民主党は参院選過半数を制して国民新党を連立から篩い落とし、外国人地方参政権付与法案と夫婦別姓法案を成立させるべき
民主党鳩山前政権が22年度に入った4月2日、4月28日、5月25日と各1億円ずつ、計3億円を1カ月の間に内閣官房報償費(官房機密費)として支出。鳩山首相が辞任表明したのは最後に1億円支出した5月25日から8日後の6月2日の民主党の両院議員総会。
《政府答弁書、機密費、今年度すでに3億円引き出す 鳩山前内閣》(MSN産経/2010.6.11 17:54)
〈今年度の官房長官取り扱い分の機密費は約12億3千万円。〉であり、〈予算計上された1年間の機密費のうち、4月と5月の2カ月ですでに4分の1近くが支出されていた。〉と書いている。
これは共産党の塩川鉄也衆院議員の質問主意書に対する菅内閣に移った11日の閣議決定の答弁書によって明らかにされたものだそうだ。
記事は、〈支出分3億円のうち、使用されずに仙谷由人官房長官に引き継がれた機密費の残高については、答弁書は「内閣の政策運営に支障を及ぼす恐れがある」として明らかにしなかった。〉と書いている。
鳩山内閣が支出した2009年度分の官房機密費の未使用分、残額1621万9082円を4月26日に国庫に返納したと平野官房長官自身が明らかにしているのだから、今回は隠しておく必要があったということなのだろう。
これが6月3日の民主党代表選出馬会見で菅直人候補が「民主党を国民に信頼されるクリーンな政党にしていきます」と誓った「クリーン」な隠し立て、情報非公開というわけである。
平野博文官房長官は3月10日の衆院内閣委員会で内閣官房報償費(官房機密費)を鳩山内閣が発足した昨年9月から今年2月までの半年間に毎月6千万円、計3億6千万円を国庫から引き出していたことを明らかにしている。
《官房機密費3億6千万円引き出し 民主政権発足後》(asahi.com/2010年3月10日18時34分)
(支出理由)
平野「必要と思ったから」
(使途について)
平野「相手様のあること。情報の収集、使い道を明らかにすることで、国益を損なうことはあってはならない」
平野や鳩山といった存在自体が国益を損なってきた。
鳩山内閣発足の昨年9月から今年2月までの半年間に毎月6千万円。年度末の3月の支出はなかったようだ。
《鳩山政権/官房機密費 3億5000万円/塩川氏に答弁書 09年度分使用認める》(しんぶん赤旗/2010年05月16日09時23分)
日本共産党の塩川鉄也衆院議員の質問主意書に対して5月14日の閣議決定した答弁書では記事によると、〈平野博文官房長官の請求で国庫から同長官に支出された2009年度の官房機密費(内閣官房報償費)計3億6000万円〉となっていて、鳩山内閣発足の昨年9月から今年2月までの半年間に毎月6千万円、計3億6千万円と同じ額となっているから、3月の支出はなかったことになる。
既に触れたが、平野長官が請求しながら未使用分の残額1621万9082円は4月26日に国庫に返納したと記事は書いている。
〈この結果、09年度の官房機密費予算総額(12億3021万1000円=官房長官扱い分)のうち、新旧両政権が使用した総額は11億9378万918円に上ることが判明。両政権ともに請求せず、国庫から支出されなかった残額(2021万1000円)と平野氏の返納分を合わせても、未使用残額は3643万82円(同予算総額の2・9%)に過ぎ〉ないと記事は解説している。
確かサラ金のテレビコマーシャルだったと思うが、「正しい使い方をしましょう」というのがあったと思う。
鳩山政権発足後の09年度分の官房機密費が3月抜きの6ヶ月間で几帳面に月々きっかり6千万円ずつで合計3億6千万円。ところが年度が変わった4月、5月に入って、4月2日、4月28日、5月25日と金額は違えど、これも几帳面に支出ごとにきっかり1億円ずつ、3億円も支出している。
上記「しんぶん赤旗」が記事の最後で、〈09年度の官房機密費をめぐっては、総選挙で政権交代が決まった2日後の昨年9月1日に、麻生政権当時の河村建夫官房長官が2億5000万円を支出し、旧政権が事実上“持ち逃げ”したことが塩川議員の追及で判明。鳩山政権も毎月6000万円を支出するなど、新旧両政権によって使途も明らかにされずに“食い物”にされた実態が明らかになっています。〉と書いているが、鳩山辞任後の3億支出なら、麻生政権同様の“持ち逃げ”と言えないことはないが、残念ながら辞任前の“食い物”となっている。
前の年の9月から翌年2月まで平野らしくない几帳面にきっかりと月々6千万円の予定調和を大胆に破る4月2億、5月1億の平野には何となく似つかわしい胡散臭さを与える支出は何に使われたのだろうか。
4月、5月は普天間移設問題と重なる。地元・連立政権・日米の三者合意の09年12月末決着が翌年3月末決着に先送り、3月末決着が5月末決着に先送り、4月に入っても5月末決着が困難視されていた。そして5月末決着を日米合意のみの不完全な5月末決着で終わらせた。
当然昨年の12月以前から今年の5月末にかけて打開を図るための激しい工作が行われたに違いない。そのことは報道から知ることができる。
《普天間移設:官房長官が徳之島町議5人と会談》(毎日jp/2010年5月12日 21時51分)
5月12日夜の鹿児島市内のホテルで鹿児島県・徳之島町の町議5人と会談したことを伝える内容の記事であるが、この会談をセットすることになった経緯を、沖縄からの徳之島への訓練の一部移設に4月18日の島民反対集会が象徴しているように徳之島の自治体も住民も強硬に反対していることに平野官房長官が危機感を強め、島には海兵隊誘致による政府の振興策に期待する声も一部にあったことから島内の「移設柔軟派」に(あの細い目を目一杯苦労して見開いたかどうかは分からないが)着目したからだとしている。会談に参加した町議には移設容認派も含まれていたと書いている。
と言うことは、5人の中に移設反対派の町議、あるいは中間派の町議もいたことになるが、説得工作に当たるべき対象を容認派と反対派、それぞれに別個に扱う段階にきていたはずだが、いきなり容認派とばかりでは何かと勘繰られるから、全員を容認派で揃えることはしなかったということなのだろうか。
平野長官の徳之島の町議との接触はこれが初めてではなかった。記事は次のように書いている。
〈政府は昨年11月以降、徳之島にパイプを持つ民主党の牧野聖修衆院議員を島に派遣して地元町長らの感触を探ってきた。平野氏も独自に移設柔軟派と接触を繰り返し、4月下旬にも都内で一部町議と秘密裏に会った。今回の町議との会談も、3町長の中では穏健派とみられる高岡秀規・徳之島町長を通じて申し入れた。しかし、出席者は徳之島町の町議だけで、定数16のうち5人どまり。政府側の対応に、島内では「一本釣りで勝手にやっている」=町田喜男(まちた・きお)徳之島町議会議長=との反発が広がっている。〉――
牧野聖修の昨年11月以降からの島派遣の説得工作が徳之島に於ける大勢意見とはなっていないことは4月18日の島民反対集会や3町長の反対姿勢が証明していることで、当然、容認派、柔軟派を核に移設反対派に対するより激しい切り崩し工作が必要になったことは十分に窺うことができる。切り崩し工作には飲ませる・食わせることから握らせるまで現ナマを付き物とする。
平野長官にしても移設柔軟派との接触を繰返す必要に迫られていた。その一つが4月下旬の都内での一部町議との秘密裏会談。
そして地元での手始めが5月12日夜の鹿児島市内のホテルでの徳之島町町議5人との会談。5月15日鹿児島市を再訪、徳之島関係者との会談。翌5月16日朝の基地移設推進の地元団体代表ら14人との会談――立て続けに接触、受入れに前向きな人物を介して移設反対から移設容認への宗旨替え狙った工作に出ている。
5月16日朝の会談で宗旨替えの目玉としたのが、会談相手の基地移設推進の地元団体代表側が提示したという形を、多分取らせた「7項目の地域振興策」であろう。
(1)徳之島3町合計で約250億円の借金(公債)棒引き
(2)航路・航空運賃を沖縄並みに抑制
(3)燃料価格を沖縄・本土並みに引き下げ
(4)沖縄県が対象の黒糖製造工場への交付金を鹿児島県にも適用
(5)医療・福祉・経済特区の新設(健康保険税の免除)
(6)奄美群島振興開発特別措置法の所管省庁を国土交通省から内閣府へ移す
(7)看護学校、専門学校の設置
鳩山首相も5月4日と5月23日に沖縄を訪問、知事や名護市長を会談、辺野古移設受入れを要請している。
こういった表の動きと併行させて、4月下旬の都内での一部町議との秘密会談もその一つである、表の動きよりも激しい裏の動き――説得工作から買収工作までが展開されていたことは容易に想像できる。
こうも考えられる。沖縄、徳之島の移設反対の機運が高まるに比例して反対機運を賛成機運に何が何でも変えなければならない工作資金を大量に必要とするようになった。勿論、鳩山内閣の浮沈に関わることだから、現ナマが飛ぶ激しい買収工作が繰り広げられたことも容易に考えることができる。
それが最終的に4月、5月の3億円となったのではないだろうか。