――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
《新党からの参院選出馬を否定=石原都知事》(時事ドットコム/2010/04/09-17:31)
自らが命名した平沼赳夫新党「どっこいしょ たちあがれ日本」の「応援団」を自任する石原都知事が9日の記者会見で、新党からの参院選出馬を「あり得ない」として否定したという。
〈来春の知事選への立候補も「無理だ。年寄りをいじめない方がいい」と述べ、改めて消極的な考えを示した。〉――
自身を要職から解放されるべき「年寄り」に位置づけて、大事な扱いを求めている。石原慎太郎の生年は1932年(昭和7年)9月30日だというから、人生77歳7ヶ月の途上にある。
但し、新党「どっこいしょ たちあがれ日本」応援団らしく、サポートしていくことを改めて表明。
「(新党への参加者を)老人だと言うが、若いやつは何をしているのか。みんな腰抜けではないか。戦争を体験した人間として、このまま死ねない」
自身を保護されるべき「年寄り」に位置づけていたと思うと、一転して、自分とたいして年齢の違わない新党参加者が老人であっても、腰抜けではないと意気軒昂なところを見せている。
若い奴はみんな腰抜けだ。老人だと言っても、若い奴と違って腰抜けではない。
その根拠を、戦争を体験しているからだとしている。戦争を体験した人間として、日本がこのままでは死ねない。
石原慎太郎の敗戦の昭和20年は13歳、「戦争を体験した」と言っても、自ら身を以て戦闘に明け暮れた従軍体験ではなく、単に銃後の体験でしかない。それを以て自分たちを「戦争を体験した人間」だからと戦争エリートに位置づけ、特別な人間だと価値づける。
例え直接戦争に関わり、生死の戦いを経験したとしても、それで以って自らを特別な人間とすることができるのだろうか。戦争体験で得た価値観をその後の人生の価値観として高め、役立て得る人間はそうは多くないはずだ。
しかも愚かしい侵略戦争を仕掛け、無残に負けた戦争を単に背後にいて体験したに過ぎないことを誇る。
それとも戦争を体験しない腰抜けの人間が大多数を占めたために現在のような日本になったとでも見ているのだろうか。だとしたら、なぜ戦争を体験した人間が大多数を占めていた間に戦争を体験できない時代に後から生れてきた日本人を、腰抜けではない「戦争を体験した人間として」より良い方向に導く指導ができなかったのだろうか。
指導できずに、腰抜けではない「戦争を体験した人間」から腰抜けの今の日本人が形成されたという逆説を生じせしめることになる。「戦争を体験」し、腰抜けではない人間となっていながら、後世の日本人を指導するだけの力量を欠いていたということでなければ、逆説に説明をつけ、納得のいく合理的な答とすることはできない。
戦争など体験しない方がいい。すべての世代に於いて体験しない人間で満たされたとき、その国に於ける平和の継続を証明することができる。
イラクやアフガンに於いても然り。戦争を体験しない世代の早い出現が望まれるはずだ。出現こそが平和の到来を告げる証となる。
日本の敗戦から70年、アジアの国々に対して謝罪を繰返している「戦争を体験した」と今以て誇る人間がいるとは驚きである。戦後の日本の復興を「戦争を体験した人間」が果たしたと見ているからだろうが、「戦争を体験した人間」の主体的な活動のみによって成し得た復興なら、アメリカに対して政治的にも経済的にも自国を下の立場に置く関係を築くことはなく、せめて対等の関係を築いたはずだが、そこにアメリカに依存する他力性が存在したために政治的にも経済的にも属国的地位に甘んじることとなった。
いわば政治的にも経済的にもアメリカが力を貸してくれた復興だということである。
新党「どっこいしょ たちあがれ日本」の主要メンバーの与謝野馨は1938年8月22日の生年。敗戦の1940年は12歳間近である。石原慎太郎と6歳しか違わないから、「戦争を体験した人間」の内に入れることができるはずで、「腰抜けではない」範疇の人間ということができる。
その与謝野馨に対して自民党の田野瀬良太郎総務会長は9日の記者会見で、「自民党の比例で議席を得た人が離党して新党をつくることに疑問が残る。議員辞職をすることも選択肢。その方が明快だ」と議員辞職を求めたという。
《「議員辞職することも選択肢」 民幹部、与謝野氏批判》(asahi.com/2010年4月9日19時18分)がそう伝えている。
田野瀬良太郎総務会長「与謝野さんは賢い人。まだ辞職の余地はあるのではないか」――
自民谷垣総裁も与謝野馨に議員辞職を求める考えを表明している。
だが、「Wikipedia」は次のように書いている。
〈所属政党の移籍の制限
日本では2000年以降の国政選挙から、比例当選議員は所属政党が存在している場合において、当選時に当該比例区に存在した他の名簿届出政党に移籍する場合は議員辞職となることになった(公職選挙法第99条の2)。
ただし無所属になることや、当選時に当該比例区に存在しなかった新政党への移籍は議員辞職の必要はない(当選時に存在した政党であっても、自分が比例選出された選挙で該当比例区に候補者擁立しなかった政党には辞職せず移籍可能。具体的な例として、2009年衆議院総選挙でみんなの党は衆議院比例区では北海道・東北・北陸信越・中国・四国で擁立しなかったので、北海道・東北・北陸信越・中国・四国の比例当選衆議院議員は議員辞職することなく、みんなの党への入党が可能である。)。〉――
昨年の総選挙では自由民主党所属の国会議員であったとしても、与謝野馨という個人を前面に出して小選挙区の選挙を戦った。当選すれば個人的な功績とはなるが、落選したことで与謝野馨としての個人的功績を失い、自由民主党という政党単位で順位づけられた比例区で復活当選を果たした。いわば小選挙区という個人的功績の場から離れた比例区で自由民主党という政党の枠に重複立候補として収められる恩恵を受けた当選であった。
田野瀬総務会長も谷垣も、道義的な意味で議員辞職を求めているのではないのだろうか。
「賢い」与謝野馨は議員辞職要求の声に「公職選挙法」を楯に無視する、あるいは自己の離党を正当化して新党「どっこいしょ たちあがれ日本」所属の国会議員として納まって終わりにするつもりなのだろうか。
それも「戦争を体験した人間として」の「腰抜け」とは無縁の振舞いだということなのだろうか。