民主党増税執行部は3党合意は社会保障政策に関わる民主党マニフェストの撤回ではないと言い、自民党執行部と公明党執行部はマニフェスト撤回だと言い、民主党内反増税派は民主党執行部の主張に反してマニフェスト撤回だといい、自民党と公明党の一部議員は自民党執行部と公明党執行部に反してマニフェスト撤回となっていないと言い、マニフェストを巡って奇妙なねじれ現象を起こしている。
野田政権は社会保障政策案と消費税増税案の国会通過のために自民党か公明党の頭数を必要としていた。自民党が先に協議に応ずる姿勢を見せ、そこに公明党が加わった。
元々参議院での数の関係で主導権を握る立場にあった自公は共に民主党の「社会保障と税の一体改革」関連法案の国会成立には民主党がマニフェストに掲げた主要政策の最低保障年金創設や後期高齢者医療制度廃止等の撤回を要求條件としていた。
そこに来ての3党協議である。自ずと自公が主導権を握り、自公主導で行われた。
だが、自公は民主党執行部による民主党内を納得せるメンツ立てに3党合意文書に社会保障政策に関しては自公が主張していた必要な見直しを経て維持するとした「現行制度」という文言を入れない譲歩と、民主党がマニフェストに掲げた「最低保障年金」と「後期高齢者医療制度廃止」の文言を排除する代償として「撤回」という文言も入れない取引の譲歩を示した。
多分、自公は「最低保障年金」と「後期高齢者医療制度廃止」の文言を入れさせないことによって「撤回」を意味させようとしたのかもしれない。
例え3党合意文書で各政策を今後の財政等の「状況等を踏まえ、必要に応じて、社会保障制度改革国民会議において議論し、結論を得ることとする」と棚上げの形で先延ばしの形式にしたとしても、主導権を握っているのは自公であり、現在の力関係を維持できる成算があり、総選挙が行われれば、世論調査から判断して衆議院でも多数派を形成できると踏んでいたのだろう、自公主張の現行制度の見直しで決着ができると踏んだに違いない。
このような経緯から、自公は棚上げを民主党マニフェストの「事実上の撤回だ」と言い出した。3党合意の勝利感に酔っていたのかもしれない。
6月17日(2012年)フジテレビ「新報道2001」
町村信孝自民党議員「それぞれの党で解釈はいかようにもできる。事情が分かっている人はマニフェストが実現できないと分かっている」
桜井充民主党政調会長代理「町村氏の話は違うのではないか。後期高齢者医療制度は今国会で法律を提案できる準備をしてある。最低保障年金も話し合いの場ができると認識している。先送りや撤回ではない」(MSN産経)
桜井民主党議員だけではなく、民主党は自公の譲歩がつくり出した3党合意文書の曖昧さを逆手に取って、自己存在の正当性証明とそのことに裏打ちされる政権運営の形勢有利、このことの反映として影響する総選挙の形勢有利を狙って、マニフェスト撤回ではないと口々に言い出した。
自分たちが決めたばかりの問題で、このような「撤回だ」、「いや、撤回ではない」の相対立する主張が勃発するのは例え自公が譲歩するとしても、言質となる何らかの文言を入れておくべきだったが、そうするだけの慎重さを欠いたと言うことなのだろう。
その原因は自公が自らの民主党に対する主導権、あるいは民主党との力関係を過信し、その持続性を過信したからに違いない。
確かに自公の主導権、力関係、その持続性は今後共続く形勢にあるが、続く形勢にあるがゆえに逆に崖っぷちに立たされることになっている民主党執行部としたら、増税反対派の突き上げもあって、国民を納得させるためにも自己正当性の体裁を繕わざるを得ない苦境に追い込まれることとなった。
その自己正当性の体裁が「撤回ではない」の反論となって現れた・・・・と見るべきだろう。
「撤回」でないなら、野田首相自身が、「撤回ではない。社会保障制度改革国民会議で正々堂々と議論し、マニフェストを貫徹させる。民主党の政策が最善だと信じている」と宣言すればいい。
こういった宣言こそが野田首相の「不退転」を実証することになる。
だが、5月23日の衆院社会保障・税特別委員会で野田首相は既に妥協の姿勢を見せている。この姿勢は頭数の力関係を反映したものであることは断るまでもない。
野田首相「最低保障年金というゴールを見て、今、改善しなければならないという意見と、現行の制度は大丈夫なので改善しながらよりよいものを作ろうという姿勢は、一致点は見いだせる」(NHK NEWS WEB)
力関係が自公に有利な形勢にある以上、野田首相が言っている「一致点」もそれぞれの力関係が反映する。反映の結果が3党合意であったはずだ。
野田首相が「撤回ではない。社会保障制度改革国民会議で正々堂々と議論し、マニフェストを貫徹させる。民主党の政策が最善だと信じている」と宣言できない状況に既に立たされていたということである。
当然、3党合意によって最低限の見積もりであっても、そこに少なかざる妥協・譲歩がある以上、最早「不退転」なる姿勢は放棄したことになる。「不退転」の言葉を使う資格も失ったことになる。
国会を通すことのみに「不退転」を示しても意味はない。自らが掲げた政策を掲げた通りの内容に限りなく近い形で実現して初めて真の「不退転」と言えるからだ。
「不退転」が見せかけの幻想と化し、世論の支持という支援もない四面楚歌のボロボロの状況にあっても、後々のために負け犬ヅラを曝け出していいわけはない、プライドだけは保とうと考えたのか、前原口先番長が輿石幹事長と連名で自民党の「民主党マニフェスト撤回」発言に抗議する抗議文を手渡したという。
口先番長の前原が強がりでしかない抗議文を手渡したというのは逆説めいて滑稽である。
《【消費税増税】民主、自民に抗議 修正合意の「マニフェスト撤回」発言を問題視》(MSN産経/2012.6.21 14:34)
6月21日昼、茂木敏充自民党政調会長に対して申し入れた。
〈民主、自民、公明3党の修正合意について、石原氏が記者会見で「最低保障年金はなくなった」「閣議決定の効力はなくなった」などと発言していることを「事実に反する」と問題視。「公党間の信頼に反する」として撤回と訂正〉を要求。
茂木氏の発言に対する批判も入っているという。
茂木氏「サッカーで例えれば6対1でわれわれの勝利だ」
抗議文「いかに政党の広報宣伝のためとはいえ、信頼関係を傷つける発言だ」
もし野田内閣、民主党執行部が3党合意がマニフェストの撤回でも棚上げでも、先送りでもないと言うなら、社会保障と税の一体改革関連法案修正案の衆院採決前に白黒の決着をつけるべきだろう。
決着をつけてこそ、事実がどこにあるのかの国民に対する真正な説明となって、民自公共に国民に対する説明責任を果たすことができるからだ。
色々と勘繰ったり、裏読みしなければ推測できない内容であるなら、国民に対する説明責任を果たしているとは言えない。
法案が通ってから、撤回でないならいいが、撤回ということになったなら、国民をバカにすることになる。
要するに3党合意は自公に有利な数の力関係を暗黙の背景としながらも民主党のメンツを立てた、それゆえにどうとでも解釈できる曖昧な内容となったということではないだろうか。