(昭和48)年に旧環境庁はイギリスでアスベスト工場の労働者や周辺住民に中皮種による死亡者が出ているという研究報告を入手、アスベストを原因としたガン発生を認識していたにも関わらず、「国民の生命・財産」意識の欠如の成果でもある縦割り行政が災いして、2年後の1975(昭和50)年に旧労働省が建設現場でのアスベスト吹きつけ作業を原則として禁止する措置に出た。但し、原料自体が被災しやすい性質も持っていることや、吹き付けてあるアスベストが劣化して飛散することは知っていただろうし、知っていなければならなかったはずだが、工場周辺の環境を守る規制は全く行わなかったという。同じ年にアメリカでは作業現場だけではなく、一般環境でのアスベストの排出量の規制に乗り出していたにも関わらずである。
こういった何もしないことは「国民の生命・財産」意識が不足していなければできない無為・無策だろう。児童相談所の児童虐待死に対して満足に職務を果たせないことで犯すことになる「国民の生命・財産」に対する無能な機能不全に似ている。
4年後の1979(昭和54)年になってやっと旧環境保護庁は学校で使われているアスベストの除去を旧文部省に求めた。旧文部省は子どもの知育・体育全般に亘る健全な育成に関わっている役所である関係から「国民の生命・財産」意識が高く、直ちに、と言いたいが、重い腰を上げるのに8年もかかって、8年後の1987(昭和62)年になって、学校で使われているアスベストの除去を指示する。見事なまでの「国民の生命・財産」に対する配慮ではないか。中国残留孤児のみに向けられていたわけではない。
ところがこの指示は徹底されず、現在も一部の学校でアスベストは残されたままとなっているのは周知の事実となっている。政治家・官僚が無駄遣いするカネはあっても、経済小国なのだから、止むを得ないのだろう。政治家がことあるごとに「日本の将来を担う子供たち」とか、「子供は日本の財産」といったことを言うが、これも「国民の生命・財産」とおなじく、政治的都合によって発せられる政治的道具であることの証明だろう。
1989(平成元)年。工場から排出されるアスベストの規制が始まる。但し、その後もアスベスト製品の製造や使用についての規制は段階的にしか進まない状態が続き、国が全面的に使用禁止を決めたのは昨年の2005(平成17)年7月のことであり、2008(平成20)年までに全面禁止の方針を立てた。
このような「国民の生命・財産」保障に関する対策遅れは、「国民の生命・財産」以上に企業救済を優先させているからである。逆説するなら、企業保護よりも「国民の生命・財産」の保護が下に置かれているということである。
エイズ対策然り、血友病患者救済然り。そして自民・公明の与党が障害者の「負担軽減のために08年度までの3年間で1200億円の予算措置を政府に求めることで合意した」(06.12.2.『朝日』朝刊)としているが、障害者自立支援法の自己負担1割決定のそもそもの発端は「国民の生命・財産」意識の欠如からのものであろう。その決定が不人気だから改めるとしても、「国民の生命・財産」意識の欠如がベースになっていたことに変わりはないのだから、これ以上の安倍内閣の支持率低下を招くわけにはいかないことと、このことが悪影響を与えるかもしれない来夏の参院選対策といった政治的自己都合からの方針転換なのは間違いない。
官僚・役人の予算・税金のムダ遣い・私腹肥やしを解決もせずに、生活保護費の母子加算を3年で廃止する方針にしても、低所得の母子を「国民の生命・財産」保障の重要な対象に入れていないということだろう。ますます子供を産みにくい世の中になる。
格差社会拡大の引き金になるだけの税金を取れるところから取る、削れるところから削るという発想は所得が低い者程「国民の生命・財産」の保障から遠い場所に追いやられることを意味する。肝に銘じよ、である。
最後に熊本地裁の判決が「国民の生命・財産」に対する国の態度を如何に指弾する内容となっているか、記録しておくために『朝日』記事(06.12.1.夕刊)から引用・記載しておこうと思う。
「●帰国に向けた政府の責任
戦闘員でない一般の在住満州人を無防備な状態に置いた戦前の政府の政策は、自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であったというほかなく、戦後の政府としては可能な限りその無慈悲な政策によって発生した残留孤児を救済すべき高度の政治的責任を追う。政府自身、孤児が中国国内で生存していることを認識しており、自国民救済という観点からその早期帰国を実現すべき政治的責任を負っていた。
日中国交正常化によって政府は孤児救済責任を果たすための具体的政策を実行に移すことができるようになった。国交正常化後は孤児帰還に関与する政府関係者は政府の孤児救済責任と矛盾する行政行為を行ってはならず、合理的根拠なしに帰国を制限したとすれば孤児個々人の帰国の権利を侵害する違法な職務行為となる。
具体的には次の①~③が孤児の帰国を制限する違法な行政行為となる。
①入国時に留守家族の身元保証を要求し身元未判明孤児ら
の帰国の道を閉ざした措置。
②孤児が政府に帰国旅費の負担を求めようとする際、支給
申請は留守家族が残留孤児の戸籍謄本を提出するとした
措置。
③86年10月以降、身元判明孤児について留守家族の身元保
証に代わる招聘理由書の提出、特別身元引受人による身
元保証といった、入管法が求めているわけでもない手続
きを求める措置。
●孤児の自立支援に向けた政府の責任
政府は日中国交正常化後、孤児の帰国支援に向けた政策の遂行を怠り、却って本件帰国制限を行うなどして、孤児の帰国を大幅に遅らせた。孤児の大半が永住帰国時、日本社会への適応に困難をきたす年齢となっていたのは、日中国交正常化後も残留孤児救済責任を果たそうとしなかった政府の無策と本件帰国制限という違法な行政行為が積み重なった結果である。
したがって、政府は孤児に対し、日本社会で自立して生活するために必要な支援策を実施すべき法的義務(自立支援義務)を負っていた。
北朝鮮拉致被害者は、永住帰国後5年を限度として、毎月、生活保護よりも高い水準の拉致被害者等給付金の支給を受け、かつ、社会適応指導、日本語指導、きめ細かな就労支援を受けることができる。
拉致被害者が自立支援を要する状態となったことにつき、政府の落ち度は乏しいが、孤児が自立支援を要する状態となったことにつき政府の落ち度は少なくない。したがって、政府に対し実施を求める孤児の自立に向けた支援策が拉致被害者よりも貧弱でよかったわけではない。
ところが、実際に政府が実施した日本語取得、就職・職業訓練に関する支援策は、きわめて貧弱であり、生活保持に向けた支援についても、生活保護の受給期間を帰国後1年を目途とする運用がされていた。そして、関係者は、日本語能力や職業能力が十分身についていない状態の帰国孤児に対し、かなり強引に就労を迫っていた。
厚生大臣は、過失により、帰国孤児に対する自立支援義務を怠っていたというほかなく、被告は、その国家賠償法1条により、損害を賠償する責任を負う。その損害とは、自立支援義務が履行されていれば原告らが置かれていたであろう原告らの現状との格差であり、これを償うための慰謝料の額は、原告ら一人当たり600万円とするのが相当だ。
●国会議員の自立支援立法の不作為
政府としては、生活で困窮する孤児の生計を維持するため、生活保護とは別の、継続的給付金あるいは年金の制度を実施する必要があると思われる。裁判所は、どのような内容・金額の給付を定めた立法をすれば違法状態が解消されるのかを判決で具体的に示すことはできない。示すことができないのに、立法不作為が違法であるとの判断を下すことは不可能だ。」