責任をどう取るのかが問題 「それでできないこともありますよ」で済ますのか
社保庁の国民第一、国民を最大限に思い遣った「規律ある凛とした」職務成果がもたらした美しい年金記録漏れ5000万件の「名寄せ」と名づけたコンピューターを使った尻拭い作業が尻の一部分を汚したまま、政府はどうしても拭き切れないと言い出した。
<現在3700万人いる年金受給者のうち、少なくとも約7%にあたる250万人が本来の年金の一部を受け取れず、受給漏れを起こしている計算だ。>(07.12.11『朝日』朝刊≪名寄せ困難な年金1975万件 宙に浮いた5000万件 解決ほど遠く≫)と伝えている。
5000万件のうち1975万件の特定がコンピューター照合が困難、そのうちの945万件が紙台帳との照合でも特定困難の可能性があり、さらのそのうちの240万件が紙台帳からコンピューター入力の過程で名前のカナ変換の間違いによって別人化している可能性が生じているという。
既に「少なくとも約7%にあたる250万人」が支払った保険料に応じた、当然受けるべき対価(=支給額)を受けることができない事態が生じている。
60歳もしくは65歳まで保険料を支払い続けて年金受給者の年金を支える国民の義務を果たし、受給者となったとき、年金受給は保険料支払額に応じて発生する国民の権利と化す。その権利がなおざりにされる。国家権力による国民の権利の侵害の何ものでもない。そこまで自民党政府は考えているのだろうか。テレビの記者会見を見ていると、そこまで考えた発言を見受けることができない。
(以下TBS「筑紫哲也NEWS23」と日テレ「NEWS24」から)
安倍晋三(首相当時の記者会見で)「来年の3月までに、に於いて、いわば照合を行います」(TBS)
安倍(7月の参院選時)「最後のお一人に至るまで、みなさまの年金の記録をチェックして・・・・、責任政党はできないことは言いません。しかし言ったことは必ず実行してまいります」(TBS)
安倍(7月5日)1年以内に名寄せを行い、突き合せを行う。そんな1年以内にできるわけないだろう、そんな批判が野党からもありました。私はさらに専門家にこの突き合せ、前倒しできないか、精査させました。そして結果、前倒しでそれが可能なことが明らかになったわけでございます」(日テレ)
福田首相(10月3日国会答弁)「平成20年3までを目途に5000万件の年金記録について名寄せを実施すると共に・・・・」(TBS)
桝添(8月28日厚労相就任当時)「公約の最後の1人、最後の1円まで確実にやるぞ、ということで取り組んでいきたい」(TBS)
昨日(12月11日)、舞台は暗転する。幕の上がった舞台は暗黒の世界を予兆して真っ暗闇のまま。
桝添(記者会見)「ここまでひどいというのは想定しておりませんでした。・・・・最初うまくいくかなあっと思って5合目ぐらいまでかなり順調でありました。そっから先、こうなったときに、こんなひどい岩山と言い、その、アイスバーンがあったのかっていう・・・・」
桝添「無いものは無いってことを分かる作業を3月までやるってことですから、それを着実にやってます」(日テレ)
TBSでは、
桝添「3月末までにすべての問題を片付けると言った覚えはないんです」
女性記者「じゃあ、それはいつまでですか?」(TBS・日テレ)
桝添「エンドレスです。それでできないこともありますよ。恐らく他の方が大臣になってやられたって、あの、結果は同じだと思います。無いものは無い」(TBS・日テレ)
町村(記者会見)「最後の1人まで、最後の1円まで、これを全部3月にやると言ったわけではないわけでありまして、えー、選挙ですから、年度内にすべてと、まあ、縮めて言ってしまったわけですけれども」(日テレ)
小沢民主党代表(記者会見)「まさに国民に対して、を冒涜する、責任を回避するいい加減な、無責任な言い草ではないかと思います」
福田(昨夜の官邸)「まあ、『解決する』というように言ったかなあ――。名寄せすると、まあ、それをですね、来年の3月までにやると、ようなことを言ったかもしれませんけどね。そのあともずっと引き続き努力していくと、ま、いうことになりますよ」
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安倍晋三は首相当時次のように言ってもいる。
(5月30日の小沢民主党代表との党首討論で)「まじめに払ってきた年金が給付されないという理不尽なことはしないということをはっきりと申し上げておく」
(同党首討論)「平成8年のシステム設計から今までの社会保険庁長官などすべての関係者に責任がある。政府のトップは私で、その責任は私がすべて負っている」
あとで内閣を投げ出すことになる首相には思えない自信たっぷりな確約・保証となっている。
そして口癖のように言っていた言葉。「年金問題は私の内閣ですべて解決する」
一端言葉にした確約・保証を果たさないまま「私の内閣」を途中で投げ出す無責任までやらかした。日本国総理大臣としての約束は口先だけの中身を伴わないハコモノでしかなかった。約束は例えそれが口約束であっても、契約を意味する。総理大臣の約束は最終的には国民との契約となる。
安倍晋三は「責任政党はできないことは言いません。しかし言ったことは必ず実行してまいります」と美しくも勇ましくぶち上げた国民との契約を嘘っ八そのものとした責任をどうつけるつもりでいるのだろう。もう総理大臣でないから「そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!オッパピー」で恥ずかしさ一つ感じずに済ますつもりなのだろうか。
突き合せ作業が1年以内にできるか否かを専門家に「精査を指示しました」ではなく、「精査させました」とする総理大臣として自分を高みに置いた命令が上からの命令として機能しなかったドジ・ヘマも、「そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!オッパピー」なのだろうか。
かねがね中身のないハコモノ政治家だと言ってきたが、やはり血筋とか2世とか格好だけで持ったハコモノでしかなかった。
「最後のお一人に至るまで、みなさまの年金の記録をチェックして・・・・」
何のために「お」をつけたのだろう。「お」などつけなくていい。言葉だけ丁寧で美しくても、やることが丁寧でもなく美しくもなければ意味を成さない。日本人は自分を立派な人間に見せようとして言葉を敬語で飾り立てるところがある。「名は体をあらわす」(人の名前や物の名称は実体を示す)という言葉があるが、敬語で人間を表わそうとする。形の悪い野菜を敬遠する、見かけに価値を置く価値観と相互対応する感性なのだろう。
町村「えー、選挙ですから、年度内にすべてと、まあ、縮めて言ってしまったわけですけれども」
町村の言い分を正当とするなら、選挙なら口先だけのことを言ってもいいということになる。選挙向けのバラマキ発言に事欠かないが(選挙向けでなくてもか)、官房長官にふさわしい楽屋バラシというわけか。以後公認を得たということになって、バラマキ発言が従来以上に正々堂々と飛び交うに違いない。
桝添「無いものは無いってことを分かる作業を3月までやるってことですから、それを着実にやってます」
桝添「無いものは無い」
いくら選挙向けのバラマキ発言だったとしても、「公約の最後の1人、最後の1円まで確実にやるぞ、ということで取り組んでいきたい」と約束し、国民と契約を交わしたのである。些かの恥ずかしを見せるでもなく、「無いものは無い」と語気強く突き放したように言う。ヒラキ直りそのものではないか。恥の意識は薬にしたくても持ち合わせていないとしても、国民に対して開き直る資格があるとでも思っているのだろうか。散々あくどい侵略戦争をやらかしておきながら、あれは植民地解放の聖戦だったと開き直るのと五十歩百歩の図々しさだ。
桝添の目には報道各社の記者しか目に入らなかったのだろう。記者会見場の記者の背後から新聞・テレビを通して報道に触れる国民が意識の目に一切入らなかった。それ程にも鈍感・即物的な政治家ということなのだろう。
大切なことはヒラキ直ることではなく、「無いものは無いってこと」が「分か」ったあとの対処方法が重要なことではないのか。3月まで作業を続けたが「無いものは無いってこと」が「分か」った。その作業だったのだから、役目は果たした、責任は果たした。「他の方が大臣になってやられたって、あの、結果は同じだ」、「無いものは無い」で済ますつもりなのだろうか。そうなることを予定調和とした厚生労働大臣として引き受けるべき任務だとでも言うのだろうか。
コンピューターで照合不可能、社保庁職員や自治体窓口が着服した場合はコンピューターにも紙台帳にも記載されていないだろうし、それがすべて回復される保証はない。その上水害や火災、あるいは焼却や廃棄処分を受けて紙台帳自体を失って回復不可能の自治体もあるということだから、紙台帳でも照合不可能の場面は否定できない。受給漏れが現在進行形状態で続いている可能性も併せて考えなければならない。
ここで「無いものは無い」で済ませたなら、最後まで「無いものは無い」が続くことになりかねない。口先だけのハコモノ政治家が跳梁跋扈している日本の政治世界である。「他の方が大臣になってやられたって、あの、結果は同じだ」と片付けられかねない。
国民の不安を一刻も早く解消する危機管理からも、最後の最後まで照合不可能と判断した年金はどう処理するのか、どう決着づけるのか、国民に対してどう責任を取るのか、政府は明らかにすべきだろう。記者会見場の記者は最後まで照合できなかった年金はどう処理するのかの質問をぶつけるべきではなかったのではないだろうか。「最後の1人、最後の1円まで」の公約及び政策に反して1件でも照合不可能が生じた場合はどう処理するのか、問うべきだったろう。国民が真に知りたいことは「無いものは無い」ではなく、あるべき姿に回復してくれるのかどうかだからである。
多くの国民が俺の、私の年金は減額されているのではないかと疑心暗鬼で老後を過ごすことになる。実際に減額されて正規の金額に回復を見ないまま支給されることとなった国民は泣きっ面にハチである。