6月25日から開催、26日閉幕のカナダ・トロントG8(主要国首脳会議)では我が日本の菅直人首相は日本の首相にふさわしくない強烈な存在感を示すことができたようだ。大体が我が日本が今以てG8の一員であること自体が怪しくなっている状況にありながら、日本の首相が存在感を示し得たことは世界7不思議にもう一不思議付け加える必要が出てきたに違いない。
首脳宣言に韓国哨戒艦沈没事件に対する北朝鮮非難を盛り込むことができたのも、我が日本の菅首相のリーダーシップが物を言った。
《「北朝鮮非難」明記は成果=成長戦略にG8が理解―菅首相》(The Wall Street Journal/2010年 6月 27日 12:16)
「時事通信社」記事からの転載で、26日午後(日本時間27日朝)、トロント市内で記者団に語ったという。
菅首相「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」
自身の経済政策について――
菅首相「成長と財政再建の両立が主要8カ国(G8)すべてに重要だ。雇用を軸にした経済成長を訴え、G8各国から一定の理解を得た」――
そう、我が日本の菅首相の「リード」なくして、首脳宣言に北朝鮮非難を盛り込むことは永久にできなかったろう。G8から帰国した菅首相を日本国民はちょうちん行列で迎えてもいいくらいだ。
尤も我が菅首相の卓越した「リード」にしても、何ら障害なく結末を見たわけではなかった。難色を示すロシアをアメリカの力を借りてということはないだろうから、アメリカを従えて説得、自らの「リード」を実らせた。
但し、我が菅首相の卓越した「リード」であるにも関わらず、首脳宣言に盛り込まれた北朝鮮非難はロシアの要求にあって微妙に弱められることになった。
《G8の北朝鮮非難、日米主導で難色の露を説得》(YOMIURI ONLINE/2010年6月28日09時53分)が、「北非難の文言」を載せている。
〈韓国が主導し、外国の専門家が参加した軍民合同調査団は、天安(ちょんあん)の沈没は北朝鮮に責任があるとの結論を出した。我々はこの文脈で、天安の沈没につながったこの攻撃を非難する。我々は、北朝鮮が攻撃を行わないこと、また、韓国に対する敵対行為を控えるよう要請する。〉――
「この文脈で」がミソなのだそうだ。「この文脈で」の一言を入れることによって、ロシアは賛成したのだそうだ。
調査団が出した結論の文脈に従って非難するのであって、あるいは調査団が出した結論を背景として非難するのであって、結論を真正なる事実としたわけではないと二重基準を設けたわけである。
この辺の事情について、韓国の「中央日報」記事――《日本の官僚「北を強く非難できなかったのはロシアのせい」》(2010.06.28 10:59:26)が参考となる。
会議を終えたあとの日本の官僚の発言。
日本の官僚「北朝鮮をもっと直接的で力強く責めることができなかったのはロシアのためだった。ロシアが唯一の反対国だった」
ロシア代表団官吏「ロシアは天安艦事件の調査結果をまだ最終的なものと見做さない。北朝鮮を強く責めるのは否定的な結果を生むこともあり得る」――
正義もそれぞれの利害に従う。結果として、自分たちの正義が相手の正義であるとは限らない事態が生じる。当然、相手の正義が自分たちの正義であるとは限らない事態も起こり得る。自正義≠相手正義は相互性として存在している。
日本の官僚はロシアを批判するだけではなく、ロシアに対する自分たちの説得力の限界をも省みるべきだったろう。
だが、我が菅首相にとってはロシアの障害は自らの自尊心を何ら傷つけはしなかったし、自らのリーダーシップにいささかの疑問符もつけることもなかった。何しろ、「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」のだから、大いなる偉業を成し遂げ、大いなる存在感を示したと自らを誇っていさえすればいい。
菅首相は存在感ある自らの「リード」で、G8への中国の参加を提案してもいる。《中国のG8参加提案 菅首相、取り込み狙う?》(日本経済新聞電子版/2010/6/26 20:21)
記事は菅首相の提案の狙いを、〈中国を巻き込み、北朝鮮問題や中国の軍拡問題で「大国」の自覚を持った行動を促す狙いだ。中国抜きの国際会議での実効性に限界を感じている面もあるとみられる。〉と解説している。
G8の夕食会で20カ国・地域(G20)サミットの枠組みに疑問の声があがったとき、我が菅首相が存在感あるトップリーダーにふさわしく発言に出た。
菅首相「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」
記事は夕食会に於ける会話の内膜を次のように書いている。〈ある首脳が中国を念頭に「G20は金融危機では大きな役割を果たしたが、今後は意見をどう収れんさせていくかが課題だ」と発言。それを受け、会場内には中国抜きのG8を「価値観を同じくする国が率直に意見交換」できる場として評価する声が相次いだ。それだけに、首相の突然の発言は異彩を放った。〉――
我が日本の首相の中で、これまで異彩を放つ指導者など存在しただろうか。菅首相が初めてに違いない。ギネスに名をとどめるべきだろう。
記事は首相に近い政府筋を登場させて菅首相の異彩を放った発言を解説させている。
首相に近い政府筋「事前に調整した発言ではなかった。・・・・中国の存在が入らない会議は意味がない。中国に国際社会で責任ある振る舞いをしてほしいからだ」――
G8といった国際会議でも、事前に調整する発言もあるらしい。事前にそれぞれの発言を調整して、それぞれの役割分担に応じて発言し合い、対立する主張・意見を抑え込むべく策動するといったことが。
だが、「事前に調整した発言ではなかった」。自らのリーダーシップに則った中国招請発言であった。
この招請を記事は次のように解説している。〈中国抜きで決めた方針が国際社会でどの程度の効力を持つかは疑問だ。いっそ中国自身を当事者に変え、中国依存を強める北朝鮮や東アジアの軍事バランスの問題も責任を持って考えさせる――。「敵」を内側に取り込む発想ともいえる。〉――
問題は、こういったプログラムが可能かどうかにかかってくる。既に安全保障理事会は毛沢東が蒋介石国民党政府を中国大陸から放逐して以来、共産党中国をメンバーとして取り込んでいる。だが、韓国哨戒艇事件だけではなく、ミサイル発射、核実験に関しても、中国の対北朝鮮ガードを完全には突き崩せずにいる。それをG8で可能とできる前提の我が日本の菅首相の発言となっている。
記事は中国取り込みの効用を解く一方で、中国をG8のメンバーに加えたとしても、事はそう簡単には進まないこと、中国と西欧諸国との国益・利害調整の限界を伝えている。
〈韓国の哨戒艦沈没事件を踏まえ、日米韓は北朝鮮への制裁強化を打ち出したが、考え得る制裁は実施済み。北朝鮮の強硬姿勢を覆すだけの圧力にはなっていない。一方で、北朝鮮の国家崩壊に伴う難民流入などを恐れる中国は制裁論議が本格化するにつれ、北朝鮮への融和色を強めている。〉
〈イラン問題でもG8にはイランへの軍事力行使を辞さない構えをみせた1年前の迫力はない。北朝鮮問題と構図はほぼ同じで、背景には、両国に強い影響力を持つ中国の制裁への消極姿勢がある。国際経済だけでなく、国際政治でもG8の影響力の限界を見せている。〉――
〈北朝鮮の国家崩壊に伴う難民流入などを恐れる中国〉については、既に久しい以前から言われていることだが、このことだけではなく、共産党一党独裁体制を取る中国が近親相姦的に他国の独裁体制に寛容、国益重視の姿勢を取る以上、例え大国中国を取り込んだどのような国際会議も実効性を伴わない恐れを常に抱えることになる。
中国抜きでも同じ、取り込んだとしても同じのジレンマに絡め取られるといった光景を世界は既に経験している。
結果として、中国の正義は西欧諸国の正義とはならない現状をつくり出している。また、この現状が益々中国を無視しては何事も前に進まない、中国の必要性を逆説的に高めている。
記事はもう一つの無視できない重要な問題点を挙げている。
〈日本にリスクもある。中国が協調姿勢をとらなければ、G8の発信力は弱まる。途上国支援をめぐっても、派手なアフリカ外交で知られる中国がG8に加われば、日本の存在感が薄れかねない。〉――
ただでさえ世界経済の中で、日本の存在感は中国の存在感の前に影を薄くしつつある。政治に関しては前々から政治三流国という名誉ある地位を与えられ、西欧諸国にとっては手を上げてくれてカネさえ出してくれさえすれば、申し分ない同盟国とされている。
そこへ来て、近年存在感著しい政治大国中国に現在以上に政治的に活躍可能な国際舞台を与えたなら、我が日本の菅首相の存在感、あるいはリーダーシップを以てしても太刀打ちできない日本の国際政治的存在感の限りない希薄化を招きかねない。
では、存在感とリーダーシップを兼ね備えた我が日本の菅首相が主導して提唱した、「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」の発言に対して中国はどのような態度で応じたのだろうか。
《中国、G8に「興味なし」 菅首相の提案に否定的》(日本経済新聞電子版/2010/6/27 19:51)
要するに、シカトされた。昔風に言うと、肘鉄砲を喰らった。
中国外務省馬朝旭報道局長「G8の文書は知っているが、中国はG8でなくG20のメンバーだ」
記事は解説している。
〈温家宝首相は3月の全国人民代表大会(国会に相当)で、中国がG20を重視する方針を明確にしている。途上国代表としてG20を足場に国際的な発言力を強める中国にとって、「G8入り」といわれて先立つのはむしろ警戒感。外交や安全保障政策での自由度を失うことにもつながりかねず、請われてもG8に加わるつもりはないようだ。(トロント=高橋哲史)〉――
となると、中国の対北朝鮮ガードはもとより、対ミャンマーガード、対イランガード、あるいはアフリカの対独裁体制ガード等のみならず、安保理での韓国が望む制裁通りには進まない哨戒艦沈没事件に対する中国の対応等を考慮すると、中国の国際政治的な立ち位置を一切認識しない我が日本の菅首相の「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」であり、「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」の発言であったことになる。
いわば、甘い認識に立った自画自賛の役に立つだけの発言に過ぎなかったということになる。
当ブログ冒頭で菅首相自身の経済・財政政策に関して、「成長と財政再建の両立が主要8カ国(G8)すべてに重要だ。雇用を軸にした経済成長を訴え、G8各国から一定の理解を得た」と自ら評価する発言を取り上げたが、トロント市内のホテルでの記者会見でのその発言は《「参院選、人事つくすことに全力」 政懇で菅首相》(asahi.com/2010年6月27日22時18分)では次のようになっている。
菅首相「まあ、そんな中で、特にこのG8、G20のサミットにおいては、私が申し上げてきた経済成長と財政再建というものの両立が必要だという、この意見、ある意味では、他の参加国も基本的には同様な認識を示されてきていると思います。そういう点で、このサミットにおいても、一つの方向性を打ち出し、これから各国それぞれがんばるわけですが、そういった形で、一つの提起ができたこともよかったのではないかと、思っております。私からはとりあえず以上です」――
「経済成長と財政再建というものの両立が必要だ」――
誰もが痛感していることだが、それがなかなかできないから、どこの国も誰もが苦労している。それを菅首相は手品師がシルクハットから鳩を出すようにいとも簡単に実現可能なことのように言っている。
その両立策とは、国内外の資源の活用及び医療・介護、農業、観光等の分野への集中投資によって需要を生み出し、雇用を拡大して、そこから経済の拡大(強い経済)、財政の再建(強い財政)、社会保障の充実(強い社会保障)という好循環をつくり出してそれらを一体的に実現させる「第三の道」と称するいいこと尽くめに彩られた菅直人経済・財政政策のことであるが、あくまでもこれから着手する政策であって、まだ計画書の段階にあるに過ぎない。
モノづくりなら、計画書どおりにつくることはできる。だが、それぞれに相反する、あるいは相異なる利害が絡む政策となると、モノづくりのように計画書どおりには進まない。特にいいこと尽くめにつくり上げた政策は多分に現実世界の利害損得を無視しているから言いこと尽くめに彩ることが可能となるのであって、いいこと尽くめが矛盾を伴わずにいいこと尽くめで推移し、いいこと尽くめの結果にソフトランディングできる確率は限りなく低い。
これはあくまでも結果の予想ではあるが、予想通りであるかどうかは結果を見ないことには菅首相にしても、いくら目を見張るばかりの存在感があり、世界の指導者に劣らないリーダーシップの資質を備えていたとしたとしても、どういう姿を取るか分からないはずだ。
自らが考える経済・財政政策のG8の場での「提起」は自らも具体的に着手していないことの計画の提起に過ぎない。「提起」は結果、成果に至る以前の段階の状況での出来事であって、結果に至るまでの中間に困難な長い道のり、あるいは様々な障害が控えている。
ここで断るまでもなく、政治は結果責任である。結果を見ないうちからの「提起」の段階で、「G8各国から一定の理解を得た」とか、「一つの提起ができたこともよかった」と自ら評価する。
我が日本の菅首相には存在感やリーダーシップ同様に、物事を全体的に把える合理的・客観的認識能力にしても相当なものがあるようだ。