民主菅、自民谷垣の参院選街頭演説に見る精神主義

2010-06-25 06:59:30 | Weblog

 下記記事が伝えている発言の範囲内で、相変わらず悪い頭で舌足らずの読み解きをしてみようと思う。

 昨24日、第22回参議院選挙が公示。「来月11日の投票日に向けて選挙戦に突入」――とまあ、この手の表現が各マスコミ上踊ったに違いない。《各党党首 街頭で支持を訴え》NHK/10年6月24日 12時22分)が各党党首の街頭での演説を伝えている。

 菅首相(大阪市)「日本経済を20年間低迷させてきたのは、まちがった政策によるもので、必ず経済を立て直し、日本を成長軌道に乗せていくことを約束する。財政再建には、第一がムダの削減、第二が並行して行う経済の強化だが、それだけで十分なのかという議論を行わなければならない。わたしが消費税を取り上げると、税金を上げることを言ったのでは応援できないと言われるが、毎年40兆円程度の国債を発行すると借金が増え続け、2~3年でギリシャのようになるという人もいる。それを避けるために自民党など他党との話し合いを呼びかけている。去年の政権交代以来、試行錯誤を繰り返してきたが、今度は危ういリーダーシップではなく、約束したことを実行できる力を与えてほしい」

 自民党の谷垣総裁(甲府市)「参議院選挙は、この10か月間の民主党政権の採点と、自民党がもう1回、皆さんに信頼してもらえるかどうかを試す選挙だ。自民党がチャレンジャーとして生まれ変わり、日本のため、ふるさとのために命を捨てて頑張ることがいちばん大事なことだ。民主党のバラマキでは雇用や成長はできず、自民党がその道筋を示す。マニフェスト違反や政治とカネの問題で、国民の政治に対する信頼を壊してしまった民主党政権に歯止めをかけるのが、自民党に課せられた使命だ」

 失礼な話であることは分かっているが、公明党以下は省略。特に「どっこいしょ たちあがれ日本」や「新党改革」、「新党日本」等は数が力となる政治世界で自らの少数を補って政界再編、あるいは合従連衡の餌にありつき、自らの少数を大きな力に変えることができるかどうかの運命は民主党、自民党の二大政党の運命如何にかかっているから、どうしても従の扱いとなる。

 菅首相は消費税増税の理由に相変わらず“ギリシャの威し”を用いている。ギリシャみたいになるぞ、ギリシャみたいになるぞ、と。

 だが、微妙に表現を変えている。6月17日午後の民主党参議院選マニフェスト発表記者会見では“ギリシャの威し”は次のように表現されている。

 「ご承知のように、今の日本の財政の状況は債務残高がGDP比で180%を超え、この間の水準で国債発行を続けていれば、あと数年、3年4年という数年の間にはGDP比で200%を超えることが確実だという、そういう状況に今日本があるということを、これは多くの国民のみなさんもご理解をしていただいていると思います。

 そして特に、あのギリシャの財政破綻から始まるヨーロッパの動揺は問題が決して対岸の火事ではなくて、我が国自身がこのことをしっかりと財政再建を取り組まなければ、例えばIMFといった国際機関が我が国の主権と言うべき財政運営にそれこそ、箸の上げ下ろしまでコントロールするようなことにもなりかねない。過去に於いて多くの国がそういう経験をし、社会が非常に荒んだということもあるわけでございます。

 そういう意味で、我が国が、そして国民のみなさんが、そして私たち政治家が、自分たちの他国に頼らない、自分たちの力で財政再建を実現をする。強い財政をつくることが、同時に強い財政、強い社会保障をつくる、こういう道筋に持っていくために消費税について、これまでも議論を長くタブー視する傾向が政治の社会でありましたが、ここでは思い切ってですね、このマニフェスト、今申し上げたような形で書かせていただいたところであります」――

 6月21日の首相官邸での記者会見ではほぼ同じ用い方となっている。

 「そして、こうした経済成長を支えるためには、強い財政が必要であります。日本の現状は、多くの方が御承知のように、債務残高がGDP比で180%を超えているわけであります。これ以上借金を増やすことが本当に可能なのか、あのギリシャの例を引くまでもありませんが、財政が破綻したときには、多くの人の生活が破綻し、多くの社会保障が、多くの面で破綻するわけでありまして、そういった意味では、強い財政は成長にとっても社会保障にとってもなくてはならない大きな要素であることは、言うまでもありません」

 「消費税の議論の中で、私もこの場でも申し上げたんですが、その前提になっている現実というものを是非、国民の皆さんにも御理解をいただきたいと思うんです。決して私は増税がいい、消費税を引き上げることがいいと言っているのではないんです。そうではなくて、今は税金ではなく、赤字国債でもって多くの社会保障に関わる費用が賄われている。その結果、GDP比180%を超える、いわゆる債務残高が累積しているわけです。

 この状態を同じように、毎年赤字国債、一部建設国債を含めて発行していって、果たして持続可能性があるのか。あと100年持続できるということをどなたか保証してくださるのであれば、それはそういう道筋もあるでしょう。しかし、もし持続できなかったときに何が起きるかというのは、これはギリシャの例を見ても、まず起きることは福祉の切り下げであり、場合によっては人員整理であり、あるいは給与の引き下げであるわけでありまして、そういうことにならないために、強い財政を復活するにはどうするかということを申し上げているんです」――

 ギリシャの政治家や国民はこのような使われ方をしているとは気づいていないと思うが、菅首相にとっては消費税増税に持っていくためには財政破綻したギリシャは“様々”となっているようだ。

 だが、マニフェスト発表記者会見でも、首相官邸記者会見でも、ギリシャの財政破綻が日本に起きた場合の各種制度の破綻や生活の破綻といった悪影響を自身の主張として断定的、直接的に表現している。いわばギリシャを悪者にして、こうなるぞ、こうなるぞ、と断定している。

 ところが、大阪市の選挙遊説では、「2~3年でギリシャのようになるという人もいる」と、自身の主張としてではなく、第三者が主張していることだとし、直接的表現から間接的表現に変えている。

 なぜ直接的表現から間接的表現に変えたのだろうか。

 「ギリシャ、ギリシャ」とバカの一つ覚えのように繰返し威しをかけたとしても、またかとなって効果を失う。あるいは耳にタコができて、刺激効果が弱まる。しかし、“ギリシャの威し”に変わる適当な悪者を見つけて利用しているわけではなく、悪者をギリシャにしていることに変わりはない。違う点は制度破綻や生活破綻がいつ来るのか、これまでは明確に期限を提示していなかった。

 但しマニフェスト発表記者会見では、「あと、数年、3年4年という数年の間には、GDP比で200%を超えることが、確実だという」とは言っているが、あくまでもGDPに関してであり、ギリシャ同様の財政破綻に直接触れた期限ではない。

 だが、選挙遊説では、「2~3年」と区切っている。いわば間近なことだと威しを強めたのだが、それが事実でない場合に備えて、第三者の主張に変えたのだろう。「このままの財政状況が続いたなら、本当に2~3年内にギリシャのようになるのか?」と切り返された場合、「そのように主張する人もいる」と逃げることができる。

 しかし、「2~3年」と区切って“ギリシャの威し”を強めたものの、自身の主張として、「こうなります」と断定するのではなく、匿名の第三者の主張として、「なるという人もいる」としたことで、逆に威しを弱めて強めた分を相殺する表現となってしまっている。

 要するに消費税増税への衝動に反して万が一の場合の自己保身を先に立たせたことは、徹頭徹尾自身の主張だと断定して賭けに出るだけの覚悟、指導力を欠いていたことの証明とすることができるはずである。

 「確実に2~3年でギリシャの財政破綻が日本にも起こることを私は硬く信じている。財政再建、税制の改革、悠長に構えてはいられない。これらの改革を早急に強力に推し進めなければならない。待ったなしです」と断定することができなかった。

 尤も現実にはそうはならないということなら、断定のしようもなかったということになる。合理的理由を持ったギリシャ同様の財政破綻説ではない、消費税増税の分かりやすい口実に使っているに過ぎないということになる。

 谷垣総裁も覚悟の言葉を述べている。

 「自民党がチャレンジャーとして生まれ変わり、日本のため、ふるさとのために命を捨てて頑張ることがいちばん大事なことだ」

 「命を捨てて頑張る」――

 いわば日本古来からの文化である精神主義の発露を見ることができる。戦前の戦争で日本は精神主義で乗り切ろうとした。それが大和魂であり、一つの具体化が神風特攻隊であり、あるいは竹槍であった。

 いくら戦艦大和だ、戦艦武蔵だ、ゼロ戦だとモノづくりに長けていても、合理的な戦略、合理的な戦術に則らずに精神主義に則っていたのでは短期戦は精神主義の勢いで乗り切ることはできても、長期戦となると、合理的に戦争を進めることができない。

 精神主義は合理主義の対極にある。人は覚悟の譬えだと言うだろうが、精神主義が国民に受ける場合があったとしても、「命を捨てて頑張る」にあるのは自民党の覚悟という抽象性のみで、それ以外の合理的で明快な、どのような情報も含んでいない。自己が政治的に何を為そうとしているのかを他者に理解させ、他者の自己に対する理解の参考とさせる媒介としての合理的内容を備えた簡潔明快な情報の提示はそこにはない。

 合理的に組み立てた情報(戦争なら、戦術・戦略)こそが双方の意志決定に供与する。

 菅首相の“ギリシャの威し”も精神主義を多分に含んでいる。給付付き税額控除や軽減税率などに関する合理的に組み立てた簡潔明快な情報を提示しないうちから、あるいは消費税増税による税収を使途を例示はするが、具体的に決めないうちから、“ギリシャの威し”を多用して増税を納得させようと半ば強要している。

 合理性を欠いている分、“ギリシャの威し”といった言葉の恫喝で増税を成し遂げようとする精神主義を入り込ませる隙を与えている。その非合理性に首相自身の資質まで疑問を感じるが、間違った指摘なのかもしれない。

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