閣僚にとっての独立行政法人改革阻止の利益

2007-12-09 07:18:10 | Weblog

 閣僚と官僚は妾と旦那の関係

 独立行政法人改革の趣旨は毎年度3.5兆円もつぎ込まれている政府予算を不必要・不採算事業の廃止をも含めて整理・統合しムダ遣いや天下りをなくして如何に縮小するか、予算配分の有効化・効率化へ持っていけるかに置いているはずである。

 ところが殆どの閣僚が政府を構成する重要な一員でありながら政府の立場を離れてベトナム戦争のベトコン並みの抵抗勢力と化し、官僚の立場に立って整理・統合にゼロ回答の反対を示して自らを官僚利害の代弁者に仕立てている。
 
 なぜなのか。暴力団に威されて言いなりになるのは、言いなりになることで自分の身の安全の確保という利益を交換条件とすることができるからだろう。

 閣僚にしても官僚利益を擁護することが自己利益に叶うからなのは間違いない。官僚の利益にばかりなって、閣僚の利益にならないことはするはずはない。閣僚利益を図るためには官僚利益を図らざるを得ない相互利益関係に縛られていて、それがゼロ回答という形となって現れているということなのだろう。あるいは8本あるタコの足を一本切り捨ててあとの7本は死守する類の譲歩で官僚利益の損失共々閣僚利益の損失を最小限にとどめるといったところなのだろう。

 例えば国土交通相の冬芝鉄三は当初は名前の如くクズ鉄の意志で頑強に抵抗するゼロ回答で官僚の利益を代弁し、併せて国土交通大臣たる自己の利益を守ろうとした。その頑強さは「私のことを抵抗勢力だなどと言うのは私は許しませんよ」と言わしめるほどに周囲からそう見られる抵抗勢力ぶりだったが、あまりの抵抗一辺倒、突出した省益擁護・官僚利益代弁・自己保身に本人自らが公明党の評判に関わる、チョイとまずいな思ったのだろう、肝心要の都市再生機構や住宅金融支援機構の民営化反対はそのままに土木研究所など6法人を1法人に統合する整理合理化案に交通安全環境研究所など4法人を一つに統合する譲歩を示したのは上記タコの足1本切りに相当する閣僚利益・官僚利益の損失を最小限にとどめる演出に過ぎないだろう。

 人間、自分に何も利益のない行動はしない。

 ではなぜ閣僚は官僚の利害代弁者とならざるを得ないのか。官僚にとっての独立行政法人は天下りの場であり、随意契約の場であって、権力と金銭的利益獲得の機会提供世界となっている。閣僚にそのおこぼれが何らかあるとしても、官僚自身が手に入れる実利からしたら何程のことはないに違いない。にも関わらず、その実利を擁護する姿勢を頑強なまでに捨てない。

 考えられる理由はただ一つ、自己の政策作りや国会での答弁、記者会見での発言等、官僚におんぶに抱っこの状態にあるからではないか。大臣としての自己存在性が官僚によって支えられていて、その支えを失ったなら、大臣の体(てい)をなさなくなるからだろう。

 官僚からのそのような利益を受けた独立行政法人整理統合反対の閣僚の抵抗・官僚利益擁護であって、それが予定していた年内解決の不透明化となって現れた。

 町村官房長官「期限を切りすぎて十分な成果が上がらないなら本末転倒だ。もう少し頭を柔軟にして日程を考えたらどうか」(≪独法整理合理化の閣僚折衝一巡、廃止・民営化合意は3法人≫日経/07.12.8)

 町村「年内に成果があがらないようであれば、来年に多少ずれ込んでも何ら影響はない」(≪独法改革、計画策定は「越年」に≫産経ニュース/2007.12.8 01:12 )

 渡辺行革相「(来年度)予算にからむものは年内にやらなければならないが、時間切れで逃げ込まれるのは困る。予算とからまないのであれば、そういうスケジュール感もある」。(同上)

 ・・・といったお互いの腹芸で、時期的後退を見ることになった。時期的後退は改革そのものの後退を意味する。

 少しぐらい政府予算に無駄が生じても、閣僚と官僚の関係が癒着と呼ばれようが呼ばれまいがうまくいってさえすればいい。閣僚が官僚利益を擁護し、官僚が閣僚利益を擁護する。そのような双方の良好な関係がすべてに優先する。

 政治家・官僚にとってはムダ遣いに費やされるカネは国民の税金で自分たちの懐が痛むわけではない。それよりも官僚の利益を擁護しなければ自分が閣僚として立たなくなる。

 このような閣僚と官僚との関係は旦那のカネで手に入れたアクセサリーその他で見栄えをよくしセレブな生活を送る若い妾と妾にかかるカネは会社の経費から落としている旦那の関係に喩えることができる。妾に少しくらいカネがかかろうとも会社のカネだから自分の懐は痛むわけではない。旦那は若い妾から日々様々な利益を受け、妾は資本ゼロの若い肉体を元手に贅を尽くした何様の世界を旦那の援助によって手に入れる。

勿論ここで言う「妾」は閣僚のことを言い、旦那は官僚に相当する。表面的な関係は閣僚は官僚の上に位置しているが、決して閣僚が「旦那」ではなく、官僚は旦那に対して従の関係に当たる「妾」の立場にあるわけではない。 

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