過去の人となったと思っていたのだが、「再始動」の記事を各マスコミが伝えた。テレビに映る姿はまさしく亡霊である。12月8日付「西日本新聞朝刊」インターネット記事。
≪安倍前首相「選挙戦う」 1年3カ月ぶり地元入りし意欲 騒動謝罪…「美しい国」なお≫
<安倍晋三前首相が7日、1年3カ月ぶりに地元・山口県入りした。同県庁で記者会見を開き、「私自身はもちろん、議員活動を続けていきたい。選挙があれば地元の皆さんのご理解を得て戦いたい」と述べ、次期衆院選に山口4区から出馬する意向を表明した。比例代表中国ブロックへの転出についても「あり得ません」と明確に否定。地元政界の一部で転出のうわさが絶えないため、地元入りはそれを打ち消す狙いもあったとみられる。
安倍前首相の地元入りは、官房長官当時の昨年9月以来。同県庁で職員ら約500人に出迎えられ、井関成知事や自民党県議団と懇談した。
会見で安倍前首相は突然の首相辞任を「国民、県民に大変ご迷惑をかけた」と謝罪した上で、「美しい国づくりは道半ばだが、礎をつくることはできたと思う。一議員として初心に戻り、新しい国づくりに向けて全力を尽くしてゆきたい」と強調した。
自民、民主の大連立構想については「選択肢の1つ」とし、「私の総理在任中には具体的な話はなかった」と述べた。また、健康状態について「胃腸の機能も回復し、体重も総理の就任時に戻った」と話した。
安倍前首相は同日、山口、下関両市で支援者らが開いた囲む会に出席。9日まで選挙区内の8つの後援会の会合に出席するほか、墓参りも予定している。>
「美しい国づくりは道半ばだが、礎をつくることはできたと思う。一議員として初心に戻り、新しい国づくりに向けて全力を尽くしてゆきたい」
どこに「礎をつく」ったと言うのだろう。不正・犯罪が相も変わらず引き続いて横行した1年である。社会の各格差はひどくなるばかりだし、自殺者は9年連続で3万人台と衰えを知らない。これで「美しい国づくりは道半ば」だと言えるら、ゴールはどのような「美しい」景観を想像したらいいのだろうか。
実際にやったことと言えば、内閣官房に名前も仰々しい「美しい国づくり」推進室を設置して、
<あなたが思う、日本の“らしさ”“ならでは”とは、何ですか。 「日本が様々な分野で本来持っている良さや『薫り豊かな』もの」、
「失われつつあるが途絶えさせてはいけないもの」、
「かつては美しかったが美しくなくなってしまったもの」、
「実はその美しさにまだ気づいていないもの」、
そして、「これから作り上げるべき美しいもの」
そのような日本の“らしさ”“ならでは”を教えてください。>と一般から募集しただけのことではないか。
人間の内実の姿・利害を背景に置いて見せかけることができる古くからある伝統作業、芸能、風習・習俗、風景等を古くからある、歴史があると言うだけで「日本“らしさ”」だと言い、「日本“ならでは”」と言って、それらを飾り立てて「美しい国日本」だとする。どの国にもその国「“らしさ”」、その国「“ならでは”」の数々があると言うのに、相対化もできない浅ましさである。
皮膚一枚下に醜い裸を隠した姿こそが誰もの人間の現実であるにも関わらず、カネをかけたきらびやか衣装を身に纏わせた上辺・表面だけを見て、立派な風采だ、きらびやかだ、貫禄があると言うようなもである。
所詮ママゴト遊びをしただけのことではなかったか。ママゴト遊びに付き合うバカもいた。しかも「美しい国づくり」推進室は安倍プッツン辞任で閉鎖、半年活動しただけで4900万円もの支出をしている。内訳は事務所費3100万円、人件費1600万円(専任職員5人・民間出向者ら4人)だと言うことだが、教育タウンミーティングと同様、「美し」くない水増し経費ではなかったのか。
安倍晋三のお仲間たちが税金のムダ遣い・赤字経営も何のそのの政官癒着で省益・天下り利益確保に汲々して独立行政法人改革の統廃合に反対している「美し」くない醜い姿を足許で曝しているのに、「美しい国づくりは道半ばだが、礎をつくることはできたと思う」とのほほんとしたことが言える。
足許の醜い利害行動に目を向けることもしないで、「議員として初心に戻り、新しい国づくりに向けて全力を尽くしてゆきたい」などと方向違いなことを平気で言う。単細胞のバカとしか言いようがない。余程のお坊ちゃんか、余程の現実知らずに出来上がっているらしい。
テレビで昨夜道交法の飲酒運転厳罰化で飲酒運転の違反者が3割とかに減ったと報道していたが、自治会の年寄りたちが1カ月に一度か二度、黄色い帽子に黄色い服を着て黄色い幟旗を手に持って交差点交差点に立ち、信号に従って車や歩行者を誘導したり、交通安全のパンフレットやストラップを配ったりする「交通事故ゼロの日」運動で飲酒運転が減ったわけではない。罰則の強化を度重ねて得た収穫に過ぎない。
それと同じことで、表面的な装いで済ますことのできる「日本“らしさ”」や「日本“ならでは”」の姿をこれでもかと拾い集めたとしても、「美しい国」になろうはずはない。
安倍晋三は「美しい日本」とは「規律を知る凛とした国」だと言っているが、「規律」を「凛」とさせるには人間の行為に対して社会のルールをどう適用するかの規則とその罰則にかかっているのであって、それでも「凛」とさせることができずに各種規則を年々厳罰化、あるいはいくらでも抜け道をつくるから、それを防ぐために厳密化・煩雑化の方向に改めていかなければならない情けない宿命を抱えている。「年々」という進行性は永遠に「凛」とはならないことを意味している。
政治資金規正法一つとってもそうではないか。政治家の政治とカネの問題はどう法を改正しようとも永遠の課題であろう。それとも「日本“らしさ”」や「日本“ならでは”」をかき集めれば、解決するとでも思っているのだろうか。
バカとしか言いようのない単細胞人間が1年ポッキリの短命とは言え、一度は日本の総理大臣を務めた。日本という「美しい国」だから許された政治事情と言うことなのだろうか。だとしたら、安倍晋三は日本といういい国に生を受ける幸運に恵まれたと言える。