――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
与謝野馨は3月10日発売の文藝春秋4月号で『新党結成へ腹はくくった』と題する論文を発表、「わたしが決断を下す時期はそう遅くはないだろう」(ブルームバーグ)と書いてあるそうだが、私自身は読んでいない。値段がいくらか知らないが、節約生活を送っている関係で、読んでつまらない思いをしたら、バカを見るから買ってまでして読む気がしない。一度安倍晋三の『美しい国へ』とかを買って、たいしたことが書いてないことに気づいて、確か値段は1000円しなかったと思うが、長いこと損をした気がして、3カ月ぐらい眠れない日を過ごした厭な思い出がある。
読まずに批判するのは無責任に見えるかも知らないが、いくら書いてある中身が立派であっても、与謝野馨が学者や評論家ではなく、政治実務者である以上、中身を結果に結びつけて初めて評価を受けるのであって、言っていることの立派さを評価の対象としていいわけではない。
このことは『美しい国へ』で言っていることとは異なる安倍晋三が現実世界に描いた無残な政治風景、自身の政治的行動が何よりも証明している。
与謝野馨の書いたものを買わずにある程度のことを知るにはインターネットを利用するしかない。幸いにも《「新党結成へ腹はくくった」与謝野馨(「文藝春秋」2010年4月号)-佐藤孝弘、怒涛の読書日誌@東京財団》というブログに出会うことができた。次のように書いている。
〈自民党の与謝野元財務大臣による話題の「新党宣言」論文を読んでみました。二月の予算委員会で鳩山総理を「平成の脱税王」と断じた国会質問は私もテレビでみていたのですが、鬼気迫るものがありました。この文章も非常に迫力ある筆致になっております。
前半では、鳩山総理の偽装献金問題の追及、中盤は鳩山政権の「六つの大罪」、後半は谷垣総裁への批判と新党へ向けての考え方、という構成になっています。
前半の偽装献金の問題については、本文をお読みください。ここではまず「六つの大罪」から見てみましょう。
1.長期的な財政の展望を示していない
2.「恒久財源」という意識が欠落している
3.日本経済の成長戦略が欠如している
4.菅副総理の政策対応なしの「デフレ宣言」
5.マニフェストの不実行
6.日米関係の急速な悪化
という6点について訴えていますが、それぞれ妥当な指摘だと思います。一つずつ総理に説明してほしいものです。特に2などについては本ブログでもたびたび指摘してきました。与謝野氏が言うように意識の欠落の問題なのか、あるいはわざとそこを曖昧にしているのかがわからないところが不気味なところです。〉・・・・・
与謝野が言っていることは「非常に迫力ある筆致」で表現されていると言っている。
先ず「1」についてだが、自民党政治は「長期的な財政の展望」を示してきただろうか。赤字国債を大量に発行しては公共事業にカネを垂れ流し、財政を悪化させてきた。その反省に立って、ようやくのことで小泉政治が財政の規律化に取り組んだが、主として社会的弱者対象の予算削減に予算剥がしとも言える情け容赦ない大ナタを振るったためにご覧のような高額所得者には痛みの伴わない、低所得者のみに痛みの皺寄せを与えた格差社会を生じせしめた。
そのような自民党政治の反動としてある現在の民主党政治の大きな政府と言われる子ども手当、高校無償化、高速道無料化といった福祉重点政策であろう。
民主党が「長期的な財政の展望」を欠いているというなら、自民党政治も欠いていた同罪にあるはずである。民主党政治がどこまでいくことができ、どこで行き詰るかである。そのとき、自民党政治が行き詰って政権交代が起きたように、再び政権交代が起きる。
次に「2」(「恒久財源」という意識が欠落している)であるが、現在の政治のやり方、国家経営で、果たして「恒久財源」なるものなど存在させることができのだろうか。カネのなる木の存在を言うようなものではないだろうか。
景気・不景気が循環構造にある以上、政府税収は常に一定ではなく、国の借金を減らすことも考えなければならないとしたら、経営規模そのものを縮小するしか道はないはずである。国会議員から始まって県市町村議員定数の削減、国家公務員及び地方公務員の削減、自衛隊規模の縮小、警察組織の縮小化、国と地方のすべての予算の削減・縮小等々。事業仕分けで不評を買った科学関連の予算も縮小の対象に入れなければならない。
勿論、社会保障費関連の福祉予算も削る。
国民の生活規模そのものを縮小させるということである。
この方法を採用せずに消費税増税で凌ぐにしても、中・低所得層の生活維持との兼ね合いがある。生活が成り立たず、経済に悪影響を与えたのでは意味はない。うまく上げることができたとしても、官僚・政治家のムダ遣いや高速道路の予測通行量の過大計算に合わせた規模過大の高速道建設とその過大な予算計上に象徴的に表れている、あるいは空港需要予測の過大計算に合わせた空港建設に向けた過大な建設予算の計上に象徴的に表れている予算作成のムダ、無能力、あるいは予算執行の非効率、無能力を現状のまま許していたなら、あるいは国の借金とその返済、さらに政府税収と調和させた規模の国家経営を構築できなければ、再度近いうちに消費税をカネのなる木に見立てて上げなければならなくなるに違いない。単に堂々巡りするだけだろう。
政府の経営規模を限りなく縮小することによって財政赤字をなくして、景気がよく税収が増えたとき、それを内部留保(「埋蔵金」と言い換えてもいい)にまわして、一定規模以上の金額とし、恒久財源ではなくても、緊急時の予備的財源とする。
そこまで持っていくことができたとき、それ以降は、例えばリタイアした高齢者が年金と預金額と調和させた生活規模を設定するように、政府の場合も景気・不景気に応じた税収の増減を睨みつつ、それと高齢者等の預金額に相当する内部留保(=埋蔵金)と調和させた予算規模を毎年設定し、それを以て政府の経営規模として国家経営に臨むことを常に守らなければならない。
自民党政治が散々に国の借金をつくり出し、さらに親の背中を子どもが見習うように地方も赤字垂れ流しの経営をしてきているのだから、これらを簡単に解消できなければ、単に「恒久財源」を言うだけでは問題解決はできないということである。
いわば、「恒久財源という意識が欠落している」と簡単には言えるが、国の借金が膨大であることと併せて、「恒久財源」なる概念自体が限りなく危うくなっているのだから、「恒久財源」を言う前に、国の経営規模を限りなく縮小させることを言うべきであろう。例えその結果三流国に陥ったとしてもである。内実は三流国に近い地位の低下を招いているのだから、さして恐れることはない。
「恒久財源」なるカネが存在するなら、いわばカネのなる木を持っていたなら、とっくに国の借金は清算できていたはずである。
親が莫大な財産家で、息子が道楽息子で親の財産をカネのなる木に見立てて豪勢な生活を送ることができても、親の財産を超える豪勢な生活は不可能で、親の財産を恒久財源とするには財産と調和させた生活が必要となる。
豪勢な生活も維持し、親の財産をなくさないために何らかの方法で運用して、財産を減らさない算段をし、それを以て「恒久財源」とする考えを持ったとしても、景気次第で運用が左右される。ときには損失を蒙ることもあるのだから、豪勢な生活(各種ムダを孕んだ国家経営、あるいはバラ撒き)を続ける場合は終局的には「恒久財源」なるものは存在しないことになる。
いわば民主党政治をムダを孕んだ国家経営、あるいはバラ撒きと批判するなら、その点に関しては自民党も同罪であるのだから、自民党政治に席を置いていて、離党したとしても、席を置いていた以上、「欠落している」などとは批判する資格はないはずである。
「3」(菅副総理の政策対応なしの「デフレ宣言」)は悪影響を与えたとしても、一時的なもので、日本が外需主導型経済構造にある以上、景気対策以上に外需回復による景気回復を待って、デフレを脱却するしかない。
このことはここのところの日本の経済回復が自らの景気政策の恩恵よりもアジア等の、特に中国やインド、あるいは韓国等の経済回復の恩恵を受けた外需に引っ張られた回復であることに現れている。
「4」(マニフェストの不実行)――マニフェストの不実行は問題だが、実行したからと言って、マニフェストに書いてあるとおりの効果を社会に生まなければその政策は意味を失う。
《第73回自由民主党大会》(平成18年1月18日) は次のように謳っている。
〈IT戦略については、世界最先端のIT国家を目指し、わが党と政府は「e-Japan戦略」を積極的に進めてきた。昨年12月には、次のステップに向け、世界に先駆けてユビキタスネットワークへのパラダイムシフトを実現し、世界のICT革命を先導していくとの決意の下、「e-Japan重点計画特命委員会」を「u-Japan特命委員会」に改めるとともに、新たな戦略において取り組むべき重要政策を提言として取りまとめた。提言においては、医療保険に係る全てのレセプトをオンライン請求とする、教師の情報活用能力を向上させるインセンティブを設けるなど、具体策を提示したところであり、今後、国際競争力を強化していく取り組みを強力に推進していく。〉――
光ファイバーネットワーク構築等のハード面は先進的でも、情報活用の面で決して先進国とは言えない。いわば、言っているとおりの効果を社会に実現させていないのだから、言っていることは意味を失う。
情報活用といったソフトの面の後進性の例として挙げるとしたら、〈教師の情報活用能力を向上させるインセンティブを設ける〉と「向上」を言うのは現状が「向上」していない状況にあるのは言うまでもないことで、この点から指摘することができる。
「情報活用能力」とは思考力・言語力・知識応用力等を基盤として成り立たせ得る能力であって、そうである以上、日本の教師たちが子どもたちの暗記知識を高めることができても、思考力・言語力・知識応用力の欠如が言われている状況は教師の情報活用能力の欠如の反映としてあるはずで、自民党の教育政策が追いついていないことの証明以外の何ものでもないはずである。
いわば自分たちの政策の欠陥に向けた「情報活用能力」を欠いていたからこそ、発展もない同じことの繰返しとなる教育政策を続けてきたための教師・子どもたちの相互性を持った「情報活用能力」の欠如なのだから、その認識に立つことができないということは情報活用といったソフトの面の能力の後進性の例としなければならない。
また、国会議員以下、県市町村会議員が海外視察と称して観光旅行し 報告書をそれぞれの議会職員や秘書に書かせている、あるいは他人の文書を盗作して作成する状況は自ら視察先の情報を収集して自らの情報能力でその情報を解読、構築し直して他に伝えるべき情報として発信する「情報活用能力」欠如の証明でもあって、上記例と同じく情報活用といったソフトの面の能力の後進性の例とすることができる。
いわば、「世界最先端のIT国家を目指」すと立派に言っていても、肝心の情報活用のソフト面が言っているだけで終わっていたなら、何ら意味をなさない。あくまでも「政治は結果責任」を主眼としなければならない。
いずれにしても、自民党政治に於いて個々の政策をマニフェストどおりに実現したとしても、社会全体で見た場合、格差社会や福祉政策の破綻を招いている以上、あるいは予算のムダや非効率を引きずったままでいた以上、自民党の全体的国家経営は「マニフェストの不実行」に劣らない欠陥ある経営と言わざるを得ない。
そのような欠陥国家、欠陥社会を民主党は引き継いだのである。引き継がせた責任を自らに問わずに、与謝野は「マニフェストの不実行」のみを言い募っている。
「6」(日米関係の急速な悪化)――以前ブログに書いたことだが、ドイツとフランスはブッシュのイラク戦争に反対、軍を送らずに関係悪化したが、現在その悪化した関係を修復している。例え日米関係が悪化しても、アメリカにとって日本は必要な国であり、日本にしても政治的にも経済的にもアメリカは何よりも相互的な必要性を持った存在なのだから、関係悪化は一時的なもので終わる。
アメリカと中国の関係でも、アメリカが台湾に武器輸出し、チベットのダライ・ラマの訪米を許可、オバマ大統領と会談するといった中国の神経を逆撫ですることをしながら、決定的な関係悪化に至らずに、一時的な悪化でとどまっている。ましてや日米関係が決定的な悪化に至るはずはない。修復する機会はいずれ訪れるはずである。恐れることはない。問題は日米関係よりも沖縄県民が素直に許容できる基地移設を果たせるかどうかにかかっている。
全体的な安全保障に狂いが生じたとしても、その狂いを修正するのも人間のチエであろう。
上記ブログ記事《「新党結成へ腹はくくった」与謝野馨(「文藝春秋」2010年4月号)-佐藤孝弘、怒涛の読書日誌@東京財団》は、与謝野「新党」六つの基本政策は挙げている。
1.消費税を含む税制抜本改革、社会保障改革、成長戦略を総合化した「復活五カ年プラン」を策定し、
速やかに断行する。」
2.超党派の政策プロフェッショナルを結集して、安心社会実現のための円卓会議を作る。
3.社会保障分野とそれ以外の分野を区分経理し、安心強化と無駄撲滅を同時に実行する。
4.財政責任法で債務残高のGDP比を「発散」させないための中長期計画を立てて、世界標準での財政
再建を行う。
5.保育や医療、介護等で新たな雇用を生み出すために、補助金・規制改革・人材育成の三位一体型の総
合対策を行う。人材育成・雇用拡大を最重視して地方分権と交付税改革を同時に実施する。
6.まずは日米同盟関係を正常化させ、さらに深化させる。同時に、アジアでは、経済面での連携を深め
、「アジア共通市場」を実現する。
そして次のように解説して、結びとしている。
〈…読んで絶句してしまいましたが、「どうやって実現するのか」という手段がまったく書いていないのです。しかも「復活五カ年プラン」を作成するとか、「円卓会議」をつくるとか、「中長期計画を立てる」とかは基本政策でも何でもありません。立派な目標だけあって手段がないのでは、与謝野氏が批判する民主党の良くない部分とそっくりではないでしょうか。
ページ数が足りなかったのかもしれませんが、それなら他のエピソードを削ってでも政策にページを割くべきでしょう。一番知りたい部分がないので拍子抜けしてしまいました。「これから考えます」ではなく、今すぐにでも打つべき政策パッケージを今時点で持っていないのであれば、新党を立ち上げても国民に相手にされないのではないかと心配してしまいます。
国民は選択肢たりうる第三政党を求めています。これからいくつもの新党が出てくると思いますが、それに本当に対応できるのか、見極めていく必要がありそうです。〉――
「六つの基本政策」が言っていることは民主党と似たり寄ったりでないのか。ブログは、「どうやって実現するのか」という手段がまったく書いていないのです。」と言っているが、マニフェスト同様に政策として言っていることを結果として社会に反映させなければ、その政策は意味を失う。
第一、“政治は数”を絶対条件としている。政策の実現は“政治は数”をほぼ決定要件としているということである。
麻生政権は衆議院では絶対安定多数を握っていたが、参議院ではいわば数で劣る“野党”の位置にいたために衆参両院の全体では、“政治は数”の絶対条件を欠き、野党転落の一因をつくった。
与謝野新党が何人の議員を集めるか分からないが、“政治は数”の絶対条件を握るまでの議員は集めることはできないはずだ。政界再編に賭けて数を増やし、全体としては“政治は数”の絶対条件を確保したとしても、いくつかのグループで構成した党の中で自らのグループが数の優位を保持することができなければ、いわば“政治は数”の絶対条件を最終的に握ることができなければ、自らが掲げた政策の実現は党内的に数の力に負ける場合も生じて覚束なくなる。
例えかつての自社さ政権のときの村山富一のような幸運に恵まれたとしても、多くの政治で数の優位に立ったグループに引きずられることとなって、自らが掲げた政策の実現は困難となるという点では条件を同じくするはずである。
もし自らの政治を実現させる“政治は数”を引き寄せることができなかった場合、自民党に所属していることとさして変わらない政策実現状況に自らを置くこととなって、何のための離党か、何のための新党かということになる。
与謝野は「新党結成へ腹はくくった」とする論文の発表を以って、新党への意思表示を示した。「腹を括る」とは生半可ではない、相当な覚悟の表出を言う。いわば新党結成に向けて、やるぞと拳を振り上げた。
だが、例え前以て与謝野が平沼元経済産業相と前以て話し合いをつけていたとしても、4月2日に平沼赳夫が4月中に新党を結成する意向を示した翌日の4月3日に谷垣自民党総裁に離党届を提出、提出の日付は4月7日となっていたというから、総裁に電話で呼ばれてその話し合いの行きがかり上の予定外の提出で、明らかに平沼の後に続く形の離党、新党結成意志であって、自らの主導権に立った率先垂範の新党結成への意志とはなっていない。
このことは「新党結成へ腹はくくった」とする覚悟に反する率先垂範であり、主導権の欠如であろう。
こうも言い替えることができる。「新党結成へ腹はくくった」は自らの能力――自力を恃んだ意思表示である。当然自力本願に立つべきを平沼の後に続く形に立ったのは、他力本願を混入させたことになる。
また新党が平沼と共同代表であるということにも現れている「腹はくくった」に反する率先垂範であり、主導権の欠如となっているし、同時に他力に依存した本願(本来の願い『大辞林』)となっている。
要するに妥協の産物ということではないのか。
新党結成を意志した時点で言っていたことと違う場面を演じているのである。このような意志の欠落と“政治は数”の絶対条件を併せると、言っている政策がいくら立派でも、その実現の期待可能性は限りなく小さくなる。小さくなった場合、言っていたことは奇麗事で終わる。
与謝野の奇麗事ば、谷垣会談で離党を「自民党分裂とは取らないでください」(YOMIURI ONLINE)と言ったことにも現れている。相手にしたたかな失点を与える非情な政治行為を行っておきながら、波一つ立っていない湖面に小石を投げて小波を立てることさえもしていないと言うのと同じことを言って、奇麗事で済まそうとしている。あるいは自身を紳士に擬えている。権術術数渦巻く政治の世界で紳士でいることなど許されないにも関わらず。
状況によって政策のいくつかが“政治は数”の絶対条件を握っているグループに取り込まれた場合、かつて自民党が民主党の政策を取り込んで手柄まで自分たちのものとした同じ状況を迎えることになるに違いない。
与謝野馨は離党届を出した後の記者会見で、「間延びしないように、なるべく急いでやりたい」(asahi.comと発言したそうだが、要するに「新党結成へ腹はくくった」と拳を振り上げた手前、「腹をくくった」のは何だったのかとなるから、何もしないで降ろすわけにはいかず、また振り上げたまま時間を徒に経過させてからの新党結成なら、「間延び」して賞味期間が過ぎ、やっと動いたかと冷ややかに見られる恐れから動いた、いわば「間延び」を避ける新党結成だと明かしたのと同じで、これも「腹をくくった」の覚悟とは程遠い、その程度の新党意志であることを物語っている。
要するに与謝野が口で言っている程ではない、そのことと矛盾した新党結成意志に過ぎないということではないだろうか。