ハコモノの馬脚を露わした「チーム安倍」の縮小

2007-09-10 04:34:45 | Weblog

 官邸主導から党主導へ城の引渡し

 07年9月8日土曜日の朝日新聞朝刊。≪「永住」覚悟・・1年で帰省 チーム安倍 公募の3参事官≫

 <昨9月の安倍政権発足時に、官邸機能の強化策の一環として、各省庁から公募で募った官邸の「特命室」のメンバー10人のうち、3人が出身の役所に戻る人事が7日付で発令された。内閣改造に戻って首相補佐官が減員されたのに続き、「チーム安倍」の縮小が続いている。
 戻ったのは環境、防衛、経産各省の内閣参事官。退任した広報担当の世耕弘成、安保担当の小池百合子両前補佐官らのもとで働いていた。
 安倍首相は就任前、自民党総裁選の公開討論会で「一緒に官邸でやっていき、(出身省庁に)戻ることは考えないという決意の人と一緒に仕事をしたい」と発言。公募メンバーを首相周辺から「骨を埋めるつもりでがんばって欲しい」と求められたが、「結局は名ばかりだった」(関係者)との声も出ている。>――

 記事は<「チーム安倍」の縮小が続いている。>と伝えているが、より正確に説明するとするなら、<「チーム安倍」のジリ貧状態が続いている。>と表現すべきではなかったろうか。

 「官邸主導」を宣言し、何か言うたびに「私の内閣」、「私の内閣」を連発してきた。「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」、年金問題は「すべて私の内閣で解決する」、同じく年金問題、「すべてですね、先送りされてきた問題がすべて、私の内閣で解決する――」と自らの内閣の万能性をアピールして、「官邸主導」がさも実体的に機能しているかのように見せてきた。

 これらすべては参院選で大敗する前の言葉である。ところが参院選の結果がその万能性をことごとく奪ってしまった。いわば実体を伴わなかった万能性であり、言葉で見せた万能性に過ぎなかったことが露見したということだろう。

 「首相補佐官の減員」とは、経済財政担当・根本匠、小池百合子が防衛相に任命されてから空席となっていた国家安全保障問題担当、拉致問題担当・中山恭子、教育再生担当・山谷えり子、広報担当・世耕弘成首の各首相補佐官のうち、拉致問題担当・中山恭子と教育再生担当・山谷えり子を残して、残りは廃止されたことを言う。

 残された2人がすべて女性なのは、安倍首相を批判しないおとなしく忠実に従うだけの存在と看做したからなのか。世耕広報担当は安倍首相の「美しい国」を批判している。「美しい国」などどここにも存在しなかったし、どこにも存在させることはできないことに今以て気づかないのだから、底なしの単細胞としか言いようがない。特に政治家は権謀術数を便法として自ら利用するケースが多々あるのだから、どんな場合でも「美しい」なる言葉を口にする資格すらないはずである。

 小池百合子が防衛相に転任せずに国家安全保障問題担当首相補佐官にとどまっていたなら、留任させて首相を批判しない忠実な僕(しもべ)に加えて3人の女性に取り囲まれ、自己満悦に耽っていた可能性も考えられる。安倍首相には一番似つかわしい成果でもあるに違いないが。

 国家安全保障問題担当、経済財政担当、広報担当の各首相補佐官と「特命室」のメンバーの参事官の減員は、「結局は名ばかりだった」(関係者)「私が内閣が」の官邸主導から党主導への転換なのは誰の目にも明らかであり、言ってみれば城の引渡しに当たる。

 いわば官邸主導が口先だけの中身はなかった、あるいは中身をつくることができなかった「結局は名ばかりだった」ハコモノであったことの暴露であろう。

 その結果の党主導への〝城の引渡し〟なのだが、〝城の引渡し〟を厳密に言うなら、安倍政治、あるいは安倍改革の終焉を意味する。元々ハコモノに過ぎなかった安倍政治・安倍改革であるが、だからこその党主導への城の引渡しなのだろうが、それでも参院選与野党逆転後、安倍首相は「この選挙に於いて私は自民党の総裁として当然責任は私にあるが、反省すべきは反省しながら、総理として今進めている改革をしっかりと実行していくことが大切だと思う」と、城の引き渡しを無視し、安倍政治・安倍改革の終焉を無視して安倍改革の継続を謳うという矛盾を演じている。

 体裁上そう言わざるを得ないからの改革継続演技なのだろうが、だからと言って、安倍政治・安倍改革がハコモノであることから脱することができるわけではない。ハコモノで見せるしか手はない安倍首相の口先政治であり、そういった能力の限界を宿命としている。ハコモノの象徴・代表が「美しい国」なのは言うまでもない。

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