平沼復党と「自民党は独裁政党ではない」と言うこととの矛盾

2007-09-28 03:01:42 | Weblog

 内閣の政策と異なる政策を党内であからさまに言い出すと、自民党は独裁政党ではないから、異なる考え・意見があっても不思議はないとか、派閥の決定に従わない所属員が生じると、かつては鉄の結束を誇ったが、派閥は独裁組織ではないから、派閥の決定に絶対従わなければならないわけではないと言う。自由民主党は名前の通り、自由な組織なんだと。

 「独裁ではない」ということは、ごく当然のことだが、思想・信条の自由を認め、原理・原則のルールとしているということだろう。

 小泉内閣で政府が提出した郵政民営化法案に反対票を投じ、あるいは棄権したために解散総選挙で自民党公認を得られなかったばかりか、自民党の全面的なバックアップを受けた、いわゆる刺客なる対立候補を立てられて落選組まで生じせしめ、党除名や離党勧告を受けて自民党を追われた国会議員をつくり出したが、自民党の思想・信条の自由は法案採決前までで、採決を境に異なる姿勢・異なる意見を一切認めない限定つきの保障のようだ。

 アメリカでは共和党の法案に民主党議員が賛成票を投じたり、その逆もあり、自己の所属する党の法案に反対したりといったことがごく当たり前のように行われていると思うのだが、日本の自由民主党の場合は最終的には個人は党によって思想・信条の自由を取り上げられた場所に置かれているようだ。何と窮屈な思想・信条の自由なのだろうか。

 法案を賛否にかけるまでの思想・信条の自由でありながら、「自民党は独裁ではないから」とことさらに断る。制限付をカモフラージュする口実なのか、許されている場所があることをせめて訴えたいからなのか、どちらにしてもわざわざ断らなければならないところが苦しい。自然な形で全面的に許されていないことがことさらの断りを生じせしめているに違いない。

 このことは自民党だけのことなのか、他も党も似たり寄ったりなのか、後者なら、日本の政党は思想・信条の自由が空気のような存在となっていないことを示す。

 日本には「党議拘束」という思想・信条の自由を制限する規定が存在する。Wikipediaで自由民主党の「党議拘束」を見てみると、自由民主党の<総務会は31名の総務をもって構成され、党の運営及び国会活動に関する重要事項を審議決定する。幹事長を始めとする党内人事の指名に関する承認権限も持っているが、総裁や幹事長の指名を追認する事例が殆どである。また、総務会が党の役員会に決定を一任する事例もある。政府が国会に提出する政府案は閣議決定前に総務会で事前承認されることが原則となっている。総務会で可決された案には「党議拘束がかからない」とする旨の文言がある場合を除いて、党議拘束がかかる慣例となっている。また、党則では総務会は多数決が明示されているものの、党内に亀裂を残さないために全会一致を原則とすることが慣例化されており、議題に反対する総務がいても反対意見を述べた上で退席し、形式的に全会一致としていた。総務会決議による党議拘束を解除するには、党則によると党大会もしくは両院議員総会における議決が必要であるが、過去に例はない。
小泉純一郎が総裁に就任してからは、総務会による事前審査なしでの政府案提出や多数決による採決が行われるようになってきている。>

 <総務会で可決された案には「党議拘束がかからない」とする旨の文言がある場合を除いて、党議拘束がかかる慣例となっている。>の<「党議拘束がかからない」とする旨の文言>なる規定は、<議題に反対する総務がいても反対意見を述べた上で退席し、形式的に全会一致としていた。>と同じく形式的な規定に過ぎないのだろう。形式的でなければ、全会不一致もいいわけで、全会不一致が許されるなら、国会の場での反対も許されることとなって、「党議拘束」は不要となる。だが、そうはなっていない。

 このことは小泉内閣が自ら提出した郵政民営化法案に反対した自民党国会議員に対して除名・離党勧告を行い、反対に対する懲罰を厳しく行ったことが証明している。議員それぞれの思想・信条の自由を抹殺したのである。

 一見すると、<小泉純一郎が総裁に就任してからは、総務会による事前審査なしでの政府案提出や多数決による採決が行われるようになってきている。>という説明は総務会の思想・信条の自由に対する規制を緩めたようにも解釈できるが、郵政民営化法案採決で思想・信条の自由を否定し、造反議員に懲罰まで与えた独裁意志から判断すると、総務会の「党議拘束」の権限が小泉純一郎に移って、「小泉拘束」としたということではないだろうか。

 だから、福田新内閣の伊吹幹事長が「平沼復党」に前向きであっても、小泉首相が伊吹氏と平沼氏がかつて同じ派閥に所属していたことを念頭に「党のためになるかどうかを第一に考え、ときには友情を切る非常さも必要だ」(07.9.27日テレ24)と懲罰を与えた本人として反対しているのも、採決の時点では思想・信条の自由を許さない「小泉拘束」を今以て効力あるものとしていることの証明でもあろう。前の復党でも、小泉純一郎が遠まわしな言い方で反対したことを武部前自民幹事長は伝えている。

 「私はねえ、さっき小泉総理と会いました。心配してましたよ。既得権者の票を当てにして、絶対参議院は勝てっこないと言ってましたよ」

 自民党執行部が平沼復党には「郵政民営化を支持する文書の提出が必要だ」としているのは前の復党劇と同様の〝踏み絵〟を要求する行為であって、あるべき思想・信条の自由を自ら侵すものだろう。前の場合は次のような条件を掲げた。

 ①郵政民営化を含む「政権公約2005」の遵守
 ②安部総理の所信表明演説への支持
 ③党紀・党則の遵守

 だが一方で、現職である平沼氏と落選組の復党は分けて考えているということは、選挙や頭数を基準とした復党で、思想・信条の自由の観点からの修復とはなっていない。依然として思想・信条の自由から離れた場所で相互の利害を角突き合わせているに過ぎない。

 小泉元首相にしても、平沼復党反対は自分が決定した離党勧告であることと、復党した場合、いわゆる小泉チルドエレンに不都合が起こる懸念からの「ときには友情を切る非常さも必要だ」であって、思想・信条の自由からの観点からではないことははっきりしている。懲罰自体が思想・信条の自由にツバ吐きかける独裁行為だったからである。

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