昨日6月8日(2012年)午後、野田首相が大飯原発再稼働記者会見を行った。マスコミの世論調査では再稼動反対が50%超から70~80%も占めている。
だからだろう、世論に反する再稼動を政府が示すことになるから、全編国民の生活を楯に取って体のいい威し紛いを駆使し、何が何でも再稼動を果たそうとする意思も露の言葉の数々となっている。
野田首相「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています」
「国民生活を守る」――表向きはこのことを唯一絶対の判断基準とした大飯原発再稼動決定だとしている。
そして2つの意味から「国民生活を守る」ことを理由とした原発再稼動の必要性を示す。
先ず第1の意味を上げる。「次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないこと」。そのために「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整」えたとした上で、「もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」と絶対的安全性を保証している。
その根拠は「これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果」だとしている。
但し絶対というものは存在しないための逃げ道はちゃっかりと用意している。
「勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。」
万全の上に万全を期している。新たな規制機関として予定している原子力規制庁での法制化前に30項目の対策を電力事業者に求めている。
だとしても、「安全基準にこれで絶対というものは」存在しないと自ら認識し、そのことを口にした以上、「最新の知見に照らして、常に見直していかなければならない」体制を取り続けなければならない。安全の終わりのない追求を宿命とするということであろう。
つまり安全の追求は終わりのない戦いであるとする宣言ともなっている。
そのためにも新たな規制のための体制を一刻も早く発足させて、規制の刷新を実施に移せるようにしなければならないと約束している。
いわば政府が現状で確保した安全判断の基準は「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整」えてはいるものの、あくまでも安全追求の途次にある「暫定的なもの」であって、「新たな(規制)体制が発足した時点で安全規制を見直」さなければならないとしている。
要するに安全判断はそれで終わりではなく、新たな知見が提示された場合は、安全基準はその「知見に照らして、常に見直していかなければならない」姿勢を取り続けると、飽くなき安全性追求の姿勢を誇示している。
これが事実なら、何も言うことはない。
次に「国民生活を守る」理由の第2の意味として、「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響」への回避と、「豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気」の供給の保証であり、このような保証なくして「日本の社会は立ち行」かないことになると言っている。
具体的には大飯原発が再稼動しない場合の計画停電や突発的な停電は「命の危険にさらされる人」も出現するし、「仕事が成り立たなくなってしまう人」も出現することになるとしている。
結果、「日常生活や経済活動は大きく混乱」を来すことになるから、「再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならない」と警告。
つまり再稼動なしでは「国民生活を守る」ことにならない。再稼動こそが「国民生活を守る」との謂である。
あるいは再稼働しなければ、「夏場の短期的な電力需給の問題」だけではなく、「化石燃料への依存を増やして電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響」が出てくるし、「空洞化を加速して雇用の場が失われてしま」う。「夏場限定の再稼働」では国は守ることはできない。「国の行く末を左右する大きな課題」であって、「国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源」であるからと再稼動の重要性を訴えている。
「国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはでき」ないし、「国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断」だと、2つの意味からの「国民生活を守る」理由を述べて、再稼動を判断したことの説明を尽くす。
要するに一にも二にも三にも四にも、「国民生活を守る」ために再稼動は必要だと訴えている。
だがである。第2の意味の面から掲げた「国民生活を守る」は第1の意味の面から掲げた「国民生活を守る」根拠としての「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整」えたとしている原発の安全性が破綻した場合、第2の意味の面から掲げた「国民生活を守る」にしても破綻することになる。
後者の破綻は、「安全基準にこれで絶対というものは」存在しない以上、否定し去ることはできない。
要するに第2の意味として掲げた再稼働しない場合の、「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響」にしても、「命の危険にさらされる人」や「仕事が成り立たなくなってしまう人」の出現にしても、「日常生活や経済活動」の大きな混乱にしても、「化石燃料への依存を増や」すことで生じる「電力価格」の高騰にしても、「空洞化を加速して雇用の場が失われてしま」うことにしても、あるいは逆に再稼働させることで手中可能となる「豊かで人間らしい暮らしを送るため」の「安価で安定した電気」の供給にしても、すべて原発の安全性が担保する約束事であり、そうである以上、第1の意味として掲げた「国民生活を守る」理由のみを具体的且つ詳細に説明して、かくかように再稼動については万全の安全性を確保しましたと、安全性の面からの国民の納得を得る努力を尽くすことを最優先とし、尚且つ「安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならない」から、常にその努力を果たしていきますとすべきを、再稼働したとしても、原発の安全性が破綻した場合は同じく破綻してしまう国民生活であることは論外に置いて、再稼働しない場合の国民生活のリスクを延々と説明して、どちらを取るかの選択を迫っている。
まさしく全編国民の生活を楯に取った体のいい威し紛い以外の何ものでもあるまい。
威し紛いである証拠を新聞記事から挙げてみる。
《大飯原発敷地内 破砕帯は活断層か》(YOMIURI ONLINE/2012年6月8日)
渡辺満久・東洋大教授(変動地形学)と鈴木康弘・名古屋大教授(同)が、関西電力大飯原発3、4号機の敷地内を通る「破砕帯」と呼ばれる断層は「活断層の可能性が否定できない」との調査結果を纏めたという内容の記事である。
〈破砕帯は断層運動などで砕かれた岩石が帯状に延びたもの。渡辺教授らが指摘する破砕帯は、2号機と3号機の間の地下を南北に通る「F―6破砕帯」(長さ約900メートル)・・・・・
もっとも破砕帯は今回発見されたのではなく、関電が1985年に国に大飯原発3、4号機の設置許可申請を提出する際に、断層面を掘り出す「トレンチ調査」を実施した際、既に把握していた。
だが、〈坑内南側で破砕帯を覆う地層に変位がないことから「12~13万年前以降に動いた活断層ではない」と判断〉、〈経済産業省原子力安全・保安院も2010年の耐震安全性再評価で関電の評価結果を改めて「妥当」と評価〉――
今回の民間の調査は市民団体の依頼で資料を分析したものだそうで、渡辺教授は次のように説明している。
渡辺教授「トレンチ調査の断面図を見ると同じ坑内の北側でF―6破砕帯を覆う地層が上下にずれているように見える。粘土が含まれていることも断層活動があった可能性を示す」として「活断層である可能性が否定できない。
大飯原発周辺にある海底活断層が動くと敷地内の破砕帯も連動して動く可能性がある。原子炉直下を通る破砕帯もあり、詳しく調査するべきだ」
関西電力「3、4号機建設前の調査で破砕帯の存在は確認しているが、いずれも短い。最大のF―6破砕帯はトレンチ調査も行っているが、耐震設計上考慮すべき活断層ではないことは確認済みだ」
福井県原子力安全専門委員会委員の1人「再稼働の是非がこれだけ注目されている中で、一般が納得するような安全性判断をするためには、検討しなければならない問題だと思う」
渡辺満久・東洋大教授と鈴木康弘・名古屋大教授の調査結果は野田首相が記者会見で言っている、「最新の知見に照らして、常に見直していかなければならない」安全性対策の「最新の知見」に入るはずだ。
当然、地震学等の専門家に詳細な調査を依頼しなければならないことになる。
だが、関西電力はそのような「最新の知見」に面と向き合わずに、過去の調査を以って「耐震設計上考慮すべき活断層ではないことは確認済みだ」と断定するのは東電が地震学者等から貞観地震を例にした、そのクラスの揺れの地震と津波再来の危険性を指摘されながら、その指摘に根拠がないと面と向き合わなかった事例に相当しないと誰も断言できないはずだ。
東電は向き合わなかったために津波が防潮堤を乗り越えて建屋を浸水、全電源喪失を招き、重大な原発事故に至った。
当然、福井県原子力安全専門委員会委員の1人が言っているように、「一般が納得するような安全性判断をするためには、検討しなければならない」ことになる。
上記記事には書いてなかったが、他の記事によると、この調査結果は6月6日に纏めたと書いてある。
そして次の日の6月7日、経済産業省原子力安全・保安院は「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」と否定。《大飯原発地下の断層、保安院が活動の可能性否定》(YOMIURI ONLINE/◇(2012年6月8日10時03分)
具体的には記事にこう書いてある。
〈政府が再稼働を目指す関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の敷地の地下にある断層が活動する可能性を専門家が指摘した問題で、経済産業省原子力安全・保安院は7日、「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」と否定した。
同日の記者会見で森山善範・原子力災害対策監が述べた。〉・・・・・
たったこれだけの内容だが、調査報告から1日しか経過していないのだから、保安院が地震学者その他に依頼して再調査する時間はなかったはずだ。いわば1985年の調査を基に安全判断をした。
地震学者等が貞観地震の再来、その津波の再来の危険性を「最新の知見」として提供したのに対して東電がその「最新の知見」を、いわば握り潰したように保安院も「最新の知見」として提供した危険性を握り潰し、過去の調査の正当化に無条件に走った。
同じ過ちとならない保証はどこにもない。
そしてさらに1日経過した6月8日に野田首相は「国民生活を守る」を理由に、実際は再稼働しない場合の国民生活のリスク、経済のリスク等を楯とした威し紛いの再稼動の正当性を掲げて「国民生活を守る」と称した大飯原発再稼動正当性の記者会見を開いた。
以上のことは「勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました」をいい加減なウソとする流れとなっているばかりか、原発の安全性が破綻した場合、「国民生活を守る」の言葉をもウソにしかねない危険性を孕んだ動きと言えるはずだ。
「国民生活を守る」の言葉をウソにした場合、守るための理由として掲げた数々の生活のリスク自体が威し紛いであった証拠と化すことになる。
いくら野田首相の言葉巧者を以てしても隠すことはできないマヤカシを漂わせた大飯原発再稼動の正当性と言うしかない。