国民の政策判断基準、投票判断基準を台無しにする民主党のマニフェスト修正主義

2010-06-30 09:25:29 | Weblog

 民主党がマニフェスト戦争を勃発させた。戦争当事者は小沢前幹事長対菅現執行部。マニフェストは守るべきだ、修正があってもいいの両勢力による正面衝突だが、まさに戦争にまでエスカレート。守るべきだが小沢前幹事長、修正があってもいいが菅現執行部。

 なかなか見所のある戦争となっている。

《「約束、実行しなきゃ駄目」 小沢氏、菅執行部を批判》asahi.com/2010年6月28日22時2分)

 民主党は子ども手当の満額支給断念、高速道路無償化の修正、ガソリン税暫定税率廃止の断念等々、衆院選のマニフェスト中身を替えている。 

 愛媛県今治市での会合――

 小沢前幹事長「約束は実行しなきゃ駄目だ。政権取ったら、カネがないからできません、そんな馬鹿なことがあるか。・・・・公然と政党が約束し、政権を与えられたのだから、やればできる。必ず私が微力を尽くし、約束通り実現できるよう頑張りたい」

 次は菅首相の「消費税10%」発言を攻撃目標に据えて――

 小沢前幹事長「一生懸命無駄を省き、最終的に4年たって、社会保障費などがどうしても足りないという場合は検討しなければならないが、(昨年の衆院選で)上げないと言ったんだから約束は守るべきだ」

 自身も民主党の一員でありながら、「民主党は約束を守れっ!!民主党は約束を守れっ!!」とシュプレヒコールを上げている。

 記事は最後に、〈会合後も収まりがつかない様子で、〉と解説を加えながら、記者団に語った発言を伝えている。

 小沢前幹事長「国民の皆さんと約束したことは、何としても守らなければ社会は成り立たない。これでは結果としてうそをついたことになる」

 そっちが小沢外しなら、こっちはマニフェスト違反攻撃の仕返しだといったところか。

 対して菅現執行部の反撃。戦争は攻撃に対する反撃が付き物となっている。

 《【参院選】割れる民主、公約混乱 幹部「小沢氏の発言分からない」》MSN産経/2010.6.29 23:40)

 最初にこの戦争の理非についの解説。〈民主党は選挙の重要政策をめぐる混乱をさらけ出した格好だが、政党がわかりやすい公約を掲げて有権者に選択を求めるマニフェスト選挙の基礎を崩す恐れさえはらんでいる。(榊原智)〉――

 反撃のトップバッターは枝野幹事長。

 枝野幹事長「硬直的な考え方は結果的に国民に迷惑をかける無責任な大衆迎合だ」

 要するにマニフェストに政策として掲げたからといって、掲げたとおりに杓子定規に政策を推し進めなければならないとするような「硬直的な考え方は」、「無責任な大衆迎合」に過ぎないと言っている。

 裏を返すと、柔軟な発想、柔軟な政策遂行が必要だ。それが国民の利益に適う責任ある政権運営だということなのだろう。

 また枝野幹事長は〈小沢前幹事長時代に公約に反してガソリン税暫定税率の実質維持を決めたことに触れ〉――

 枝野幹事長「もう、お忘れになったのか」

 自分こそマニフェスト修正主義者じゃないかと、レッテルを投げ貼り返す。我々をマニフェスト修正主義者呼ばわりするとは片腹痛いとばかりに。

 マニフェスト修正主義者という点では、どっちもどっちも、五十歩百歩だと思うが、枝野はそのことに気づいていないらしい。
 
 〈菅首相が小沢氏について「しばらく静かにした方がいい」などと述べたことに関連し〉――

 枝野幹事長「普通『しばらく』と言ったら、もう少し長い期間を言うのかなと思う」

 小沢外しの戦争を仕掛けられた側は常に反撃の機会を狙う。その絶好の機会が訪れたにも関わらず、「しばらく静かにした方がいい」と言われたからと、それを「硬直的」に受け止めて忠実に従っていたのでは折角の反撃の機会を失ってしまう。機を見て敏なる者こそ、効果的な反撃をものにすることができる。

 枝野幹事長は自分では気の利いた皮肉を言ったつもりだろうが、人間の心理に詳しくないらしい。

 二番バッターは玄葉公務員制度改革担当相(民主党政調会長)。29日の記者会見。

 玄葉「マニフェスト見直し作業は、(党所属)全国会議員、総支部の声をかなり集約しながら、確かなプロセスで進められた。前執行部の下で進んだとも理解している」

 党内の大勢的意見を「集約し」、「確かなプロセスで進められた」なら、「マニフェスト見直し」は許されるとマニフェスト修正主義を正当化している。さすがマニフェスト修正主義者の面目躍如とした発言だが、「前執行部の下で進んだとも理解している」ということは、マニフェスト修正に関しては小沢幹事長共々自分たちをも共犯の立場に置いていることになる。

 共犯なら、共犯じゃないかと言った方が早い。「お前と俺は一緒に人殺しをやった仲じゃないか。仲間割れしている場合か?」と。

 三番バッターは野田財務相。

 野田「(小沢氏の発言は)意味がよく分からない。参院選公約は鳩山由紀夫前首相、小沢前幹事長の下での企画委員会を中心にまとまってきた。ご自身が見ていたはずだ」

 これも共犯説。主犯は前執行部かもしれないが、マニフェスト修正という犯行を受入れたのだから、共犯であることから免れることはできない。そして現在は主犯としてマニフェスト修正を敢行しつつある。

 記事は、〈仙谷由人官房長官も会見で公約修正は当然との考えを示した。〉と書いているが、発言そのものは伝えていない。

 《民主党:小沢氏の公約修正批判に広がる警戒感》毎日jp/2010年6月29日 20時29分)がその発言を載せている。

 〈小沢氏が批判した子ども手当の満額支給断念などについて〉――

 仙谷「限定的だが、実現した」

 そう、「限定的」であっても、「実現」しさえすれば許されるとの立場――マニフェスト修正主義者の立場を露にしている。

 最初100と言ったとしても、「限定的」に50の実現であっても構わないとするなら、では、最初の100は何だったのか。

 仙谷「現実の財政、経済運営に責任を持たなければならない政府として、約束したことは約束したことで一生懸命やっていく」

 前後の発言に矛盾がある。「約束したことは約束したことで一生懸命やっていく」は修正主義の否定である。「現実の財政、経済運営に責任」があると同時にマニフェストにも「責任」があると言っていることになる。

 尤も、「一生懸命やっていく」とは言ったが、「実現させる」とは言っていないということなら、発言の矛盾を解くことはできる。「限定的だが、実現した」は修正主義の観点から言うなら、結構毛だらけの首尾となる。

 上記「MSN産経」記事は現執行部対小沢反撃に対する小沢対現執行部再反撃を、〈一方、小沢氏は閣僚らの反発などどこ吹く風だ。29日、遊説で訪れた山形県鶴岡市の山間部の集落でビールケースの上に立ち、約30人の住民と約15人の報道陣を前に持論を繰り返した。〉紹介している。

 聴衆約30人に対して報道陣がその半分の約15人、相当野次馬根性の溌剌気分に満たされていたのではないのか。

 小沢前幹事長「皆さんと選挙で約束したことは、どんなにしんどいことであってもやり遂げなければ、本当に信頼を勝ち取ることはできないと、私は思っております」

 これだけの発言を録るために山形県鶴岡市の山間部にまで15人もの報道陣が押しかけた。押しかける1人になりたかった。野次馬気分が思う存分に味わえただろうから。

 しかし、記事が後半で纏めた解説は意味ある指摘となっている。

 〈参院選での民主党の公約はもちろん今の参院選マニフェストや首相、幹事長らの選挙戦での発言の中にある。しかし、前執行部の実力者で、党内最大グループを率いる小沢氏が異論を唱えるのでは、公約自体の重みが問われてしまう。

 有権者の一部には今も民主党の最高実力者としての小沢氏のイメージが残っている。それだけに、小沢氏の発言は、有権者に「執行部と小沢氏のどちらを信じればいいのか」と戸惑わせるのに十分だ。参院選後の9月には民主党代表選があり、小沢氏が党の主導権を握ったり、発言権を強めたりする事態もあり得る。有権者が民主党の目玉政策や消費税への態度は再変更されるかもしれないと感じたとしても不思議ではない。

 党執行部や閣僚らの小沢氏への反論は、こうした有権者の民主党不信を懸念したものだ。〉――

 だとしても、問題は選挙公約として掲げた、あるいは政権を獲った場合の国民との契約書となるマニフェストの内容を政権を獲ったのちに修正しても許されるのか、許されないのかであろう。

 その辺りの事情の変化によって、〈公約自体の重みが問われ〉ることになる。

 〈小沢前幹事長時代に公約に反してガソリン税暫定税率の実質維持を決め〉る修正主義をやらかしたとしても、現執行部のマニフェスト修正主義に反撃の機会を見つけた。そこが出発点となっている最近の小沢前幹事長対現執行部マニフェスト戦争なのだから、修正の是非、修正主義の当否に立ち返ってくる。

 小沢前幹事長は例えマニフェスト修正の前科があろうと、反マニフェスト修正主義の立場に立っている。例え野田が言うように「参院選公約は鳩山由紀夫前首相、小沢前幹事長の下での企画委員会を中心にまとまってきた」としても、修正マニフェストの実行者は現執行部なのだから、現執行部はマニフェスト修正主義者の立場を取っている。

 このことは以前ブログに書いたことだが、現執行部の重要な一員を占めている玄葉公務員制度改革担当相(民主党政調会長)の6月17日に行われた民主党2010年参院選マニフェスト発表記者会見での発言が証明している。

 玄葉 「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めるという観点から書かれているということです」

 マニフェスト修正主義者の面目が如実過ぎる程にまで現れた素晴らしい言葉となっている。 

 「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れ」などされたのでは、有権者は政策判断の第一義的基準をどこに置いたらいいのだろうか。

 玄葉は、マニフェストなるものは政策判断の第一義的基準とはならないものだと宣言したのである。現執行部は例えマニフェストを修正したとしても、国民の生活に役立てばいい、国民の利益に供すればいいと、そこに正当化の口実を置いているだろうが、修正が常に前身の形を取るとは限らない。後退、もしくは問題解決の遅滞の形を取る場合もある。

 例えば子ども手当の20011年度からの2万6千円満額支給を断念、現物給付にまわすとしているが、現物給付は現物給付で可能な限り満足に解決のいく政策を別立てで打ち立てていたはずである。打ち立てていなかったとしたら、不作為を為すこととなり怠慢の謗りを免れない。

 それを現物給付にまわすと修正、長妻厚労相が「満額支給は財政上の制約もあり難しい。現物、現金問わず、2万6千円という水準について確保するのが難しい」と言っているように、まわした分を合わせて予算支出額が1人当たり2万6千円に満たないということなら、まさしく後退そのものであろう。

 要するに玄葉が言っていることは政策をマニフェストどおりに実行できないことの正当化口実につくり上げた薄汚いばかりのご都合主義の開き直りに過ぎない。

 大きな真ん丸い目をして一見利口そうな目の輝きをしているが、小賢しさがそう見せている目の輝きのようだ。

 マニフェストの修正は年金月額7万円最低保障の公約にまで、その修正主義の魔の手が伸び、当初の姿を一変させようとしている。子ども手当に関して、「限定的だが、実現した」と平気で誤魔化すことができる仙谷官房長官がその方針を29日午前の記者会見で明らかにしている。

 《年金:月額7万円こだわらず制度設計 仙谷官房長官》毎日jp/2010年6月29日 13時08分)

 仙谷「あの時点では7万円程度が財源等の関係で望ましいし妥当かなという判断で書いたが、今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る」――

 〈政府の新年金制度に関する検討会がまとめた「基本的考え方」で、年金財源に触れなかったことについて〉――

 仙谷「消費税が大きな役割を果たすことは疑いようがない。この原則を作った方々の頭の中にも当然、共有、共通の認識としてある」――

 増税した消費税を充てると言っている。衆院選マニフェストでも、この「最低保障年金」制度は消費税を財源とすると明記しているらしいが、では、なぜ財源は消費税を充てると正直に書かないのだろうか。自分たちだけ、「共有、共通の認識」としている。だが、そこに国民を加えていない。国民には、「共有、共通の認識」とはなっていない。

 6月11日の菅内閣総理大臣所信表明演説で菅首相は、「広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する」と言っていたが、国民が「共有、共通の認識」の輪に入ることができない状況下では、民主党は「広く開かれた政党」とは決して言えず、当然、国民の積極的な政治参加は不可能となる。「国民の統治による国政」の実現はお題目で終わる。

 仙谷は“国民の積極的な政治参加”など頭にも耳にも気にも留めていないようだ。

 29日のTwitterに、「仙谷官房長官、29日午前の記者会見。民主党マニフェストに掲げた年金月額7万円最低保障。『あの時点では7万円程度が財源等の関係で望ましいし妥当かなという判断で書いたが、今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る』。そんなにあやふやな基準で決めたことなのか」と投稿した。

 要するにマニフェストに掲げ、国民との契約とした「7万円」は財源等から見た妥当性で弾き出した金額であって、最低限7万円の生活費が必要ではないかという「国民の生活が第一」、「国民のいのちを守る」視点からの妥当性で弾き出した金額ではなかったと暴露したのである。

 何とも心強い話だが、あくまでも財源が基準の捻出額だから、マニフェストに掲げたどのような保障額も、すべて「今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る」財源次第の変数となる。

 これ程見事なマニフェスト修正主義は他に類を見ないに違いない。子ども手当にしても、財源が基準の満額2万6000円と捻出した。親が子どもを養育するに1人当たり2万6000円は必要だろうという妥当性からの捻出額ではなかった。

 財源から弾き出した2万6000円であるにも関わらず、財源不足だと言って、満額支給は断念だと言う。ここに矛盾はないか。

 それとも子ども手当に関しては、財源を基準とした金額の捻出ではなかったというのだろうか。これだけは必要だろうという妥当性から捻出した。だが、財源不足から止むを得ず満額支給を断念せざるを得なかった。

 どちらであっても、自己都合の二重基準となる。

 仙谷は、「今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る」と言っているが、上がることはあるまい。マニフェストに掲げた保障額を財源次第の変数としているのだから、子ども手当の前例からしても、ほぼ答は出ている。「より低い金額が設定」ということになるだろう。

 財源不足は続くし、財政健全化も待ち構えている。

 それを解決するのが消費税増税だということなのだろうが、年金月額7万円最低保障の財源に消費税増税による歳入増に実際に置いていたなら、先に消費税増税を持ってこなければならないはずだが、逆の手順となっている。この矛盾をどう説明するのだろうか。

 この問題について年金を所管する長妻厚労大臣の発言を、《最低保障年金、月7万円巡り閣内で温度差》日本経済新聞電子版/2010/6/29 12:49)が伝えている。

 題名が示している記事の趣旨は、〈民主党が昨年の衆院選のマニフェスト(政権公約)で掲げた「月額7万円の最低保障年金」の扱いなどを巡り、29日の閣議後の記者会見で閣僚の意見の違いが明らかになった。〉というものである。

 長妻「7万円をかえるわけではない。マニフェストにも明記している」――

 鳩山政権の閣内外で子ども手当の満額支給見直しのアドバルーン(観測気球)が打ち上げられている中で、所管大臣の長妻議員一人のみが、「日本は、ほかの先進諸国と比べて現金支給のレベルは低く、満額の支給でようやく一定のレベルが確保される」と言って、満額支給を主張し続けた。だが、政権内で主流となった満額支給断念に最終的に歩調を合わせた前科がある。

 これは所管大臣が率先して断念を主張するわけにいかず、いわば外堀を埋める形で外から断念の包囲網を作り、最終的に内堀に当たる長妻厚労相が止むを得ずの形で断念をして完成形とする連携プレーだと疑っている。

 なぜなら、2011年度からの満額支給の場合、5.4超円の財源が必要だが、その手当がつかないといったことをマスコミが散々に書いていたことだから、所管大臣の長妻が最も知っていていい情報だったはずだ。にも関わらず、満額支給を主張し続けた。

 既に“オオカミ政治家”を演じたのである。

 「7万円最低保障」のサイコロの目はどう出るか分からない。消費税増税の目自体が選挙情勢、支持率状況に従って、どう変化するのか分からないときている。

 いずれにしても民主党は有権者がマニフェストに置いている政策判断の基準、投票判断基準を民主党自らの修正主義によって無効にしている、あるいは台無しにしている。このことは確実に言える。

 民主党のマニフェストは政策判断の基準にも投票判断の基準にもならない代物だということである。民主党上層部が寄ってたかって、マニフェストをそういうふうに劣化させた。

 誰もが同罪だと言うべきだろう。

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