社会保障制度改革3党合意、妥協の産物の結果に誰が責任を持つのか

2012-06-16 11:02:03 | Weblog

 3党合意と言うと、メデタシ、メデタシの結末のように見えるが、3党合計の国会勢力は衆参の大部分を占め、日本の政治に於いて他の政党を圧倒して一大勢力を占めることになる。

 その3党によって国の方向、国の将来を大きく決める社会保障制度と税の一体改革を合意させたのである。

 このことを逆説するなら、3党合意の社会保障制度と税の一体改革が国の方向、国の将来を決定することになる。

 勿論、結論を先送りした政策は多々あるが、選挙で余程の議席の変更を迎えない限り、3党合意で働いた力関係が維持されることになって、今回の合意と同じ結末を見ることになるに違いない。

 公明党の山口代表はこの3党合意を他の政策にも拡大したい意思を見せている。

 《衆院選後に大連立も=公明代表》時事ドットコム/2012/06/15-23:38)

 6月15日夜のNHK番組。次期衆院選後の民主、自民両党との大連立について。

 山口公明党代表「(選挙の)結果次第だが、やはり幅広い視野でいかなければならない。現実に責任を担える人たちとグループを形成していく。

 主要な3党が協議をして結論を出す。そういう政治のスタイルが確立されないと、国際社会の信用も得られないだろうし、国民の希望は地に落ちてしまう」

 3党合意のスタイルの確立を主張している。

 「国際社会の信用も得られないだろうし、国民の希望は地に落ちてしまう」と尤もらしいことを言っているが、お互いの政策を競い合ってよりよい政策に高めるという、政策の市場原理を機能させたレベルの協議ではなく、自党の政策を如何に相手に認めさせるか、如何に相手に対して押し通すかの数の力を背景とした戦いとなっていて、しかも主導権を握っているのが与党野田政権ではなく、参議院で数の相対力を握っている野党自民党であって、当然そこに妥協の力学が双方向から働くが、主導権が自民党にある以上、妥協の力学の方向は野田政権から野党自民党に向かってより多く働くことになる。

 いわば今回の3党合意が国の方向・国の将来を大きく決定する社会保障と税の一体改革でありながら、各党の政策に働くべき市場原理のメカニズムを麻痺させた妥協の産物であることは明らかであり、他の政策に於いても市場原理が働かず、妥協と馴れ合いの政策となった場合、結果に対して誰も責任を取らない政治が出現することになりかねない。

 かつての自民党一党独裁状態下の日本に於いて、政策は各派閥の妥協の産物化して市場原理が機能不全に陥ったことが先進国随一の財政悪化、今年度末には1000兆円を突破するという国の借金積み重ねの財政運営、14年連続3万人超の自殺者数の土台造り、経済的に蘇らずに眠り続ける経済大国という逆説等を担ってきたが、自民党自らの力でこれらの負の財産を挽回しないまま誰も責任を取らずじまいで、国民が政権交代という断罪を下すことになった。

 だが、期待をして政権を担わせることになった民主党政権がこのザマのまま、「動かない政治を動かす」というキレイゴトで各政策の3党合意常套化を政治慣習とした場合、あるいは大連立で政治を動かすことが常態化した場合、3党が、あるいは大連立を組む各政党が自民党一党独裁状態下の派閥と同じ構造を取ることになって、政策の市場原理機能不全を招いて政策の妥協の産物化という同じ運命を辿らない保証はない。

 いわば政策の妥協の産物化を専らとして市場原理を麻痺させた3党、あるいは大連立は自民党一党独裁状態の時代に回帰することを意味しかねない。

 国の方向・国の将来を決める政策の決定でありながら、今回の社会保障と税の一体改革の3党合意が政策の妥協の産物化という例を既に見せたということであり、かつての自民党時代の政策決定を垣間見せたということであろう。

 次のような発言を6月16日付「ロイター」Web記事が伝えている。《焦点:一体改革修正協議、増税先行の決着に展望開けず》2012年 06月 16日 02:12) 

 丸山義正伊藤忠経済研究所・主任研究員「従たる税の問題よりも、主たる社会保障制度の内容がほとんど何も決まらなかった。

 一体改革の主であるはずの社会保障制度改革は先送りされ、従の増税のみが先行する方向に議論は進んでおり、可処分所得のライフサイクルを通じての低下と認識して、消費性向をさらに引き下げる可能性がある」

 記事はこういった〈声がほとんどだ。このまま、民主党と自民党で妥協の産物が生まれるようなことになれば、低所得者対策に重点を置くバラマキ型の民主党案と、既得権益者優遇の自民党案とが合わさり、財政拡大に突き進む可能性が高まるとの指摘もある。負担ばかりが重くなる現役勤労者の不安は募るばかりだ。〉・・・・・

 〈所得者対策に重点を置くバラマキ型の民主党案と既得権益者優遇の自民党案〉の一例が、〈パートなど非正規労働者の厚生年金や社会保険の加入拡大策は、加入要件を政府案の「月収7・8万円以上」を「8・8万円」に引き上げ〉、〈新たな加入者は政府案の約45万人から約25万人に縮小〉、〈施行時期も半年遅らせて16年10月とする〉(毎日jp)妥協に現れている。

 一体改革と言ってきた、その一体性を投げ捨て、消費税増税案を通すために妥協に走った。しかもその妥協はよりよい政策の構築を目的したものではなく、自分たちの政策を如何により多く認めさせるかの政策の陣取り合戦に過ぎなかった。

 だが、勝敗の帰趨を明確化することは野田政権にとって都合が悪く、取り下げや棚上げではなく、先送りの決着とすることによって勝敗を曖昧化した。

 与党側はこの曖昧化をいいことに3党合意はマニフェスト違反ではない、あるいは棚上げではないと強弁を働かせている。

 野田首相「最低保障年金の創設や後期高齢者医療制度の撤廃にしても、マニフェストの旗は捨てておらず、今後は『国民会議』で実現したい」(NHK NEWS WEB

 既に一体改革の一体性、不退転の約束を放棄している上に、野党の立場でありながら、自民党が主導権を握っていたがゆえの先送りであって、現在の野田内閣の支持率、民主党の支持率からしたら、衆議院の数の力も失いかねない先行きから「国民会議」という決着の場でも同じ力学が働く可能性を見通した場合、体裁維持のゴマカシ以外の何ものでもない。

 藤村官房長官(最低保障年金創設と後期高齢者医療制度廃止について)「棚上げとは物があってそれを棚に上げることだ。何か物(法案)があるのか。勘違いしないでほしい」(MSN産経

 確かに2012年2月17日閣議決定「社会保障・税一体改革大綱」には、最低保障年金は「国民的な合意に向けた議論や環境整備を進め、平成25年の国会に法案を提出する」と書いてあって、まだ法案として国会に提出していない。

 だが、3党合意が双方がそれぞれに歩み寄った結果だといくら演出して、自らの体裁を維持しようとしても、自民党も公明党も自らが主導権を握ってその取下げを条件に与野党協議に入ったのである以上、その力関係は自ずと合意自体に反映しないでは済まない。

 このことは3党合意文書に「最低保障年金」の文字も「後期高齢者医療制度の撤廃」の文字も一言も入っていないことが証明している。

 例えば公的年金制度については、〈今後の公的年金制度については、財政の現況および見通し等を踏まえ、社会保障制度改革国民会議において議論し、結論を得ることとする。〉(時事ドットコム)と書いてあるが、この文言からは野田政権が掲げていた最低保障年金制度をベースとした「国民会議」に於ける議論と結論の獲得だとはどこからも窺うことはできない。

 「後期高齢者医療制度の撤廃」に関しては、その表現を使わずに、〈今後の高齢者医療制度については、状況等を踏まえ、必要に応じて、社会保障制度改革国民会議において議論し、結論を得ることとする。〉と記述があるのみで、条件が、「必要に応じて」となっていて、野田政権が主張していた「今日の安心よりも将来の安心」という必要絶対性が殆ど抹消状態となっている。

 「最低保障年金」と「後期高齢者医療制度の撤廃」の表現がないこと自体が力関係の反映であるばかりか、合意文書からの棚上げと見ないわけにはいかない。

 合意文書から見て取ることのできるこのような状況からして、藤村官房長官が言っている「物」は、「物」となる保証を既に失っていると言える。

 マニフェストや閣議決定大綱を後退させた、あるいは棚上げした妥協と言い、後退や妥協を隠すために強弁を働いたりするゴマカシは不退転の責任をどこかに置き去りにしたからこそできる無責任行為であって、そのような責任意識からすると、当然、結果に誰が責任を持つのか期待できないことになる。

 3党合意だ、決まらない政治を進める政治への転換となる画期的合意だといくら持て囃そうと、正体としてある妥協という名の中身の臓物を隠す上辺だけの化粧・粉飾の類いに過ぎない。

 益々現状の政治に期待は持てなくなった。この3党合意で今まで以上に国民の政治不信は高まるのではないだろうか。

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