小沢新党「期待しない71%~79%」―健忘症よろしく軽々と判断していいのか

2012-06-30 12:01:50 | Weblog

 2009年衆議院選挙で民主党は解散時勢力112議席から308議席に大躍進。自民当解散時勢力303議席から119議席に追い遣り、歴史的な政権担当の舞台から見事駆逐した。

 民主党が掲げたスローガンは「政権交代。国民の生活が第一。」であった。

 「国民の生活が第一。」という当たり前のことが今まで当たり前となっていなかったが、民主党政治で当たり前となる。

 大多数の国民が大いなる期待・大いなる希望を民主党政治に託したのである。それが政権担当後間もない内から失望と幻滅に化け始め、今やすっかり期待も希望も見る陰もなく、失望と幻滅一色に化けてしまった。

 国民の期待と希望がこれ程当てにならないことを証明した政治変遷はあるまい。

 裏切ったのは鳩山・菅・野田の三代の民主党政権である。

 あるいは騙したのは鳩山・菅・野田の三代の民主党政権である。

 鳩山元首相は普天間移設「国外、最低でも県外」を言い、見事県内を決定する裏切りと騙しを演じた。

 菅も同じで、「沖縄に米海兵隊は要らない、米本土に帰ってもらう」と言い、マニフェストになかった消費税増税を言い出す、前科20犯の詐欺師にも劣らない裏切りと騙り(かたり)を働き、東日本大震災に於ける地震と津波対応、そして福島原発事故対応では自己顕示欲旺盛に反して遅滞と怠慢と不作為と虚言に彩られた活動に終始した。

 そして現内閣の野田首相は野党時代、「2万5千人の公務員OB が天下りした4500法人へ流れる12兆円の血税にシロアリが群がっている構図がある。この白アリを退治しなければならない。天下りや渡り、ムダ遣いのカラクリを残したまま消費税を上げても、砂漠に水をまくのと同じだ」と言っていながら、消費税増税の裏切りと騙りの集大成を目指している。

 政治家の言葉は重いと言いながら、この体たらくである。政治家自身の自らの言葉に対する責任感があまりに希薄に出来上がっている。

 その挙句の消費税増税だが、増税しても、税収を増やすことはできるだろうが、「砂漠に水をまくのと同じ」とまでいかなくても、財政再建に向かわせることはできないように思える。

 このことは後で証明する。

 かくかようにして民主党政権は国民の期待と希望を裏切理、失望と幻滅を現物支給した。

 だが、裏切られたのは国民だと被害者の身分に全面的に位置づけていいものだろうか。

 選択するのは国民の側である。選択する立場にありながら、国民の選択に委ねる側の政治家に騙され、裏切られる。

 このパターンを断ち切らなければ、いつまでも政治家及び政治に裏切られ、騙される反復が延々と続くことになる。

 政治家は元来言葉を売る商売をしている。言葉で政策を売り、国民によりよい生活を約束する。その言葉に対する責任感が希薄で、言葉が軽くなっている。

 モノを売る場合、余程のことがない限り、買った後でそのモノが役に立つかどうか、本物かどうかをたちどころに確かめることができるが、政治家の場合、一定の時間が経過した後でなければ、売った言葉が本物かどうかを見極めることが困難である。

 だが、その言葉が本物か、軽いだけのニセモノかを見極める目を可能な限り持たなければ、国民はいつまでも裏切られ、騙される被害者の位置に自らを立たさなければならない。裏切られ、騙される反復に終わりを告げることができなくても、少なくともブレーキを掛けることさえできなくなる。

 確かに政治家には何をするのか、どのような実現を目指すのか、実現によって国民は何を得るのかの言葉の説明は必要である。財源の裏打ちを確保できたとしても、閣僚や官僚、地方の役人を動かすホンモノと言える言葉の力――指導力を持たなければ、予算付けの段階に於いても、事業実施段階に於いても、そこに金銭的なムダや行動のムダが生じて、最初に思い描いた満足な結果を得ることなく終わる場合もある。

 とすると、言葉は責任感と指導力を備えていなければ、国民を裏切り、騙す根源であり続ける。

 責任感と指導力を備えた言葉であるかどうかを探る手立てがないわけではない。調子のよい、舌が回り過ぎる言葉、聞こえのいい言葉、安請合いの言葉、威勢がよ過ぎる言葉等々、責任感と指導力を備えていないことは明白である。

 菅仮免は首相時代、官僚をターゲットに「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大バカだ」と威勢よく言い放った。そして、盛んに「脱官僚・政治主導」を機会あるごとに唱えたが、脱官僚も政治主導も実現できなかったばかりか、官僚から満足に相手にさえされなくなった。

 バカも使いようという言葉がある。そこに存在する以上、例え「大バカ」であっても使いこなすことができなければ政治は進まない。使いこなすことが必要とされる肝心なことであって、「大バカ」だと罵ることが必要とされる肝心なことではない。

 菅直人は合理的判断能力を欠いていたばっかりに、このことに気づかなかった。一国のリーダーが合理的判断能力を欠如させていたというのはあまりにも逆説的で、倒錯的に過ぎる。

 マスコミ各社の世論調査で「小沢新党期待しない」が71%だ、79%だと高率を占めた。

 大多数の国民が民主党の政権交代に期待し、希望を託しながら、裏切られ、騙されたのはそう遠くない過去である。政治に対する期待と希望が如何に儚(はかな)いかの教訓となった。

 この教訓を健忘症で以て応えたなら、国民が選択する立場にありながら、国民の選択に委ねる側の政治家に騙され、裏切られるパターンが続くことになる。

 「小沢新党期待しない71%~79%」が果たして小沢氏の言葉を見極めた上での71%~79%なのだろうか。官僚を「大バカ」だと罵るのではなく、使いこなすに足る責任感と指導力を備え、政治を強力に推し進めていく力を言葉から看取し、判断した上での71%~79%なのだろうか。

 そうであるなら、納得する。

 先に消費税を増税しても、財政再建に向かわせることはできないように思えると言ったことを証明する。

 東日本大震災の復興に使うために2011年度政府予算に盛り込んだ約15兆円の復興予算のうち4割が使われなかったことが証明している。

 《復興予算5.9兆円使われず 11年度計上分の4割》asahi.com/2012年6月29日0時41分)

 約15兆円のうち9兆円余りを利用、約5.9兆円が未利用。

 このうち約4.8兆円は12年度に持ち越し、予定通り復興事業に向ける。

 例え向けることになったとしても11年度に活用できなかったことの繰返しを12年度に演じない保証はない。

 残りの約1.1兆円は利用見込みがないため、国庫(政府の財布)に返還、借金返済に回すか、新たな使い道を考えると記事は書いている。

 〈事業ごとにみると、震災で壊れた道路や橋を直す災害復旧事業費約1.1兆円は2割しか使われなかった 〉・・・・・

 国土交通省「自治体がつくる『復興計画』の策定が遅れ、事業費を使えない」

 自己正当化しているが、どの自治体の「復興計画」の策定がどの程度遅れているのか、いつ完成して予算請求が可能となるのか厳格に調査して、その調査を復興予算編成に反映させて、厳格な予算付けを行う責任を負っていたはずだ。

 《11年度 復興予算4割使われず》TOKYO Web/2012年6月29日)には次のように予算余りの理由を解説している。

 〈約4割もの予算が執行されなかったのは極めて異例。被害状況の把握が難しい中で、予算を多めに計上した面もあるが、政府が被災地の自治体との調整に手間取るなどして、復興事業が想定通りに進んでいないことが浮き彫りになった。〉・・・・

 被害状況の把握が困難だからと言って、ドンブリ勘定したことになる。また、政府が被災地の自治体との調整に手間取ったとしているが、手間取ること自体が許されることなのだろうか。

 〈集落の集団移転などの幅広い事業に使えるお金として、国が被災地の自治体に配分する「震災復興交付金」は3次補正予算に1兆5612億円を計上したが、1兆3101億円を12年度に繰り越す。

 不用額とするのは、道路や港湾の復旧に充てる災害復旧事業費の3554億円など。〉・・・・・

 野田首相は「福島の再生なくして日本の再生はない」の言葉を機会あるごとに発信してきた。要するに日本の再生は福島の再生にかかっていると宣言したのである。

 それ程にも重大・重要な福島再生であり、そのための予算付けであり、予算執行である。

 どのような予算であっても疎かに扱ってはならないが、特に福島再生に関わる予算は夢々疎かに扱ってはならなかったはずである。

 だとしたら、福島再生は必要事業の的確・厳正な洗い出しと洗い出した事業に対する的確・厳正な予算付け、さらに予算付けた財源の最大限の有効利用が絶対条件となる。

 これらの条件を実行できたとき、福島の再生は加速度的にレールに乗せることができ、早期再生が実現可能となると同時に野田首相の「福島の再生なくして日本の再生はない」の言葉は大部分責任と指導力を備えていたと証明可能となる。

 だが、実態はそうなっていなかった。何よりも重大・重要な福島再生であり、そのための予算でありながら、予算付けと執行の両段階で不備・不足があった。費用対効果に相当な齟齬が存在した。齟齬の程度に応じて福島再生の加速度性にブレーキが掛かるはずである。

 いわば野田首相は自らの「福島の再生なくして日本の再生はない」の言葉に実効力を持たせることができなかった。責任感と指導力を持たせることができなかった。

 消費税は上げる、予算は効率的に執行できないでは踏んだり蹴ったりではないか。

 福島に関わる予算編成だけではない、すべての予算編成に於いて必要事業の洗い出しと洗い出した事業に対する予算付けが的確にできていたなら、事業仕分けといったパフォーマンスは必要ない。

 それを繰返している間は、消費税増税しても、予算付けに於ける金銭的ムダ、予算執行時に於ける、最終的に金銭に換算可能な物理的ムダ、あちこちのムダが解消できないことになり、その上消費税増税で税収が増えるからと、自民党が議員立法で国会に提出している10年間で200兆円規模の予算を注ぎ込むとしている国土強靭化基本法案が景気対策として、あるいはインフラ整備としていくら正当性を獲得しようとも、やはりそこにもムダが生じることになって、必然的に費用対効果に齟齬が発生、各種ムダが財政再建の障害として立ちはだかることになりかねない。

 何よりも国民の期待や希望を裏切ったり、幻滅を与えたりしない、責任感と指導力を備えた言葉を持った政治家を国民は目を凝らして選択しなければならない。

 安易な選択・安易な判断は期待と希望、それに対する裏切りと幻滅の繰返しをパターン化するだけであるに違いない。

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