補助金の受給側である枚方療育園・山西悦郎前理事長から<高級乗用車とともに、数百万円に上る自宅の改築資金などの提供も受けていた厚生労働省九州厚生局の松嶋賢(まさる)・前局長(59)。キャリア官僚の“指定席”とされる本省の主要ポストを渡り歩いた「ノンキャリアの星」は、前理事長から受け取った現金を、同僚や部下との飲食にも使っていた。>(07.8.29/読売インターネット記事≪太っ腹「ノンキャリの星」前厚生局長 受領の金で部下と飲食≫)
見出し文字で分かるように、<豪放で明るい性格を慕う職員も多く、同僚や部下との飲食の席でも、「数万円の費用をポンと現金で出すことが度々あった」(同省職員)という。「松嶋さんは私たちの星だった」。福祉畑とは全く関係のないノンキャリア職員もそう語る。>(同記事)と部下に慕われるその理想的な人物像を伝えている。
その経歴は記事によると、<松嶋前局長は1976年に当時の社会福祉事業振興会(現・福祉医療機構)から旧厚生省に入省。主に福祉畑を歩み、04年7月には、キャリア官僚しか就けないポストとされてきた本省障害保健福祉部の障害福祉課長に就任した。
同課は当時、障害者自立支援法案の策定を担当していたが、障害者団体などから激しい反発を受けて調整が難航、キャリアの前任課長は交代することになり、その後任としての抜擢(ばってき)人事だった。
ここで松嶋前局長は、障害者団体への根回し、財務省との予算折衝、さらに国会答弁と、目覚ましい働きを見せ、同法成立の「立役者」との評価を受ける。
05年10月には、この功績が認められ、同じく“キャリアポスト”の同部企画課長に就任。さらに昨年9月から今月24日に勇退するまで、ノンキャリアとして初の審議官級である九州厚生局長を務めていた。>というから、なかなかの政治手腕の持主だったことが分かる。
だからと言って、不正な金銭授受に関わっていいというわけではないこと論を俟たない。
国からの補助金の受給側である枚方療育園・山西悦郎前理事長の弁明。
<◆前理事長、松嶋前局長に「会うたび小遣い」
枚方療育園の山西悦郎前理事長は、読売新聞の取材に対し、松嶋前局長との関係について、妻がいとこ同士であることから40年近い付き合いがあると説明したうえで、「あいつには家の修理費を出したり、会うたびに小遣いをやったりしていた。あいつが『生活が苦しい』といっていたから」などと話した。
さらに、松嶋前局長が別の厚生官僚と一緒に来た時には「その役人にも金をやったよ」などと明かしたが、「仕事のことでお願いもしていないし、悪いことは一切やっていない」と強調した。>
だが、別の読売インターネット記事は<松嶋前局長は、読売新聞の取材に「せんべつなども含め、資金提供の総額は2000万~3000万円になると思う」と語った。また、無償で供与された乗用車が計3台に上ることも明らかになり、多額の補助金が交付される社会福祉法人との癒着を長期間見逃していた同省の責任も問われそうだ。>(07.8.31≪前九州厚生局長「資金受領は2000万~3000万円」≫)と伝えているが、「会うたびに小遣いをやったりしてい」てつもり積もったとしても多額に過ぎ、一般的常識からしたら「小遣い」の範囲を超える。
松嶋前局長が<同僚や部下との飲食の席でも、「数万円の費用をポンと現金で出すことが度々あった」>「太っ腹」なら、妻がいとこ同士ということだけで、本人同士は何ら血縁関係のないにも関わらず「2000万~3000万円」も与えた枚方療育園の山西悦郎前理事長も相当な「太っ腹」と言える。「太っ腹」同士の熱い付き合いがなさしめた「せんべつなども含め、資金提供の総額は2000万~3000万円」だったということなのだろうか。
私が中学生か高校生だった頃、50年も前のことだが、父親が「自分の懐を痛めない他人のカネで飲み食いすることほど楽しいことはない。一度味を占めると、いくらでも卑しくなれる」といったことを言ったことがある。
多分官僚・役人の類が飲み食いの不正な接待を受けていたことの露見記事を見て、人間というものが如何なる生きものなのか自分なりに子どもに解説してみせたのだと思う。当時はまだテレビがなく、主たる報道媒体は新聞かラジオしかなかった。
性格もカネ次第である。いくらネアカな人間でも、カネに窮すると暗い気持ちとなり、窮している間は鬱々と過ごさざるを得ないだろう。「同僚や部下」が<飲食の席でも、「数万円の費用をポンと現金で出すことが度々あった」>「豪放で明るい」と「慕う」に至った厚生労働省九州厚生局・松嶋某の「太っ腹」は自身が稼いで得たカネを原資として演じることができた「太っ腹」はなく、自分の懐を痛めずに他人から不正にカネを得て当然としている卑しさが可能とした性格であり、「同僚や部下」にしても自分の懐を痛めない松嶋某という他人のカネで飲み食いを受けて当たり前としている卑しさが可能とした、そう思うに至った「豪放で明るい」であろう。
「豪放で明るい」と、あるいは「太っ腹」とカネに対する卑しさは決して両立しない性格である。普段厭な奴だなと思っている上司からタダで飲み食いを受けて楽しんだとしたら、自分の卑しさを意識せざるを得ないが(全然意識しなかったとしたら、ウソになる。意識したとしても続けて飲み食いを受けるのは自分のカネを使わずに済む安上がりとタダで飲み食いできる卑しさに負けるからに過ぎない)、厭でない上司なら、いくらタダで飲み食いを受けたとしても、その卑しさは厭でないという印象や上司という立場が免罪符となって意識の底に沈めることができる。
つまり松嶋某は自分が見せる「豪放で明るい」も「太っ腹」も他人から不正にカネを得ていた卑しさを隠す自己免罪の方便としていただろうし、「同僚や部下」にしても他人のカネで飲み食いの楽しみを味わう卑しさを自己免罪してくれる「豪放で明るい性格」の上司ということだったに違いない。
性格もカネ次第だと言ったが、自分の懐を痛めない他人のカネで飲み食いさせることができたなら、大抵の人間が太っ腹になれだろう。何しろ自分の懐を痛めないのだから。カネのない人間が自分の懐を痛めて恒常的に他人に飲み食いさせるとしたら、一見「豪放で明るい」と見えても、無理をしているだけのことで、愚かな人間のすることだろう。
サラ金や知人からカネを借りてまでして、友達にいいとこを見せたいばっかりに飲み食いに連れて行き、気前よく支払いを引き受ける類の人間がいるが、これもサラ金や知人という他人のカネで勝負する気前の良さに当たる。そこには他人のカネを使ってまでしていいところを見せようとする卑しさといつかは返さなければならない羽目に立たされることを考えない愚かさが目立つ。
内閣の改造で新しく就任したばかりの桝添厚労相の<「便宜供与の認識はなかったのだろうが、業者と役所の癒着は絶対に許せない。額や車にしたって、普通の人の常識では論外。国民の納得のいく形で、厳正な措置を取りたい」>((2007/09/01西日本新聞朝刊≪舛添厚労相 「前局長、厳正に措置」 金品受領 厚労省が本人に聴取≫)とする意向が<「給与や退職金の返納、高級車の返却を検討している>(07.9・1/読売社説)≪厚労相前局長 「公私の区別」に曇りがある≫)となっているのは、国家公務員倫理法が現役職員のみの違反を対象としていて、在職時に違反があっても退職者は懲戒処分の対象とはしていない規定となっていることからの「返納・返却」だそうだ。
このような規定は改正政治資金規正法が資金管理団体に限り5万円以上の経常経費支出に領収書添付を義務付け、他の政治団体にはこの規制が及ばないのと似た構図を取るザル法だったことの証明であろう。捜査の手を感じたなら、逮捕前に素早く退職すれば、国家公務員倫理法の網を逃れることができる。
今日9月1日朝のNHKのニュースでは桝添厚労相は「再発防止に努めたい」と伝えていたが、「再発防止に努め」るだけではなく、なぜこのようなザル法になったかを検証すると同時に、このようなザル法を国家公務員の倫理を規定する法律ですと掲げてきた自民党政府の態度も糾弾すべきだろう。
国会で審議を尽くした、賛否を取り、国会を通過し、成立・公布に至ったとしても、抜け道のあるザル法ということが多々ある。このような実態は安倍首相の何本法案を国会を通過させた、成立させたかの功績自慢を帳消しするものだろう。
法律に完璧なものはない。完璧だと思っても、人間の狡猾さが見かけの完璧さを常に上回るからだ。だから、法律は改正を重ねる宿命を負う。このことに安倍首相は気づかない単細胞だから、国会を通過させただけ、成立・公布に持っていっただけで成果とすることができる。
「再発防止」を目的にどのように法律をつくり替えていくかも大事だが、松嶋某だけではない政治家・官僚の金銭その他の便宜供与を受ける卑しさ・コジキ行為と、「同僚や部下」の自分の懐を痛めないで他人のカネでタダの飲み食いを当たり前の如くに受ける卑しさ・コジキ行為を何よりも問題とすべきではないだろうか。
政治家たちが不正に付け替えた事務所経費が何千万にのぼるといったことだけではなく、カネの収支・出入りを操作して、公にできない後暗いカネをそこに潜り込ませたり、逆に金を浮かせて、それを不正に使用したりして表向きは公明正大を装う、あるいは有能な政治家を装う卑しさ・コジキ行為を問題とすべきだろう。