麻生のハコモノ度、安倍並みかそれ以上

2007-09-25 14:53:52 | Weblog

 9月24日(07年)の自民党総裁選挙の結果。

 福田――議員票/254  都道府県票/76  計330 (62.6%)
 麻生――議員票/132  都道府県票/65  計197 (37.4%)

 この結果に大方のマスコミが麻生候補の予想外の善戦・健闘と伝え、派閥批判の反動、派閥求心力低下等々分析。意気軒昂なのは麻生太郎である。<地方票を足しても90票程度」と悲観的な読みを口にする陣営幹部もいたほどだった。>(07.9.24/デーリースポーツ≪自民総裁選、麻生氏予想外の大善戦≫)選挙前の萎えた予想に反して、<麻生氏は23日夜、「オレんとこ(麻生派)16人しかいないんだぜ。それが(議員票だけで132票と)約9割増えた」「197票は大事な大事な財産です」と満面の笑みで手応えを口にした。>(07.9.24/日刊スポーツ≪麻生氏予想外!?197票に完敗してカンパイ≫)程の大機嫌である。

 安倍の次はオレだ、と固く思い定めていたに違いないが、今回の結果から福田の次は今度こそオレだと意を強くしたに違いない。寅さんなら、結構毛だらけ、ネコ灰だらけと言うかどうかは分からない。

 官房長官に町村が鎮座したなら、内閣ナンバー2の座である、本人も一度は総裁選に色気を示しているのだから、福田選出に力添えした自民党最大派閥の領袖という力をバックに同じ派閥の福田から派閥領袖の町村へという有利な条件も味方にして、ナンバー2からナンバー1へバトンタッチということもあり得る。運悪くそうなったなら、男麻生太郎、町村の次は今度こそオレだと思うほかない。

 <党員投票を実施した35都道府県の党員票の総数では、麻生氏は25万3692票と、福田氏の25万613票を上回った。「演説をした東京、大阪、高松、仙台は勝っている。偉い方が決めるところ以外の党員投票をやったところでも得票総数で勝った。それがうれしかった」。総裁選落選は3度目となったが、「4度目の正直」について「この世界一寸先は闇だからなあ」としながら「期待にはこたえなければならない」と気力をみなぎらせた。>(上記日刊スポーツ)。

 都道府県投票総数では麻生太郎が上回ったものの、結果は24日の朝日朝刊が≪地方票は54%対46% 麻生氏、予備選ほぼ互角≫は<福田氏が39都道府県から計76票を獲得し、過半数を制した。都道府県連票に期待をつないだ麻生氏は、予備選を実施した東京や神奈川、千葉、大阪など大都市圏を中心に善戦したが、36都道府県の計65票(同46%)にとどまった。>と伝えている。

 「偉い方が決めるところ以外の党員投票をやったところでも得票総数で勝った」という発言は、派閥力学に支配されない、そこから離れた磁場を条件として投票が行われたなら、オレが勝っていたという思いが言わせた発言に違いない。福田は派閥の力、オレは自分の力、といった具合に。

 だが、派閥政治の是非を基準に投票した議員、党員がいたとしたら、俺は派閥政治に反対だから、福田ではなく、麻生に投票したというケースがあったことも考えなければならないから、麻生票のすべてが麻生政治を支持しての票とは限らない可能性を差引き計算しなければならない。いわば、すべてオレの力とするわけにはいかない。

 断るまでもなく、都道府県連党員投票はそれぞれの地域の利害が映し出される。年金記録問題以上に高齢化や人口流出、雇用機会の少なさといったことが原因した地方の衰退が必然的につくり出した都市と地方の格差の問題、あるいは地域間格差の問題を特に地方格差の被害が著しい地域の人間は喫緊の課題としていたに違いない。

 そうである以上、両候補それぞれにその解決を訴えて支持獲得の重要な柱としなければならない。それを毎日新聞のインターネット記事(07.9.17≪自民総裁選:福田氏「小泉継承」麻生氏は「脱小泉」色で≫)で見てみると

 <麻生氏は昨年9月の総裁選で、安倍氏との政策の違いをあえて鮮明にしなかった。もともとお互いの考えが近かったせいもあるが、ポスト安倍をにらんだ「禅譲」狙いの戦略だった。しかし、今回は、8派が推す福田氏との違いを打ち出さなければ展望が開けない状況に追い込まれている。
 では、小泉改革のどこを「修正」するのか。7月の参院選で1人区を中心に自民党が惨敗したことを踏まえ、両氏はともに地域間格差の問題に焦点を当てている。
 「小泉改革の中で経済合理主義を追求した部分がある。その結果が都市と地方の問題になった。企業間格差、雇用の格差も生じた。その格差を埋める努力をしなければいけない」。福田氏は16日の立会演説会で、格差是正に取り組む考えを強調した。
 麻生氏も同日の街頭演説で「市場競争原理主義みたいなものにくみすることはできない。配慮がいる。地方の景気は難しいという面を考えないと(いけない)」と訴えた。>

 その結果として地方は≪地方票は54%対46% 麻生氏、予備選ほぼ互角≫(上記『朝日』)なる審判を下した。麻生太郎側は劣勢を撥ね退けての「予備選ほぼ互角」という成果なのだから、当然麻生太郎にしたら、「偉い方が決めるところ以外の党員投票をやったところでも得票総数で勝った」という読み――派閥選挙でなかったなら、俺が勝ちだという読みを披露しないわけにはいかなくなったのだろう。

 が、しかしである。「地域間格差の是正」を言うなら、「演説をした東京、大阪、高松、仙台は勝っている」と誇るのは言っていることに少なからず矛盾が生じないだろうか。「演説をした東京、大阪、高松、仙台」はそれぞれが都道府県庁所在地であり、それぞれの都道府県の勝ち組都市であるだけではなく、日本という国の中でも勝ち組に所属する都市だからである。特に東京は第1位の勝ち組、大阪は≪大阪―Wikipedia≫によると、
 
 <大阪都市圏
 大阪市を中心とする都市雇用圏(10%通勤圏)は、奈良県、兵庫県、京都府、和歌山県、滋賀県、三重県におよび、約1212万人(2000年)の人口を擁する日本第2位の都市圏を形成している。大阪市への流入超過人口は107万人であり、昼間人口は366万人となって、横浜市の昼間人口を越える。>

 仙台も大都市の部類に入るだろうし、同じくWikipediaによると高松市は<四国の北東部、香川県のほぼ中央に位置する都市で、同県の県庁所在地である。旧香川郡。国から中核市に指定されている。瀬戸内海に面する四国の港町の一つでもあり、本州に最も近い地の利を利用して、江戸時代には譜代大名・高松藩の城下町として盛えた。現代以降も四国の玄関口、支店経済都市として四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、企業の四国支社・支店の多くが置かれた。かつてこの街のシンボルであった高松城天守は明治時代に破却されたが、2004年に高松シンボルタワーが完成して以降は、それがシンボル的存在になっている。 四国地方の最大の都市ではないが、四国地方の政治経済の中心都市である。>

 勿論、その場に集まった聴衆に対してだけではなく、メディアを通してそれぞれの都市が属する都道府県全体、さらに日本全国に向けて地域間格差の是正を訴えたのだろうから、地域格差の被害に遭っている地域の人間にも届いて、それらの情報をもとに投票態度を決したに違いない。だが、集まった聴衆の多くがそれぞれの都道府県に於いてだけではなく、日本全体に於いても勝ち組に位置する都市の住民だろうし、格差の痛みに左程敏感とは思えない住人たちであったろう。にも関わらず「東京、大阪、高松、仙台」と勝ち組都市の名前を挙げることができたのは、都市の格差の痛みに左程敏感とは思えない種類の聴衆ではないかと差引き計算する疑いの意識を欠落させていたからできたことではないだろうか。

 もし集まった聴衆の多くが地域格差の被害を受けている地域の党員を動員したものであり、例えそこで麻生太郎の演説を聞いて麻生太郎に投票を決めた党員がいたとしても、動員の所期の目的はあくまでもその場の関心の強さを演出することを目的としたもので、動員がなくてもテレビ・新聞で演説内容は知ることができるのだから、街頭演説と票数とを結びつけることは必ずしも正確とは言えない。単に勝ちを制した地域と街頭演説が行われ場所は偶然に一致したという可能性も考えなければならない。そのことをも差引き計算したなら、やはり単純に「演説をした東京、大阪、高松、仙台は勝っている」とは言えなかったに違いない。少なくもと、「偶然の一致かもしれないが」という断りを一言入れるべきだろう。

 もしも地域格差を受けて困窮している地域をどうにかしなければならないと心底考えていたなら、聴衆に直接語りかけながらも、気持ちの中では真に語るべきは困窮した地域の不特定多数の住民であると思い定めて、そこに意識の的を絞って語りかけていただろうから、それが動員された聴衆であろうとなかろうと、特定少数に過ぎないのだから、差引き計算もなく「東京、大阪、高松、仙台」と勝ち組都市の名前を挙げることはできなかったに違いない。

 差引き計算できない場面は他にも見ることができる。麻生太郎が秋葉原で行った街頭演説ではアニメやマンガを通して熱狂的に人気があるというアキバのオタクたちが大勢集まり、大騒ぎの大歓迎を受けた。気をよくして、「秋葉原では結構評判がいいみたいだが、キャラが立ちすぎて永田町の古い自民党にはあんまりウケがよくない麻生太郎です」と天と地の人気の格差をご満悦顔に一席ぶった。テレビがその様子を映し出し、新聞も伝えていたが、そのご満悦顔はアキバの群衆が示す熱狂から、彼らがどれ程政治を知っているか、どれ程長続きするのか、政治を知っていて麻生を支持しているのか、その程度を差し引き計算しない無条件の満悦であった。

 また、開票日に党本部前に若者が投票前の午後1時ごろから300人近くが集まって、午後4時頃まで「麻生」コールを繰返し、福田当選を知ると泣き出す若い女性もいたというフィーバー振りだったそうだが、その様子を上記日刊スポーツ記事≪麻生氏予想外!?197票に完敗してカンパイ≫は次のように伝えている。

 <両院議員総会が行われた自民党本部前には、正午ごろから「YES! 麻生」のプラカードなどを手に約300人の麻生サポーターが結集。インターネット掲示板「2ちゃんねる」での呼び掛けなどで集まった若者が中心で、機動隊数十人に取り囲まれながらも、総裁選終了後の午後4時ごろまで「麻生! 麻生! 麻生!」と連呼し続けた。
 連呼が途切れたのは午後3時15分すぎ、選挙結果が発表され、麻生氏の善戦にどよめきが起きた時と、福田氏擁立を画策した森喜朗元首相(70)が党本部から現れ、ブーイングに切り替わった時の2回だけ。午後4時前に30人以上の報道陣とSPに囲まれた麻生氏が、車道を中央分離帯まで横切って「ありがとう、ありがとう」と両手を振ってもエールは止まらなかった。
 麻生氏は「(大勢が応援に駆け付けた)新宿、秋葉原。そして今日の永田町。あれ、多分、自民党員ゼロよ。2ちゃんねるで(スレッドが)立ったんだろうけど、永田町にあんなに人が集まるなんて過去に例はない。すごく感激した」と話した。>

 この<「ありがとう、ありがとう」と両手を振って>エールに応える感激した様子、「永田町にあんなに人が集まるなんて過去に例はない。すごく感激した」という態度はやはり麻生政治を真に理解した反応かどうかの差引き計算なしの単純反応がつくり出している無条件の感激であろう。

 いわば「演説をした東京、大阪、高松、仙台」の聴衆、アキバのオタク、総裁選投票日の党本部前で演じられた若者300人等に対する麻生の反応・受け止めは言ってみれば差引き計算して中身を弾き出すべきを、そういったことをしていないゆえに中身を問題とせずにハコモノ状態のまま表面を表面どおりに見た反応・受け止めとなっている

 安倍首相は国家というハコモノだけを問題とした。改正する必要もない教育基本法を単に日本人の手でつくるというハコモノの考えから改正して、そこに中身の国民を考えない国家を優先させる愛国心を埋め込み、それを成果とした。ハコモノ思想の点で、本質的には麻生太郎も安倍晋三と似た者同士のようである。

 9月19日(07年)の外国特派員協会での福田・麻生自民党総裁選両候補の記者会見では麻生太郎は靖国参拝問題について、「自分の国のために尊い命を投げ出してくれた人たちに対して最高の栄誉を以って祀るということを禁止している国は世界にないと思います」との論理展開で、兵士の行為を肯定することを通して、戦前の戦争を肯定する安倍首相と同じ国家主義者である。同じハコモノ思想の持主なのは当然の帰結とも言える。

 「新宿、秋葉原。そして今日の永田町」の熱狂が総裁選での麻生票を保証する熱狂なら、ハコモノであることを超えて価値ある現象ということになる。本人も言っているように「あれ、多分、自民党員ゼロよ」ということなら、殆ど総裁選に役立たない、あるいは当選を保証しない情景に過ぎない。

 「永田町にあんなに人が集まるなんて過去に例はない。すごく感激した」という最後の言葉を窺うと、総裁選での麻生票を保証するのかどうかの差引き計算をして中身を弾き出したものではないハコモノのまま、その表面的な多人数、その凄さに感激しているしか思えない。

 麻生太郎が上記若者たちの麻生人気の情景を夢にまで見て、夢の中でニンマリするようなら、安倍晋三以上のハコモノ政治家と言われても仕方がないだろう。安部晋三同様に、大いなる宰相像を夢見るがいい。安倍晋三を例に出すまでもなく、ハコモノの行く末は目に見えている。

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