5月24日(2012年)、野田首相は第18回国際交流会議「アジアの未来」に出席、スピーチを行なっている。
野田首相「リー・クアンユー元首相がかねてより警鐘を鳴らされているとおり、社会の高齢化の波は、2020年以降、確実にアジアを覆っていきます。高齢化がもたらす社会の歪みに、早くから万全な備えをしておかなければなりません。
こうしたリスクを封じ込め、アジアは、強靭な活力ある社会を維持していけるのでしょうか。日本は、アジア全体の先行きを占う壮大な『鏡』であり、アジアのどの国よりも早く、この挑戦に立ち向かわなければなりません。
その典型となる挑戦が、『社会保障と税の一体改革』であります。
戦後の日本は、国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度に支えられた『分厚い中間層』の存在により、世界に類のない高度成長を達成しました。しかし、あまりにも急速に少子高齢化が進み、制度を持続可能とするため、大きな手術が『待ったなし』になっております。
少子高齢化社会到来は、ずいぶん前に予見されていましたが、問題は半ば先送りされてまいりました。
私は、この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭をつけたいと考えています。私は、『決断する政治』の象徴的な課題だと考えるからこそ、この一体改革を最優先課題の一つとして掲げ、その実現に向けて全力を傾けているところでございます。
この長年の『宿題』を日本が自ら解決し、確かな処方箋を示していけなければ、2020年以降、日本を追いかけるように高齢化していく他のアジア諸国に対して、同じ課題を残したままになってしまいます。
この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』を示していきたいと考えています」
日本の解決なくしてアジアの解決なしと宣言している。そして日本の解決を成すのはこの俺だと。
たいした自信である。高邁な理念と不退転の気概に満ちみちた美しい言葉の羅列共々、力強い素晴らしい宣言となっている。
そう、改革を成し遂げることについての不退転の決意表明でもある。
但し、ちょっとケチをつけると、 「戦後の日本は、国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度に支えられた『分厚い中間層』の存在により、世界に類のない高度成長を達成しました」は真っ赤なウソである。
一国の首相がウソをついてはいけない。日本の高度成長は朝鮮戦争がスタートラインであって、濡れ手に粟のその特需の僥倖が与えた贈り物であることとアメリカの発展のおこぼれに与った高度成長であり、稼いだカネ(=税収、あるいは財源)を元手にした「国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度」の確立なのである。
他にはベトナム戦争特需、そして1ドル360円の固定相場制が日本の外需を潤すことになった。
朝鮮戦争特需が日本の高度成長のスタートラインであることは5月16日(2012年)の朝日新聞の「天声人語」の一文が証明してくれる。
〈戦後の日本経済は朝鮮戦争の特需で息を吹き返した。繊維などの業界で「ガチャ万」や「ガチャマン景気」と言われたのはそのころだ。機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかった。今は昔の糸偏(いとへん)産業の活気が、言葉の響きから伝わってくる。〉
糸偏産業だけではない。トヨタ等の日本の自動車産業はアメリカ軍の軍用トラックや軍用ジープの修理のための部品生産や、後にライセンス生産で利益を上げ、アメ車をモデルに自家用車を開発していった。
このことはカネ(=税収、あるいは財源)なくして政策・制度なしを雄弁に物語っている。何事もカネが元手となる。国民皆保険、国民皆年金が元手で高度成長を果たすとしたら、少しぐらいその制度が揺らいだとしても、国民皆保険、国民皆年金の社会保障制度が存続する限り、常に高度成長はついて回ることになる。
だが、そうはなっていない。
野田首相が言っている「この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭をつけたい」にしても、「この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』を示していきたい」にしても、その「改革」とは、2月17日(2012年)に閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」そのものの実現を前提とした行動でなければならない。
自らの政策が優れていると掲げ、国の一つの大きな方向性を間違いなく示すとして掲げた政策を以てして「改革を成し遂げる」と、日本国内ばかりか、アジア全体に向かって高々と宣言したのだから、閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」そのものを前提としていたはずで、その政策から外れた「改革」というものは後退を意味するか、あるいは矛盾そのものを意味することになる。
まさか自民党や公明党が掲げる社会保障政策や消費税増税政策を前提に「アジア・モデル」となる「改革を成し遂げ」ますと不退転の決意で宣言したわけではあるまい。
また、野党との頭数の土俵を背景とした戦いで政策内容がどう変わるかも分からない「社会保障・税一体改革」を前提に「改革を成し遂げ」ますと不退転の決意を示したわけでもあるまい。
もしそうだとしたら、無責任極まりないことになる。
閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」をきっちりと法案とし、国会成立を図ってこそ、宣言し、決意表明した通りの「改革」の緒につく資格を得る。
不退転とはこうこうしますと宣言することでも決意表明することでもない。また法案を単に通すことでもない。自らが掲げた政策を以てして「改革を成し遂げる」ところまでいって、初めて不退転は証明される。
また、自らが掲げた政策を以てして「改革」を成し遂げげることについては内閣一致して不退転の共同歩調を取らなければならないのは断るまでもない。
閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」を大綱のままに実現する不退転の共同歩調である。
要するに「この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭をつけたい」と宣言した時点で、あるいは「この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』を示していきたい」と不退転の決意を示した時点で、野田内閣が掲げた「社会保障・税一体改革大綱」を大綱のままに実現する制約を自らに課したのである。
くどいようだが、どう変わるかも分からない「社会保障・税一体改革」で改革を成し遂げますと宣言したわけではないはずだし、宣言できるはずもない。
このわけではない、あるいはできるはずもないという制約も内閣一致して不退転の共同歩調を取らなければならないのは当然のことである。
実際に自らが自らに課した制約通りに内閣一致して行動しているか見てみる。《首相“旗降ろせでは議論進まず”》”(NHK NEWS WEB/2012年6月10日 17時19分)
記事題名からのみ見ると、断固として自らの政策を進める不退転の気概を感じることができる。
6月10日、消費税率引き上げ法案などを巡る修正協議について東京都内で講演。
野田首相「長い間、懸案だったテーマについてようやくテーブルに着いて協議を始めることができた。予断をもって何かを言える段階ではないが、楽観も悲観もしていない。
(自民党が丸飲みや最低保障年金制度案等の撤回を求めていることについて)旗を降ろせとか理念を降ろせとか言うとなかなか議論は進まない。どういう形で現実的に制度改正ができるかに心を砕きながら国民のために成案を得る。ダラダラと時間をかければいいというわけではなく、一定程度のメドを持ちながらきちっと議論をしていくことが大事だ」
野党案の丸飲みや与党政策の撤回要求を断固として撥ねつけるという言葉遣いではなく、修正を前提としたニュアンスとなっている。
いわば修正を覚悟している以上、「社会保障・税一体改革大綱」の内容通りの実現を前提とはしていないことになり、その前提を裏切る政治姿勢となる。
このことは不退転の放棄に当たる。
「社会保障・税一体改革大綱」で掲げた、〈すべての子どもへの良質な成育環境を保障し、子どもと子育て家庭を応援する社会の実現に向け、地域の実情に応じた保育等の量的拡充、幼保一体化などの機能強化を行う子ども・子育て新システムを創設する。〉とした政策の結晶が「総合こども園」であるはずである。
《“総合こども園” 必ずしもこだわらず》(NHK NEWS WEB/2012年6月12日 11時42分)
〈政府は、待機児童を解消するため、幼稚園と保育所の機能を一体化させた施設「総合こども園」を創設することなどを法案に盛り込んでいますが、自民・公明両党は、待機児童の解消につながらないとして、現在ある「認定こども園」を増やすなど、現行制度を基に改善を図るべきだとしています。〉・・・・・
6月12日閣議後記者会見。
小宮山厚労相「『総合こども園』の創設で盛り込みたかったのは、就学前の必要なすべての子どもに質のよい学校教育、保育をするということや、待機児童にしっかり対応することなど3つの大きな柱で、理念は一切曲げていない。
子育て支援をしっかりやり、財源を確保しようという方向性は各党で一致している。法律の形式や仕組みについては譲り合って、修正協議がまとまり、今の国会で法案が成立するよう全力を挙げていきたい」
記事は、〈待機児童対策など、政府案の理念が確保されるのであれば、「総合こども園」の創設には必ずしもこだわらないという考えを示し〉た発言だとしているが、主務大臣として自らが掲げた政策が優れているとその優越性を背負って国会に臨んでいるはずである。
優越性は理念だけでは片付かない。優れた方法論を伴って、初めて理念は生きてくる。方法論を欠いた理念は空論と化す。
民主党がいくら「国民の生活第一」と理念を掲げたとしても、「国民の生活第一」を現実社会に具体化する優れた方法論を見い出さなければ、空論のバラマキで終わる
いわば理念・方法論共に優れているとして掲げた「総合こども園」政策であるはずだ。理念に共通項があっても、方法論で譲ったなら、政策の後退を示す。
そもそもからして、与党野党共に政策にさしたる違いはないし、理念も左程変わらない。違うのは方法論である。与野党協議と言っても、方法論の戦いであろう。しかもその方法論は最終的には頭数が決定する。
方法論の妥協、もしくは譲歩は最悪、政策の敗北を意味する場合もある。
小宮山厚労相は内閣一致した不退転の共同歩調を取らなければならなかったが、共同歩調から脱落したと言いたいが、閣議後の記者会見である、野田首相や岡田ご都合主義原理主義者から因果を含まれて変節したといったところなのだろう。
逆説的に言うと、内閣一致した不退転置き去りの共同歩調を取ったということであり、今や野田内閣全体で「社会保障・税一体改革大綱」優越性放棄及び不退転置き去りの共同歩調を取りつつあるということであろう。
岡田副総理の不退転置き去りの共同歩調発言がある。閣議決定の一体改革大綱についての発言である。
岡田副総理「関連する法案を『今の国会に提出する』とか、『来年、提出する』とか、さまざまなことが書いてあるが、それに優先するのが協議だということは間違いない。協議結果が大綱の内容と異なることになれば、協議結果が優先する」(NHK NEWS WEB)
「社会保障・税一体改革大綱」の内容通りの実現を前提としない「改革」の容認である。
このことは「社会保障・税一体改革」の変質に対応した「改革」の変質を意味する。
野田首相は共々、そのような変質した「改革」を以てして「課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭」をつける、あるいは「持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」を示すことになる。
奇妙なことに輿石民主党幹事長が野田内閣の「社会保障・税一体改革大綱」の変質に逆の制約を課している。
《“修正協議合意時 了承必要”》(MSN産経/6月10日 21時40分)
名古屋市での記者会見。
輿石幹事長、「税の議論だけが先行してはいけない。一方、社会保障の全体像を議論していれば、大変時間がかかるという現実もある。急いで結論を出さないといけない分野と、全体像をきちんと出していく分野のバランスをどう取るかが課題だ。
修正協議でその辺も含めて議論してもらっている。協議で方向性が決まったら、党に持ち帰って、議論して結果を出していく手順になろうかと思う」
政策の無軌道な後退・変質は許さない。党が審査することになると言っている。
修正協議と言うと体裁はいいが、頭数の力関係から政策の譲歩・後退、最悪一部丸飲みを覚悟しなければならない修正を前提としている以上、その修正は「理念は一切曲げていない」といくら抗弁したとしても、方法論の譲歩・後退、最悪一部丸飲みを伴う「社会保障・税一体改革大綱」の変質ということになり、そのような変質した「社会保障・税一体改革大綱」を前提とするなら、国際交流会議「アジアの未来」スピーチの「改革」との関係で実現する「決断する政治」も、「アジア・モデル」も、その有効性を失うばかりか、そもそもからして最初からそのようなことを口にする資格さえなかったことを示すことになる。
大体が「決断する政治」とは譲歩や後退や丸飲みを言うわけではあるまい。
尤も野田首相は口先だけの人、言葉達者な人だから、言う資格がなかろうと、矛盾していようと、高邁な理念と不退転の気概に満ちみちた美しく力強い素晴らしい言葉の数々を並べ立てずにはいられないのだろう。
野田首相は大飯原発再稼動を容認、「精神論だけでやっていけることではない」と発言したが、その言葉をそっくり野田首相自身に返したい。
「精神論だけでは課題を先送りしない『決断する政治』も、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』も実現させることはできない」と。
頭数という現実的な要素が最も必要だと。