菅直人代表立候補演説/過去の実績はどうでもいい

2010-06-05 04:51:42 | Weblog

 昨6月4日、菅直人が第94代の総理大臣に選出された。菅直人は同じ昨4日の民主党代表選投票に先立つ立候補演説で、自身の政治家としての生い立ちを語っていた。婦人運動家の故市川房枝氏の選挙事務長を務めたことが政治に関わる第一歩であり、衆院選、参院選、再び衆院選と立候補して落選、4度目の衆院選で初当選、自社さ連立政権の第一次橋下内閣で厚生大臣を務め、薬害エイズ問題に取り組んだ、等々。

 確かに薬害エイズ事件の処理で見せた実績は素晴らしい。その関与に関して、「Wikipedia」は次のように書いている。

 〈薬害エイズ事件

 薬害エイズ事件の処理に当たり、当時官僚が無いと主張していた行政の明白な過ちを証明する“郡司ファイル”(当時の厚生省生物製剤課長・郡司篤晃がまとめていたのでこの別名がある)を菅直人指揮の下にプロジェクトを組んで発見させ、官僚の抵抗を押し切って提出。血液製剤によるエイズに感染した多くの被害者たちに対して、初めて行政の責任を認めた。薬害エイズ事件の被害者たちに菅が土下座をして謝罪した事で被害者の感動を呼び、この厚生大臣在職中に得た功績が、菅が現実に官僚と戦った稀有な政治家としての大きな人気・政治的資産獲得の基盤となり、後の民主党結党に繋がる事になる。さらにこの事件の菅の処理は、彼が対談を行っていたカレル・ヴァン・ウォルフレンらから、日本に初めて官僚の説明責任という概念を持ち込み、「アカウンタビリティ」(責任)という言葉を定着させた、と高く評価された。 〉――

 だが、これは一国務大臣としての個別問題処理に関わる実績であって、厚生行政政策の創造に関わる実績とは言えず、また、日本に初めて官僚の説明責任という概念を持ち込んだ最初の政治家だったとしても、官僚のみならず、国会議員、閣僚の説明責任は今以て永遠の課題となっていて、殆んどが説明責任から逃れる不完全な制度のまま推移しているし、総理大臣として日本の政治全般に関与し、国と社会を健全な内容を備えた形で構築する作業の成果を保証する実績につながるというわけでもない。

 譬えるなら、民主党が現在行っている事業仕分けと同様であって、それが個々の省庁や法人のムダを省き、職務及び予算執行の効率化を図ることができたとしても、直ちに国家や社会の質の向上、国民生活の向上に資する創造的な政策を生み出し、実践する場面に転換できるとは限らないことと重なる。

 個々の家庭でムダを省いて節約することと、生活の質を向上させることとは別個の問題であることと同じであろう。

 要するに過去の実績をどう誇ろうと、それが総理大臣としての実績につながる保証はどこにもないということである。

 大体が菅直人代表選立候補を表明してから、前原国交相のグループが支持を表明、野田佳彦財務副大臣グループが支持表明、仙谷由人国家戦略相グループも支持表明、元社会党系グループが、元民社党系グループが支持と、いわば小沢一郎グループを除いて雪崩を打つように菅支持に動き、投票する前から、「菅直人代表選出へ」と報道するマスコミもあった程、当選が計算できていた。時間を割くべきは総理大臣に選出された場合の心構えであるべきを、過去に時計の針を戻した。

 いくら対立候補の樽床議員が世代交代を訴えたことに対する自己存在証明のための過去の実績の訴え、年代を経るに応じた経験の積み重ね、経歴の重要性の訴えだったとしても、逆に、年代と経験、経歴を経ているなら、過去の実績が将来の実績に必ずしもイコールとならないことを冷静に客観視すべきを、客観視するだけの考えを働かせることができなかったということではないのか。

 重要なことは総理大臣としてのこれから先の未知数の実績を知数たらしめることであり(知らしめるという意味の造語だが、既知数とするではない)、過去の実績が将来的未知数を知数とする保証とはなり得ないとする心構えこそが、バラ色の夢を安易に振りまいたり、ふわふわした言葉を弄したり、空約束を連発したりを自制させ、厳しい気持で臨む心構えを導き出すはずである。

 菅直人は立候補演説の最後で次のように訴えていた。

 「政治とカネの問題、全議員に関わることだから、襟を正していくこと。第二に日本の経済、社会はこの20年間でどんどん行き詰まっている。なぜなのか。自然現象ではない。まさに政治の間違いです。私は強い経済、強い財政、強い社会保障というのは一体として実現できる。この実現のためにみなさんと共に頑張りたい。みんなが参加できる民主党にする。そのためには政調を是非ご相談の上、復活したい。このことをやっていきたい」――

 今後大きな経済成長が望めない中で財政再建を強力に推し進めると、その財政緊縮政策が小泉構造改革のように社会的弱者の経済を直撃する。景気回復のためだと財政出動政策を推し進めるなら、住宅エコポイント制度やエコカー減税等が証明しているように収入の高額方向に比例して、そういった層がより多くの利益を受け、社会的弱者の経済は取り残されるか後回しにされる。

 社会保障費財源確保に消費税増税は止む得ないとすると、同じく社会的弱者の経済に打撃を与えないでは済まない。

 社会保障にカネをかけすぎると、労働世代の経済に負担の皺寄せを及ぼす。このような矛盾をすべて解消して、「強い経済、強い財政、強い社会保障」を「一体として実現」するとバラ色の社会を約束した。

 民主党は政策調査会の休止によって、「みんなが参加」できない政党となっていた。そのことに気づいていた。気づいた時点で休止を決定した小沢幹事長に再会を進言するのではなく、その重石が取れてから、党に諮って復活を求める。

 この経緯は何事も自分の思うとおりには進めることができない障害の存在を物語っている。いくら指導力を有していても、それを阻害し、発揮できない場面があることを教えている。

 とするなら、なおさらに過去の実績は当てにならず、未知数を知数とすることに関しても、容易ではないことを客観視すべきであったろう。

 投票の結果、当選を知らされると、菅直人は歯を見せて嬉しそうに笑った。いくら当選が計算できていた投票結果だとしても、責任の重さ、前途多難さを微塵も見せない顔となっていた。総理大臣になることが目的なら許されるが、日本国家の運営を担う使命を前にしたこの楽観的表情と今後菅内閣を取り巻くに違いない数々の難題、厳しい困難に見せるに違いない、予想される表情との落差にテレビを見ていて、何とはなしの違和感を感じた。

 総理大臣として実績を上げることができなかったら、過去の実績など吹き飛んでしまう。精々厚生だ人どまりだった、総理大臣の器ではなかったと。

 そうならないことを願うが。


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