《政府が拉致対策本部 首相「主権侵害そのもの」と北を非難》(MSN産経/2010.6.18 11:10)
記事は政府が6月18日午前に首相官邸で拉致問題対策本部(本部長・菅直人首相)第2回会合(菅内閣発足後は初)を開催したこと、挨拶に立った菅首相が6月10日に拉致被害者家族と面会したことに触れて、「家族の方々の30年以上にわたる、言葉に言い尽くせないご苦労を直接感じた。拉致は主権侵害そのもので、断じて容認できない」と述べ、解決に向けた決意を示したことを伝え、最後に、〈首相は過去に日本人拉致の実行犯、辛(シン)光洙(ガンス)元死刑囚の助命嘆願書に署名したことがあるが、14日の衆院本会議では「間違いだった」と謝罪している。〉と論評抜きで簡単に伝えている。
要するに何も批判していないが、拉致問題に関する過去・現在間の態度の違い、二重態度を暗に指摘したのだろう。
「助命嘆願書」なるものの存在と、それに土井たか子や田英夫が証明したということはうろ覚えに記憶していたが、かつての菅直人国会議員が署名していたとは初耳であった。
社民党は自らの党HPに1997年から2002年10月に入るまで北朝鮮の拉致を「根拠がない」と否定する論文を掲載し続けていた程に北朝鮮シンパの様相を呈していたから、土井たか子や田英夫の署名は納得できた。
この記事だけでは14日の衆院本会議でどんな遣り取りがあったか分からないから、《衆議院インターネット審議中継》のHPにアクセス、どうせ自民党辺りの野党からの質問だろうと当りをつけて、自民党で質問に立ったのは谷垣総裁と菅原一秀の二人のみ、総裁直々には品位に関わるから質問はできないと踏んで、菅原一秀のビデオを聞いてみた。ビンゴ――
――北朝鮮の脅威・危険、拉致問題との関連で、次の質問を行う。
菅原一秀「ところで、菅総理は過去に、日本人の拉致実行犯である、辛光洙(シン・ガンス)死刑囚の、釈放要望書に署名しております。現国会議員で、署名したのは、総理ともう一人、千葉法務大臣であります。この件に関し、総理はのちに、知らなかったと応えておりますが、でも直前に、マスコミでも報道され、国会でも取り上げられたにも関わらず、知らなかったとどうして言えるんでしょうか。
日本のトップと、法を扱う最高責任者が、共に拉致実行犯の釈放書にサインをしていたというのは、極めて重要な問題であり、これで本当に、拉致問題の解決は前に進むのでしょうか。総理、いつ如何なる状況で、なぜ署名したのか、その理由をお聞かせください」
菅首相「エー、辛光洙元死刑囚の釈放要望書への署名についてご質問をいただきました。ま、この問題は、アー、かつて、安倍総理が、安倍長官時代に、NHK討論会の場でも、質問をされ、また、最近では、あ、岸参議院議員とか、エー、参議院の委員会の場でも質問され、私からアー、しっかりとお答えをさせていただきましたが、今日もわざわざご質問をいただきましたので、経緯を申し上げておきたいと思います。
エー、かなり以前なんですけれども、エー、全斗煥大統領が来日をされるという前に、在日韓国人であった、みなさんの中で、韓国で民主化運動をやっていて、逮捕され、死刑の判決を受けた方などが、おられた、アー、ところ、当時の社会党土井たか子委員長がですね、そういう、ウー、在日外国人で、大学生などで、そういう、ウー、その、民主化運動で、逮捕された、死刑判決を、人を、助命嘆願をしたいという趣旨で、エー、関係する社会(党)はもとより、公明党、そして当時私は、社民連という政党におりましたが、社民連のみんなに声を掛けられた、アー、と記憶しております
ま、当時社民連は田英夫さんが、アー党首で、私はまだ1年坊主か2年坊主の頃でありましたが、アー、そうした趣旨だということを、そうした、つまりは、在日韓国人の民主化運動によって逮捕された人に対する、ウー、釈放要求だという趣旨でありましたので、署名をさせていただきました。
その後、その署名、あのー、対象の中に、エー、工作員の辛光洙が入っていたという、ことで、これは私が、十二分、ジンビン、確かめ、えー、ることができなくて、署名したことは、ア、これは私の間違いでありまして、そのことについては、従来から、間違いであったことを、オー、反省をいたして、いるところであります」
結論から言うと、質疑・答弁を聞く範囲内では、状況証拠でしかないが、菅原議員が要望書への署名を取り上げるまでの答弁は雄弁に展開していたが、答弁がこの問題に入った途端に、「エー」、「アー」、「オー」を連発、声の調子も低くなり、答弁にスムーズさを失ったことと、菅原一秀議員が「マスコミでも報道され、国会でも取り上げられ」ていたと言っていることからすると、当時「1年坊主か2年坊主」だった菅議員は辛光洙のことを知っていながら、土井たか子同様に北朝鮮自体を善なる存在、韓国の盧泰愚大統領を軍事独裁政権の朴正煕の片割れの軍人出身だとして悪なる存在と看做し、拉致だけではなく、韓国での辛光洙の逮捕理由であるスパイ容疑自体を認めていなかったことから、賛同者の一人に名乗り出たといった疑いが濃い。
在日韓国人でありながら、韓国で民主化運動を行い逮捕され、死刑判決等を受けた民主化運動死刑囚等の助命要望を目的とした助命嘆願書だったが、その死刑囚の中に辛光洙も入っていたということなら、そのことだけを簡潔に答弁すれば、事は片付くはずだが、そうはせずに、「私はまだ1年坊主か2年坊主の頃で」と弁解しているが、これは自身がまだ世間を知らない若輩者、政治の世界に疎くて周りの状況が十分に理解できていない新人に過ぎなかったと、いわば自身を無知に近い状態に置いた弁解であって、これは明らかに、だから無理はなかったとする罪薄め、責任逃れの意識を込めた発言であり、そのように言う必要があったということを裏返すと、どうしても辛光洙に対する認識の違いがあったと見ざるを得ない。
また、「署名の対象の中に工作員の辛光洙が入っていたということで、私が十二分に確かめることができなくて、署名したことは私の間違いでありまして」と言っているが、これはどちらかと言うと自身の確認能力そのもの、確認方法そのものに責任を置かずに迂闊さ・不注意に重点を置いた「私の間違い」としている物言いであって、「私はまだ1年坊主か2年坊主の頃で」といった弁解と併せ考えると、同じように罪薄め、責任逃れの意識を込めているように思える。
社民党の土井たか子が主となって 「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」を提出したのは1989年7月である。インターネットで調べたところ、この要望書を提出する1年4カ月程前の1988年3月26日の参議院予算委員会がその質疑応答の中で既に北朝鮮の日本人拉致疑惑と辛光洙を絡めて取り上げている。菅原議員が「国会でも取り上げられた」と言ってることの中にこの質疑応答も入っているのだろう。
日本共産党のHPが、《参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋)》として記録に残している。
当時の菅直人議員が「まだ1年坊主か2年坊主の頃」だったとしても、この参議院予算委員会での質疑応答の事実を知っていたなら、確実に認識の違い――北朝鮮を善なる存在、盧泰愚韓国を朴正煕の軍事独裁体制を引き継ぐ悪なる存在と看做し、辛光洙のスパイ容疑での逮捕も、死刑判決も韓国当局がデッチ上げた捏造と見る、一般の認識との違いが誘導することになった署名だったと言うことができるのではないだろうか。
最初に2002年10月に入るまで北朝鮮の拉致を「根拠がない」と否定する論文を社民党のHPに載せていたと書いたが、「月刊社会民主」97年7月号掲載の社会科学研究所・北川広和著作の《食糧援助拒否する日本政府》である。
土井たか子はこのHPを削除する2002年10月まで北朝鮮を善なる存在、日本人拉致問題は日本政府のデッチ上げと見ていたのだろう。
菅直人にしても、社民党HP削除の2002年10月に至るどの時点までか分からないが、土井たか子が持っていた認識に組みしていたということではないのか。