日本民族優越性(=無誤謬性)を残したままの沖縄集団自決結末

2007-12-29 10:03:13 | Weblog

 「沖縄集団自決検定」問題は「軍の直接的強制」はなかったとする検定意見を撤回しないまま教科書への「軍の関与」はあったとする記述は認めるねじれた修正結果となった。と言うよりも、姑息的な一時凌ぎの結末を見せた。

 当ブログ『ニッポン情報解読』by手代木恕之の07年10月3日記事≪沖縄集団自決検定/「政治的介入はあってはならない」のマヤカシ≫で(検定)<修正して沖縄県民が納得した場合、沖縄県民感情への考慮から発した修正だということになって、「考慮」は「事実」とは異なるとする暗黙の思惑が裏打ちされることになり、軍命令による「集団自決」はなかったが永遠の動かぬ「事実」だとされかねない。>と書いたが、「軍の直接的強制」はなかったを「事実」とする基本線を維持した「軍の関与」修正なのだから、例えば麻生太郎が2003年5月31日に日本の知性の最高峰東京大学の学園祭で「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」と最高峰の知性に見合う講演を行い、韓国から発言の撤回と謝罪、議員辞職などを求める抗議文を受けて「言葉が足りず、真意が伝わらなかったことは誠に残念だ。遺憾な発言であり、韓国国民に対して率直におわびを申し上げる」と謝罪したものの、麻生太郎の中ではあくまでも「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」が歴史の「事実」であり、「言葉が足りず、真意が伝わらなかったことは誠に残念だ」云々はこれ以上騒がれて自身の地位を危うくすることを避ける自己保身からの沈静化のための表面的な取り繕い・一時凌ぎに過ぎないのと同じ構図を持つ、「軍の関与」は「軍の直接的強制」否定を「事実」とするための止むを得ない措置であり続けるに違いない。

 そしてまた「沖縄集団自決」検定に関わるこのような歴史認識修正の構図は安倍晋三前首相の従軍慰安婦問題での「広義の強制性」は存在したが「狭義の強制性」は存在せず、軍の直接的な強制はなかったとする主張と対応する日本軍無罪説を基盤としている。

 この手の日本軍無罪説は安倍晋三も含めた日本の保守国家主義政治家たちが脈々と受け継いできた日本民族は優越民族であるゆえの日本民族無誤謬説(=侵略戦争否定・従軍慰安婦軍強制否定・南京虐殺否定etc.etc)と対応し合い、日本民族優秀性の全体を構成する欠かすことのできない主要な一部材であろう。何と言っても天皇の軍隊であった上に、戦前の大日本帝国を演じ、歴史を演じた主役だったのだから、外国人に対してだけではなく、特に自国民に対して人道に過つことはするはずはないとしなければ日本民族優越論は土台から潰え去ることとなる。

 軍は絶対的存在とされていた天皇の意志を体した存在・組織だった。それゆえに軍の存在そのものも絶対性を備え、絶対的な存在であるゆえの強制性を担っていた。

 絶対的存在者とは絶対的命令者であることを意味する。いわば絶対的命令者である天皇の軍隊たる大日本帝国軍隊は天皇の意志・天皇の絶対性を体し、国民に対して絶対的命令者の位置に存在していた。威嚇的権威主義が蔓延していた戦前である、誰が軍隊に逆らえたであろうか。日本軍に逆らうことは天皇に逆らうことであった。逆らえば、天皇陛下バンザイは成り立たなくなり、そのことへの否定となる。そのような絶対的命令性=天皇陛下バンザイが特攻隊や玉砕を可能とした一大要素であろう。

 多くの日本人が毒されている日本優越民族意識、優秀だからこそ過つことなないとする日本民族無誤謬性が象徴的に姿を見せた発言が日本の代表的政治家中曽根康弘の1986年の「アメリカは多民族国家だから知的レベルが高くない、日本は単一民族国家だから高い」とした発言であろう。

 アメリカは日本の単一民族への拘りから比較したら無制限とも言える人種・民族に拘らない外国からの才能を積極的に受入れ、結果として国内外の才能がそれぞれの才能を刺激し合うことで優秀な頭脳・思想を生み出してきている。そして日本は自民族の優秀性を信じていながら、アメリカの優秀な頭脳・思想を学習する立場に立つ矛盾を平気で犯して何ら恥じない。

 中曽根発言は元帝国軍人・元青年将校らしく日本民族優越意識を基本思想とした自民族中心主義に囚われて公平に目を向ける客観性を欠如させることとなった思い込み(=自民族無誤謬意識)に過ぎない。

 意識の中で天皇を絶対的存在とする間は、いわば2600年の歴史や万世一系を有難い最大・最高の価値ある日本の歴史・伝統・文化とする間は日本民族優越性と優越であるとするために導き出さなければならなくなる日本民族無誤謬性の囚われから解き放たれることはないに違いない。

 天皇の絶対性の虎の威を借りて何様化した狐たち日本軍が(何と程度の低い者たちの集団だったか)軍以外の個人の内面にまで土足で踏みにじり、その何様化した絶対性を押し付けた。その最大・最終の押し付けが単に強がって拳を振り上げていただけの「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」の最後の場面の住民への転化・巻き添えであり、軍がそうする以上従わなければならないとする天皇の絶対性を体現した軍の絶対性に対する住民の側の無条件の従属が「集団自決」の形を取った「生きて虜囚の辱を受けず・・・」云々であろう。

 そしてそのことは共に戦うことを命じて戦う武器として手渡したのではない手榴弾を軍自らが住民に配布した経緯が最もよく証明している。

 検定審日本史小委員会は「軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない」(asahi.com記事)としているが、01年に放映されたNHK番組「ETV2001 問われる戦時性暴力」で「取材どおりに放映する」との約束を政治家の圧力によって破り、内容を改変したとする取材を受けた側の市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの訴訟での高裁判決が「制作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を(注・安部や中川昭一を指す)必要以上に重く受け止め、その意図を忖度し、当たり障りのないように番組を改変した」(≪番組改変訴訟 NHKに賠償命令 「議員の意図忖度」 東京高裁判決≫07.1.30『朝日』朝刊から)としている関係構図と同じで、住民は軍の「意図を必要以上に忖度」し、「当たり障りのない」態度で済ます問題ではないために「必要以上に」過剰反応した軍の絶対性に対する従属であったことは疑い得ない。

 高裁の判決は最高裁が判決の見直しがされる可能性を持つ双方の意見を聞く弁論の開催を来年4月24日に決定したと言うことだから、判決がどう変わるか予断を許さないが、判決が如何に変わろうとも、沖縄集団自決が天皇の絶対性を体した軍に対する過剰な「忖度」行為であることに変わりはないだろう。
* * * * * * * *
 参考までに。下線筆者。

 ≪「集団自決」に「軍の関与」復活 検定意見を実質修正≫(asahi.com/2007年12月27日06時47分)
 <沖縄戦の「集団自決」をめぐり、来春から使われる高校日本史の教科書検定で「日本軍の強制」が削除された問題で、渡海文部科学相は26日、教科書会社6社から出されていた訂正申請を承認した。「日本軍が強制した」という直接的な記述は避けつつ、「軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった
 一度検定に合格した教科書の記述に沖縄側が激しく反発したことをきっかけに異例の再審議となった。6社中5社は文科省側とやりとりしながら、訂正申請を一度取り下げたうえで、修正して再申請し承認された。文科省は、「軍の強制」を認めなかった検定意見を撤回しなかったものの、内容を事実上修正する結果となった
 渡海氏はこの日の会見で「審議経過も明らかにしており、沖縄の理解をいただきたいと思っている」と語った。一方、9月末に開かれた沖縄県民大会の実行委員長を務めた仲里利信・県議会議長も会見し、「記述の回復がほぼなされ、これまでの検定意見は自動的に消滅したと考えている」と表明した。ただし、県民大会で決議した「検定意見の撤回」が実現しなかったことには不満の声も根強く、28日に実行委員会を開いて、正式な態度表明をするという
 渡海氏は県民大会の直後、「訂正申請があれば真摯(しんし)に対応する」と表明。11月に各社から申請が出されたことを受けて、諮問機関の教科用図書検定調査審議会(検定審)に検討を要請。検定審日本史小委員会は25日に訂正申請を承認する報告をまとめた。
 今回の再審議では、「日本軍が強制した」と記した訂正を認めるかどうかが焦点だった。日本史小委は、沖縄戦や軍事史の専門家9人に意見を求めたうえで、(1)集団自決が起きた状況をつくった要因として、軍の関与は主要なもの(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる――という「基本的とらえ方」をまとめた。この方針に沿って、教科書会社に訂正申請の根拠となる資料の提出や説明を求めた。
 その結果、三省堂、実教出版、清水書院、第一学習社、東京書籍の5社は訂正申請にあった「自決を強要された」「集団自害と殺し合いを強制した」といった直接的な表現を取り下げ、「日本軍の関与」「米軍の捕虜となることを許さないなど指導」との表現に変えて再申請した。山川出版社は事実関係だけで、背景や要因には触れなかった。
 「強制的な状況のもとで」「『強制集団死』とする見方が出されている」といった記述も承認された。文科省は「『強制』や『強要』があれば即不合格になるのではなく、全体の文脈の中で小委が判断した」と説明している。>

 ≪NHK番組改変訴訟:来年4月弁論 最高裁が2審見直しか≫(毎日新聞/07.12.20)

 <戦時下の性暴力に関するNHK番組の取材に協力した市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)が「政治的圧力で番組が改変された」として、NHKと制作会社2社に賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)は20日、双方の意見を聞く弁論を来年4月24日に開くことを決めた。NHKなど3社に200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決(今年1月)が見直される見通しになった。
 取材対象者の「期待権」と報道機関の「編集の自由」を巡る初の最高裁判決となる。両者の関係について一般基準を示すなど、内容次第では取材の在り方に大きな影響を与える可能性もある。
 問題の番組は、バウネットが開いた「女性国際戦犯法廷」を一部カットして、01年に放映された「ETV2001 問われる戦時性暴力」。
 2審は、取材前にNHK側が「ありのまま伝える」と説明した経緯などから、「改変はバウネットの番組への期待と信頼を侵害した。変更を伝えないのは説明義務違反」と判断した。また、NHK幹部が放映前に面談した安倍晋三前首相(当時は官房副長官)らの意図をそんたくして当たり障りのない番組に改変したと認定した。【高倉友彰】>

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