菅仮免の福島第1原発視察国会事故調参考人証言から見る危機的状況に応じた行動性の欠如

2012-06-01 07:45:35 | Weblog

 菅仮免の国会事故調参考人証言の「2011年3月12日福島原発現場視察証言」のみを取り上げて見るが、無責任と嘘と詭弁と同時に危機的状況に応じた適切な行動性の欠如が浮かんでくる。

 質問者は桜井委員。桜井正史氏は元名古屋高検検事長だそうだが、検事を長く務めていた割には追及が下手くそである。2011年3月11日大震災発生以後の菅と事故対応関係者の国会発言やインタビュー記事等、詳細に調べてから追及に当たるべきだと思うが、どうも中途半端の資料を基に追及しているとしか思えない。 

 桜井委員「次に総理が福島第1に視察に行かれたことについて伺いますが、津波、その他の被害の所も併せて視察をなさったことは皆さんもご承知で、改めてご説明はいりませんが、福島第1原発をご自分で行かれたということは如何でしょうか」

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております。

 私としてはテレビ出見ておりましたけれども、やはり現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました。

 一方で原発については11日の発災直後から、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、そして東電から派遣された技術担当のフェロー、そうした皆さんから色々と話を聞いておりましたけれども、そういう皆さんの話の中で、例えば第1サイトの原子炉の状況がどうなっているのかとか、あるいはどうなりそうだとか、こうなった場合はこういう形で対策を打つべきであるとか、そういう話は残念ながら一切ありませんでした。

 例えばあったのは、東電から先ず電源車を送る、そのために協力して欲しい。そういうことについて色々やりました。後にベントの話もありました。しかしそういった根本的な状況についての説明は残念ながらありませんでした。

 特にベントに関しては既に経産大臣の方から、東電がベントをしたいということについて了解していると言っているにもかかわらず、何時間経っても、それが行われない。

 私からも東電から派遣された方に、なぜ進まないんですかとお聞きしました。そしたら、分からないと言われるんですね。わからないと言われるのは本当に困りました。

 技術的な理由なのか、何か他に理由があるのかですね、分かれば、またそれに対して判断できますから、そういった状況がありましたので、私としては福島のF1、第1サイトにその責任者と話をすることによって、状況を把握できるんじゃないかと、そう考えまして、地震・津波の視察を併せて福島第1サイトの視察に行くことを決めたわけです」

 桜井委員「福島の第1で当時の吉田所長と会われまして、その結果、行われた先程の目的とその他のことで、どのような成果というか、結論を得られたのでしょうか」

 菅仮免「免震重要棟に入りまして、2回の部屋に入りました。そこで吉田所長と、確か武藤副社長がその同席をされて、こちらに何人かが同席をされていました。

 その中で炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明がありました。その上で、私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 それで私も、この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持ちまして、確か免震棟降りましたのは40分程度でありますが、それでそこを後にしました。

 私としてはその後、色々な判断をする上で、特に東電の撤退問題、後程話題になるかもしれませんが、そういったことは判断する上で、必ずしも私は何回もお話ししたわけではありませんが、現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知るという上では極めて大きなことであったと。そこで顔と名前が一致したということは極めて大きなことであったと、このように考えております」 

 菅は地震・津波のヘリコプター上空視察の動機を次のように証言している。

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております。
 
 私としてはテレビ出見ておりましたけれども、やはり現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました」――

 「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい」、あるいは、「現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました」

 至極尤もな目的と言える。あるいは至極尤もな理由に聞こえる。

 だが、このことと、「かつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があった」こととどうつながるのだろうか。上の二つの目的だけで十分であって、持ち出す必要のない「阪神・淡路の震災のとき」の現地入りの譬えである。

 だが、持ち出した。

 「いつ行く、いつ行かないで色々と議論があった」からを理由に、「地震・津波の現状を直接私が見て認識したい」、あるいは「現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました」を目的とした、理由と目的の関係は果たして前後矛盾のない正当性を見い出し得るだろうか。

 多くの死者、多くの被害を出すような大災害が発生したときの一国のリーダーの現地入りの「いつ行く、いつ行かない」の時期は阪神・淡路大震災のときだけに限った話ではなく、常に取り沙汰される問題であって、適切な時期を逃した場合、批判を受けるだけではなく、支持率を下げる失態ともなり得ることから、リーダー本人のみならず、政府部内でも「いつ行く、いつ行かない」の議論が噴出することになる。

 その結果として、「いつ行く、いつ行かない」の適切な時期の判断はマスコミや国民の批判回避が隠れた目的と化し、そのことを理由として時期が決定されがちとなる。

 もし3月12日の視察が「いつ行く、いつ行かない」を隠れた目的とし、そのことを理由とした時期決定であったなら、証言に於ける理由と目的の関係が矛盾していることに気づかないままの、阪神・淡路大震災の前例を挙げた視察であったとしても理解可能となる。

 もしかしたら、緊急事態宣言発令が2時間以上も遅れて厳しい批判に曝されることになったために羮に懲りて膾を吹く心の状態に陥り、指揮官は情報の収集と発信の中枢たる官邸に構えて、収集した情報を適切・的確に処理し、処理した情報の発信を通して初動対応の陣頭指揮に当たらなければならない責任を負っているにも関わらず、「いつ行く、いつ行かない」の焦りに駆られたまま震災翌朝早々に官邸を離れて早過ぎる視察に出かける軽挙を犯したと勘繰ることもできる。

 「いつ行く、いつ行かない」はその後も続く。菅仮免の最初の被災地訪問は3月21日宮城県石巻市の避難所、その他を視察する予定でいたが、天候不良を理由に中止となった。

 だが、それは表向きの理由で、菅の3月12日福島第1原発現場視察が現場の作業を遅らせたという批判と、震災発生から10日しか経っていないために被災地視察が地元自治体の負担となるという批判もあり、政府部内でも時期尚早との意見があったというから、悪天候を理由に軽挙回避・批判回避を隠れた目的とした視察中止とも解釈できないことはない。
 
 但し、中止だけで終わらなかった。中止を決めたのは3月21日当日の午前5時台とかで、視察受け入れの準備を進めていた被災自治体は災害対応に無駄に手を休めたことになって、中止がまた批判を呼ぶことになった。

 菅仮免が被災地訪問を最初に果たしたのは4月2日である。だが、歓迎されなかった。遅過ぎるという批判すら起きた。3月21日では早すぎる。4月2日では遅すぎる。

 この意味を解くとしたら、緊急事態宣言発令の遅れ、避難指示の自治体連絡不徹底、SPEEDIデータの未公表、3月12日福島第1原発現場視察の不適切さ、救援物資配布の遅れ等々が国民をして菅仮免の一国のリーダーとしての指導力や人間性を問題とするようになっていて、既に「いつ行く、いつ行かない」を問題外としていたということではないだろうか。

 いわば何をしても批判を受ける状態になっていた。

 菅仮免は福島原発現場視察を原子炉の状況に関わる具体的な情報が官邸に上がってこないために自ら現場に足を運んで状況把握することを理由とした。

 だが、この理由も疑わしいい。

 3月11日午後22時、原子力・保安院が「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を官邸災害対策本部事務局に提出している。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失
     21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに低下
     22時50分――炉心露出
 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。
     5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。

 これは2号機の予測だが、1号機がより危険ということで、1号機への対応を先行させることになる。このことは菅仮免も国会事故調で、「1号機へと焦点が移っていくことになりました」と証言している。

 その結果の格納容器内の圧力を逃がす応急措置としての1号機ベント実施の決定であろう。

 評価結果は11日22時半、首相に説明。

 この原子力安全・保安院の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」から、いくら楽天家のノー天気菅仮免でも、一国の首相としての精神状態からして切羽詰まった危機感を抱いていたはずだ。

 既に2時間20分も遅れた3月11日19時03分の緊急事態宣言発令の失態を犯している。自身の首が飛ぶかもしれない地位上の危機感を併せ持っていたとしても不思議はない。

 しかも菅自身が「ベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いている」のに対して「何時間経っても、それが行われない」、行われない理由も分からないという状況にあったことからして、原子炉の危機的状況をひしひしと実感もしていたろう。

 だからこその自分の目で確かめるための現場視察だと一見整合性を与え得るが、ベントに関わるこの切羽詰まった危機感に反した矛盾した行動をいくつか見ることができる。

 最初の矛盾は昨年2011年3月28日午後の参院予算委員会の班目答弁から窺うことができる。。

 佐藤ゆかり「今回総理が被災した福島原発をですね、ヘリで視察をされた。早速視察をされたわけでして、保安員(原子力安全委員会委員長の間違いか)も同行されたわけですが、そのことによってですね、この原発事故が勃発した初動が遅れたという指摘も一部に出ているわけであります」

 斑目原子力安全委員会委員長「総理と同行して、ま、あの、そこは、あの、えー、総理が、『原子力について少し勉強したいということで私が同行したわけでございます。

 現地に於いてですね、あの、何か混乱があったというふうには私は承知をいたしておりません」

 佐藤ゆかり「まあ、あの、勉強している暇ではないんですねぇ。本当に地元の危機、緊急対応の初動がこれによって遅れたと、するならば、エ、本当にこれは人災とも言わざるを得ない、わけでありますね」――

 原子炉の危機的状況を前にしての状況把握を「原子力について少し勉強したい」は切羽詰まった危機感からは程遠い軽過ぎる言葉であり、気持自体の軽さが表現することになった軽い言葉ということであろう。

 いわば気持の軽さなくして出てこない軽い言葉ということである。切羽詰まった危機感を和らげたり、抑えたりするための軽い冗談では決してない。

 福島原発現場視察は「原子力について少し勉強したい」という軽い気持を動機としていたと解釈せざるを得ない。

 要するに情報が上がってこないことからの状況把握のための視察だとは菅自身が勝手に捏造した理由と目的でしかなく、実体は緊急事態宣言発令の遅れによって受けることになった厳しい批判を挽回、帳消しして、マスコミや国民の批判を回避するための「いつ行く、いつ行かない」を優先させた大震災発生翌日早々の3月12日であり、だからこそ、「原子力について少し勉強したい」という軽い気持を自らに許すことになったのだということである。

 視察を菅自身が勝手に捏造した理由と目的だとした具体的根拠は菅の国会事故調証言の次の言葉そのものからも見ることができる。

 菅仮免「私からも東電から派遣された方に、なぜ進まないんですかとお聞きしました。そしたら、分からないと言われるんですね。分からないと言われるのは本当に困りました」

 「なぜ分からないのか。分かるようにできないのか。早急に分かるようにしてくれ」となぜ強硬に求めなかったのだろうか。

 一国の総理である。そのくらいの要求をして、要求に応えさせることができなければ、そのリーダーシップは無きに等しいことになる。

 一国のリーダーでありながら、自らの指揮権を発揮できない、役に立たない状態に曝しているこの矛盾は如何ともし難い。

 次の証言からもリーダーとして人を動かして自分の要求に応えさせる姿勢の欠如を窺うことができる。

 菅仮免「例えば第1サイトの原子炉の状況がどうなっているのかとか、あるいはどうなりそうだとか、こうなった場合はこういう形で対策を打つべきであるとか、そういう話は残念ながら一切ありませんでした」

 夫の不満を他人に述べる妻なら、夫に直接言っても主導権は夫にあるために聞き入れてくれず、つい他人に不満を述べてしまうというケースもあるだろうが、官邸に於いて主導権を握っているのは菅を措いて他にはいない。

 「現場に聞いてくれ。現場に聞いて、直ちに報告してくれ。原子炉の状況が把握できない程ひどい状態になっているのか。正確な状況を確かめ、直ちに報告してくれ」

 情報が上がってこないことを嘆くのではなく、情報を上げさせるのがリーダーのはずである。

 だが、常に逆の姿を演じていた。

 菅は東電本店が東電本店と福島第1原発とテレビ会議システムでつながり、リアルタイムで情報を共有し合っていることを知っていたはずだ。知っていなければならない。

 東電本店に尋ねれば、知ることができた「第1サイトの原子炉の状況」であったはずだ。

 だが、そうはせず、指揮官が指揮する場所から自ら離れて、「責任者と話をすることによって、状況を把握」することにした。

 この情報連絡網が発達した状況下に於いて自分の目で確かめるために自ら出かけることにした。

 視察が自分で勝手につくり出した捏造ではないと決して言えないはずだ。

 次に福島原発現場での行動に現れた矛盾について見てみる。

 桜井委員「福島の第1で当時の吉田所長と会われまして、その結果、行われた先程の目的とその他のことで、どのような成果というか、結論を得られたのでしょうか」

 菅仮免「炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明がありました。その上で、私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 この菅の発言と態度には大きな矛盾がある。

 原子力・保安院が「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を提出したことによって原子炉の今後の危機的状況が予測できた上にベントを早急に実施しなければ格納容器内の圧力上昇、ついには格納容器を破壊させる危険性があるという切羽詰まった危機感を持っていたはずだし、持っていなければならなかった。

 持っていなかったとしたら、何のための視察か分からなくなる。

 だとしたら、現場責任者である吉田所長と顔を合わせる早々にベントの実施を求めていいはずだ。自身の言葉でも、「特にベントに関しては」と断りを入れて、「既に経産大臣の方から、東電がベントをしたいということについて了解していると言っているにも関わらず、何時間経っても、それが行われない」ことの懸念を示していた。

 だが、ベント実施要求よりも「炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明」を優先せた。

 真にベントの実施如何が格納容器内の圧力上昇と格納容器の破壊に関係するなら。炉の図面を広げて原子炉の現在の状況を聞いている間にも刻々と圧力が上昇し、格納容器の何らかの損傷に向かっている危険性すらあったはずだ。

 だが、菅は矛盾した行動を取っていた。

 この矛盾した行動にしても、「いつ行く、いつ行かない」の適切な時期を判断基準とした視察であり、そのために班目が言っていたように、「原子力について少し勉強したい」といった軽い気持ちを自分に許したと見たなら、矛盾は解消でき、整合性を得ることができる。

 菅自身が勝手に捏造した状況把握のための視察だとする根拠はこの点でも説明可能となる。

 いわば実際には状況に応じた行動を取っていなかった。

 この場に於ける危機的状況に応じた行動とは現場の人間が事故を抑える作業を滞りなく進めることができるように図ることであって、炉の図面を広げさせて原子炉の状況を説明させていることではなかったということである。

 菅の原子炉に関わる現在の状況理解が事故対応の現場作業にどれ程役に立つというのだろうか。

 状況に応じた行動が取れていなかったことの例をもう一つ挙げてみる。

 2011年12月25日日曜日TBS放送『「報道の日2011」記憶と記録そして願い』(第三部)

 班目原子力安全委員会委員長「これはもう、あのー、大きなことになるので、えー、当然、(官邸に)原子力災害対策本部が立ち上がるだろうっていうので、待っていたんですけどもね、えー、案外招集がかかるのが遅くて、あのー、確か6時半ぐらい前に、あのー、安全委員会の方を出て、官邸に向かったんだと思っております。

 1時間ぐらい、あのー、事情は分からないんですけども、待たされて、ただ待っていたという状態です」

 班目発言との関係で原発事故発生当初を時系列で見てみる。

 2011年3月11日15時42分
 全交流電源喪失事象の発生を受け「原子力災害対策特別措置法」に基づいて第10条通報を行う

 2011年3月11日16時45分
 「原子力災害対策特別措置法」第15条に基づく事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したと判断して第15条報告行う。
 
 2011年3月11日18時30分前
 班目、官邸に向かう。1時間程度待たされる。

 2011年3月11日19時03分
 緊急事態宣言発令

 2011年3月11日19時30分前
 班目、原子力災害対策本部メンバーに加わる

 緊急事態宣言発令の遅れもそうだが、3月12日視察の迅速さに反した意見を聞くべき原子力安全委員会委員長招集のこの遅れに見る矛盾はまさに菅仮免が危機的状況に応じた行動が取れていなかったことの証明そのものであろう。
 
 本質的な資質として一国のリーダに欠かすことなく必要とされる危機的状況に応じた行動が取れていないなら、ほんの40分程度の視察によって「現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知」ったとしても、大した意味を成立させないはずだ。

 「顔と名前が一致した」ことがどれ程の意味を持つだろうか。

 視察を自己正当化するための尤もらしい詭弁に過ぎないだろう。

 また、「この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持」ったとしても、このことは所長自身の資質であって、このような所長自身の資質を以て菅仮免自身の危機的状況に応じた適切な行動性の欠如を補うことができるわけではない。

 いわば自身の不適切な資質を隠した第三者の資質の賞賛に過ぎない。矛盾そのものに本人は気づかない。

 ベントの早急な実施を求めたら、吉田所長が「『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました」と簡単に証言しているが、当然、心強い信頼感を持ったろうが、決死隊をつくるという、この言葉の裏を返すと、強い決意を示したと同時にベントが決死隊をつくらなければ完遂できない程の非常に困難な作業となっていることの含意でもあるはずである。

 果たしてこの含意を理解できたのだろうか。一国のリーダーらしく危機的状況に応じた行動を取れない欠陥リーダーシップからしたら、命を賭ける、あるいは決死隊という言葉を使ったとして、口先で終わるのは自明の理で、本質的な理解は到底期待できるはずはない。

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