辻元清美は6月6日のテレビで鳩山前首相の指導力欠如を盛んに暴露していた

2010-06-08 10:17:57 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 6月6日日曜日朝10時からの朝日テレビ「サンデー・フロントライン」に社民党辻元清美が、民主党の小宮山洋子、松井孝治前内閣官房副長官、自民党の世耕弘成参院議員共々出演し、新内閣に於ける「政策調査会」の復活問題や普天間問題、その他について議論していた。

 この議論に先立って、小沢前幹事長が自治体、業界団体等からの陳情の窓口を幹事長室に一元化したことについて辻元社民党議員は次のように話していた。(大まかに再現)

 辻元「(幹事長室に)通らなかった陳情を国土交通副大臣の私のところに持ってきて、私のところから言ってくれないかと言っていた。ここのところの不満のマグマが溜まっていたのではないのか。そこのところで人事でバクハツしたのではないのか」

 人事面での小沢排除をこのように話していた。

 半ば得意げな裏話の披露となっていたが、陳情の中身の良し悪しと陳情処理方法の良し悪しは別にして、民主党に於いては陳情ルートの幹事長室一元化はルール化させた制度であって、そこでハネられたからと、国土交通副大臣のところへ持っていく。これはルール違反ということだけではなく、裏ルートの開拓、口利きの成立を図る動きであり、これらの有効性が証明されたなら、正規ルートである一元化制度のルールは有名無実となり、逆に裏ルートや口利きが半ば制度化することになる。

 辻元が持ち込まれた陳情をどう処理したかは話さなかったが、もし小沢幹事長か、あるいは幹事長室の知り合いの誰かに話を通したとしたら、そのことによって何ら金銭的利益を受け取らなかったとしても、裏ルートや口利きの制度化に手を貸すことになったろう。

 むしろ、「制度は制度ですから、私のところへは持ってこないで欲しいと私は断りましたが」といった話を披露すべきだったのではないだろうか。

 大体が正規ルートに則らずに国土交通副大臣を迂回させる遣り方は自民党が族議員や有力議員、あるいは有力閣僚、有力官僚といった個人的ルートを介して陳情を実現させる方法と何ら変わらず、いつ、どこでそこに利得行為が生じない保証はない。例えば口利きが効果があったからと、その政治信条に賛成したからではなく、パーティ券を購入する合法的な方法で利益還元を可能とすることもできる。

 何となく無邪気に政治家をしている印象を受けた。

 議論は、〈普天間で総理辞任 内部から見た官邸の問題点は?〉をテーマとした議論に移った。

 女子アナ「民主党はマニフェストに官邸強化を掲げていた。しかし鳩山政権は平野官房長官を中心として、官邸の主導で解決に乗り出した。普天間問題で迷走し、鳩山総理辞任の引き金となった。菅新政権は鳩山政権の迷走から果して何を学ぶのか」――

 小宮山悦子「辻元さん、社民党としては普天間問題では政権の中にいながら、日米合意を最優先させることになってしまったわけなんですけど、官邸とは話をしていないんですか?」

 辻元「あのー、しておりました。ですが、あの、まあ、私たちも政権の中にいて、止め切れなかったというのはですね、非常に責任も感じているし、沖縄の皆さんにも申し訳ないと思うですね。

 で、私、個人もですね、総理とも大分二人きりでも、話をしました」

 小宮悦子「二人きりで」

 「二人きりで」を強調した合いの手。果たしてたいしたことなのか。

 辻元「ハイ。で、平野官房長官は大阪同士、いうこともあって、昔から同期ですし、ちょっと存じ上げてますので、かなり議論をしました。それから、同時に官邸にはですね、この普天間の、作業チームもつくりました。

 ええ、しかしですね、ま、最終的に辺野古に戻ってしまったと。で、あのー、総理は、最後までですね、えー、直前まで私、話しておりましたけれども、やはり県外、国外を目指したいというお気持は強かった、ですね。

 1ヶ月前ぐらいにも、『総理は本当は、どこにしたいの、ホントーはどこにしたいの』って、お聞きすると、『グアム』とか、ちっちゃい声でおっしゃったりするわけですよ」(笑う)

 小宮悦子「ええ」

 辻元「ただですねえ、まあ、その総理の思いを、実現していくプロセスがうまくいかなかったと、思うんです。それには官僚との付き合い方というのが、あると思います。最初ですね、私もこの問題取り扱うとき、外務・防衛で、今までアメリカと、交渉してきた人は、外した方がいいんじゃないかと、いうような意見も申し上げたんです。

 でも、むしろですね、今まで交渉してきた人の方が、相手の出方もよく分かってますのでですね、今まで交渉してきた人たちに、じゃあ、総理の思いを実現するような案を、日本として出してみろと、いうようにですね、エー、うまくコントロールというかですね、しながらですね、やっていくと、また違った結果になったんではないかとか、今で思えば、そういうことは感じております」

 小宮「脱官僚依存じゃなくて、官僚排除になっちゃった?」

 辻元「まあ、そういうところありますねえ」

 (次の松井官房副長官の発言は中略)

 辻元「総理にね、実際に、あのー、情報がきちっと、きちっと情報が上がっていたかどうかっていうのが、最後の方ですね、あの、クエスチョンマークがつくわけですね。例えば沖縄の皆さん、まあ、で、県民大会などがありました。で、あの翌日からは沖縄は80名の人たちが来られた。で、総理に声明を渡したいというお話があって、少なくとも、そういう話というのは非常に大事な、ことなので、総理はご存知だと思ったんですけど、全くご存じなかった、とか。

 で、エー、総理が最後までですね、私が、決めます、エー、そして5月、には、何とか県外も含めてやりますと、おっしゃったのは、何とかしようって官房長官も走り回っていたと思うんですよ。何とかなりなりますからと、いうようなメッセージを、こう言い続けて、総理はあっちに(辺野古に)行っちゃって。しかし実際にはですね、何とかならならなかったという。

 ですから、そこは直接、色んな情報をお伝えにいったらですね。それは聞いていない、それは知らない、沖縄でそんな動きがあるってことは全く分からない、っていうようなことが多かったんですね」

 世耕「そもそもからですね、松井さんも辻元さんも、そのおー中盤の運びとか、終盤情報が入っていないってことになると、そもそも、それは初動で間違っているんですよ」

 小宮「初動――」

 世耕「歴史的判断ミスをしてしまったんです。これはやはり移転をさせるということを言ってしまったということですね。それはやはり言う前にそれは選挙の公約に入っていたかもしれませんけれども、やっぱり政権を取って、総理大臣になった段階で、外務省、防衛省から、時間をかけて、時間をかけて、じっくり情報を聞いて、吟味をして、地元の話も水面下で聞いた上で、聞いていればですね、辺野古から動かせないということは、その時点ではっきり分かっていたんです」

 小宮「政権交代を気負うあまり」
 
 世耕「気負うあまり、新しいことをやったということです。あまり地元の意見を聞かなかった」

 松井「ある意味ではね、ある意味ではね、あのー、世耕さんのおっしゃる通りかもしれないと僕は思いますよ。それは逆に言えば、鳩山さんはですね、この政権交代の意味は何だと、ずっと、何十年間アメリカに依存して、あの、アメリカの軍隊がですね、あの、この日本国内にですね、これだけ存在して、そこに依存しているという体制を何とか一歩、でも、二歩でも前へ進めたいという気持ィーが強かったんで。

 あの、私、担当じゃないけれども、総理の執務室の中で、いや、僕が総理だったら、もうちょっと年内、あるいはオバマ大統領、来日されるときに、もう思い切って判断してしまうという、オプション、取っていたと思うんですけど、そういうのなぜ取られなかったんですか、っていう話をしたら・・・」

 辻元「それは松井さんとも話したじゃないですか?」

 松井「だから、それは、やっぱりそれじゃダメなんだと、」

 辻元「連立政権もあって、沖縄もあって、あの年内の場面でー、え、判断するとですね、そのあとの予算の審議も立ち行かなくなるし――」

 松井「あの、勿論、それもあると思いますが、やっぱり、総理はですね、この政権交代の機会に大きくこの、アジア、太平洋のですね、安全保障関係を少しでも変えたい、という気持があったという部分はあると思います」

 以下、このコーナーに関して省略――

 世耕が、鳩山内閣は歴史的判断ミスをしてしまった、外務省、防衛省、さらに地元からも情報を聞いていれば辺野古から動かせないことは分かっていたことだと言っているが、自民党政権で決めた辺野古なのだから、自身にとって自明な結論への誘導に過ぎない。

 辻元は鳩山首相と直前まで話しをしていた感触から、県外、国外を目指したいという気持は強かったと言っているが、鳩山前首相が辞任表明したのは6月2日。それを約1ヶ月遡る5月6日の時点で既に「国外、最低でも県外」と言ったのは党の公約ではなく、自分自身の発言だと、国外・県外を修正している。

 同じ時期の発言として、「1ヶ月前ぐらいにも、『総理は本当は、どこにしたいの、ホントーはどこにしたいの』って、お聞きすると、『グアム』とか、ちっちゃい声でおっしゃったりするわけですよ」と紹介しているが、現行案に回帰したのちも県外、国外を目指したいという気持を依然として持ち続けていたとしても、魂を失った亡骸に過ぎない。特に政治の世界では気持は世の中に広く役立つ形にして初めて意義を持つ。そして気持を現実的な形とするには偏に様々な状況に対応した指導力に関係してくる。状況を読み取り、実現させていく能力である。

 辻元は形という結果が厳しく求められる政治の世界に呼吸する政治家でありながら、それを情の世界に変えて、結果という果実の形を取る前の気持のみを問題にして、何ら疑うことすらせず、鳩山首相を情の面から把えた擁護に走っている。

 松井官房副長官にしても、「鳩山さんはですね、この政権交代の意味は何だと、ずっと、何十年間アメリカに依存して、あの、アメリカの軍隊がですね、あの、この日本国内にですね、これだけ存在して、そこに依存しているという体制を何とか一歩、でも、二歩でも前へ進めたいという気持ィーが強かったんで」と、結果という果実の形を取る前の「気持」のみで鳩山由紀夫という政治家を成り立たせようとしている。あるいは「気持」のみで鳩山由紀夫という政治家の存在証明を図ろうとしている。

 「総理の思いを実現していくプロセスがうまくいかなかった」ということも偏に鳩山首相自身の指導力に関わる制度設計の不味さであろう。例え脱官僚を掲げていたとしても、政策の発想・創造の段階、及びそれを形に変えていく段階で政治家側がリード(主導)するという意味で、官僚を不要な存在と看做して政治家のみで行うという制度では決してなく、彼らを政策実現のスタッフとして必要とし、彼らが持つスタッフとしての情報を必要とする制度のはずである。
 
 いわば、「総理の思いを実現していくプロセス」の構築自体が総理の指導力にかかっていたということであるが、構築するだけの指導力を欠いていた。

 指導力を欠いていたと見抜くことをせずに擁護一辺倒の姿勢となっているから、「今まで交渉してきた人たちに、じゃあ、総理の思いを実現するような案を、日本として出してみろと、いうようにですね、エー、うまくコントロールというかですね、しながらですね、やっていくと、また違った結果になったんではないかととか、今で思えば、そういうことは感じております」といったことを無邪気に言うことができる。

 自身の「思いを実現するような案を日本として出してみろ」と指示し、それを成功させるもさせないもやはり自らの創造性と指導力にかかっている事柄であろう。ここで必要とする創造性とは、自身の「思いを実現するような案」の実現可能性を自ら予測する能力のことである。自分自身が実現可能性を予測できずに「思いを実現するような案を日本として出してみろ」と指示したとしても、検討もせずに、検討した結果できませんと言われた場合、引き込まざるを得なくなるからだ。

 また、辻元は沖縄の情報が鳩山首相にまできちっと上がっていなかったと言っているが、必要な情報を的確に上げさせる体制を構築するもしないも、やはり鳩山首相自身の指導力にかかっている問題点であって、官僚ばかりか、政権運営のスタッフである各閣僚を如何に使いこなせていないかの証明でしかない。

 要するに辻元は、「そこは直接、色んな情報をお伝えにいったらですね。それは聞いていない、それは知らない、沖縄でそんな動きがあるってことは全く分からない、っていうようなことが多かったんですね」と鳩山前首相を擁護する形で官邸の楽屋話を話しつつ、実体的には一生懸命鳩山首相は指導力がない、指導力に欠けていると暴露していたに過ぎない。

 ただ単にそのことに辻元清美は無邪気にも気づいていなかった。出発点も到達点も鳩山首相の指導力の欠如で成り立っていたのだから、鳩山首相と二人きりで話したこと自体が何ら役に立たなかった。

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