野田首相5月4日(2011年)記者会見に見る菅仮免同様の冷徹な現実主義者足り得ない政治家の姿

2012-06-05 12:29:33 | Weblog

 昨日(2012年5月4日)野田首相は内閣改造を行った後、記者会見を開いた。1月13日(2012年)の内閣改造から、6カ月足らずの再改造である。

 1月13日の内閣改造のとき、次のように発言していた。

 野田首相「間もなく通常国会が始まりますけれども、予算を通し、そして昨年来からの大きな命題である復旧・復興を加速させ、原発の事故の収束をさせ、新たな戦いに向かって様々な取組を評価をする、あるいは経済の再生を図るといった野田内閣の当初からの命題の他に行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革という、やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を着実に推進をするための最善かつ最強の布陣を作るための、今回は改造でございました」

 要するに「最善かつ最強」をウリにしたものの、長続きしない「最善かつ最強」だった。

 言葉を替えて言うと、メッキに過ぎない「最善かつ最強」だった。そのメッキが剥がれた。

 野田首相は1週間前の5月28日の内閣記者会のインタビューで、辞任させられることになった問責2閣僚について、「しっかりと襟を正して職責を果たしてほしい」(時事ドットコム)と未来形で言ったばかりだが、その言葉を裏切って内閣改造を断行、冒頭発言の冒頭部分でその目的を述べている。

 野田首相「野田内閣は昨年の9月に発足をし、それ以来、震災からの復興、原発事故との闘い、日本経済の再生を最優先、そして最重要な課題として取り組んでまいりました。そして、今年初め、通常国会が始まる前に、第一次改造内閣をつくりました。以来、国会に入りましてみんなで力を合わせて平成24年度の予算を成立させ、復興庁を立ち上げ、あるいは懸案でありました郵政民営化関連法を成立させ、さらには国家公務員の給与引下げ等々、やるべきことを懸命に力を合わせてやってまいりました。

 そうした取組を進めている中で、いよいよ国会の会期も約20日を切るという大変重要な局面を迎えております。こうした中で今、国会で御審議をいただいている社会保障と税の一体改革含め、さまざまな諸懸案を前進させるための環境整備をするべく、今回、内閣の機能強化という視点の下で改造を行わせていただくこととなりました。

 「諸懸案前進の環境整備を意図した内閣機能強化」が目的だと言っている。

 「国民新党代表としての活動に専念したい」と自ら辞任を求めた自見国民新党代表は無関係事項として、野党が辞任を求めていた参議院問責決議の2閣僚の続投が与野党協議や国会審議の障害となっていることの、その除去と、新たに持ち上がった中国書記官スパイ疑惑で鹿野農水相の本人は否定しているが、農林水産省機密文書漏洩疑惑が国会審議で野党の追及が集中した場合の可能性として考えられる国会審議停滞となりかねない障害の前以ての除去に焦点を合わせた3者更迭の内閣改造が諸懸案前進の環境整備に当たり、各障害の除去によって手中可能と目している内閣機能強化ということだから、前回のメッキに過ぎなかった「最善かつ最強」とは違ってあながち言っていることとは違わないはずだ。

 では、野田首相が冷徹な現実主義者足り得ない政治家の姿を見せている記者会見の発言部分を取り上げてみる。

 野田首相「会期末に向けたこれからの約20日間は、日本の将来を左右する大きな決断のときとなると思います。これまで私は、政局よりも大局をと呼びかけてまいりましたけれども、与野党の垣根を越えて、是非すべての政治家の皆様にこの思いが届けば、もう届いていると思いますが、そうしたことを踏まえまして、今、国会の中では、特別委員会で一体改革への議論が行われております。長い時間をかけて法案をまとめた民主党の同志の皆様の汗をしっかり踏まえなければなりませんが、自民党を始めとする野党の皆さんも、このことを正面から受け止めて、今、特別委員会で真摯に御議論をいただいています。建設的な議論が積み重ねられてきていると認識をしています。

 国会は言論の府であります。当初の立場を乗り越えて、合意を導くという熟議の民主主義の実践の場であるということを国民の皆様にお示しをするためにも、国会審議のみならず、自民党を中心とする野党の皆さんとの政党間の協議を改めてお願いさせていただきたいと思います。

 私たち政治家の決断は、国民の皆様お一人お一人の考え方に大きく左右されます。厳しい財政状況の下で社会保障を持続可能なものとするために、その改革を成し遂げていかなければなりません。まだ大丈夫だと言いながら、問題の先送りを続けていいのか。いつまでも子や孫の世代につけ回しをしていいのか。こうした現状を踏まえて、まさにしっかりとこの国会中に結論を得なければいけないと思います。

 熟議を尽くした後に、決断し、実行することの政治、これを目指しておりますが、与野党を超えて、みんなでそうした思いの中で結論を出していきたいと思いますし、私もこの時期にこの厳しい状況の中で内閣総理大臣を拝命したのも、ある種の天命だと思っています。国のためにやるべきことをやる。この覚悟以外、私の心の指針はございません。そうした思いで政治生命をかけると申し上げてまいりましたが、まさにこれから日々、全身全霊を傾けて、一日一日大事な決断をしていきたいと考えております。

 是非、良識ある国民の皆様の御理解を改めてお願い申し上げて、冒頭の私の御報告とあいさつにしたいと思います」――

 美しい言葉を並べ立てている。

 「日本の将来を左右する大きな決断のとき」、「政局よりも大局」、「与野党の垣根を越えて」、「長い時間をかけて法案(社会保障と税の一体改革)をまとめた民主党の同志の皆様の汗」、「建設的な議論」、「国会は言論の府」、「当初の立場を乗り越えて、合意を導くという熟議の民主主義の実践の場」、「私たち政治家の決断」、「決断し、実行することの政治」、「政治生命をかける」、「全身全霊」等々・・・・・

 野田首相の熱意と理念がひしひしと伝わってくる言葉の数々となっている。「当初の立場を乗り越えて、合意を導くという熟議の民主主義の実践の場」といった言葉は理想的な政治の在り様(ありよう)、理想的な国会審議の在り様を謳い上げた素晴らさの籠もった名言と言うことができる。

 野田首相はこれらの数々の理想の基本を「熟議」に置いているはずだ。「熟議」への到達が「与野党の垣根を越えて」や、「建設的な議論」、「国会は言論の府」を実現可能とすると見ているはずである。「熟議」が理想的な政治の在り様・理想的な国会審議の在り様を演じる。

 だとしても、野田首相をしてこのようにも自らが理想としている政治の在り様・国会審議の在り様を強いている本質的状況は衆参ねじれ現象であることは言を俟たない。

 衆参ねじれという障害が存在しなければ、粛々と数の力で自らの法案を衆参共々賛成多数で採決し、通過させていったはずだし、このことは2007年参院選で自公政権が第一党の座を民主党に譲る以前と、民主党が2009年9月に政権交代をして2010年7月の参院選で敗れるまでの間の現実の政治が教えている。

 民主党は政権獲得後、2010年参院選に敗れるまで、野田首相が言っている「建設的な議論」、「国会は言論の府」等の理想に反して審議打ち切りを演じたし、「政局よりも大局」、「与野党の垣根を越えて」もどこへやら、強行採決も行なってきた。

 また、民主党は野党時代、「政局よりも大局」、「与野党の垣根を越えて」の理想には目もくれず、長時間に亘る審議拒否を度々見せてきた。

 要するにねじれ状況の障害回避の必要に迫られて掲げた数々の理想に過ぎない。

 裏を返して言うと、ねじれ状況の障害が存在しなければ掲げることはない数々の理想だということである。

 当然、常に現実と一線を画している野田首相の理想であることになる。

 だが、野田首相は党内消費税反対もあって、藁にも縋る思いでだろう、現実の政治が受け入れるはずもない理想を掲げるに至った。

 なぜ現実と理想が一線を画しているかと言うと、政策の競い合いを持って各政党が存在し合っているからなのは、これまた言を俟たないはずである。

 各政党は官僚の力と共に所属党員の英知を集めて、あるいは様々な識者が持つ英知を借りて作り上げた自党の政策を以って自己存在証明とし、他の政党の政策と競い合う。

 結果として、各政党とも自党の政策こそが優れていると他党の政策に優る自党の政策の優越性を掲げることになる。

 だが、いくら自党政策の優越性を掲げたとしても、最終的にはその優越性は数で決まる。

 優越性の帰着が数に決定権があるなら、そこに「熟議」が介在したとしても、「熟議」自体も数の影響を受けることになる。

 その最大の影響が与党による野党案の丸呑みであろう。

 より少ない影響として野党案の取り入れや、与党案の一部削除、譲歩等がある。

 とすると、「熟議」という体裁そのものがキレイゴトの政治の在り様でしかなく、実質的には数の劣勢に立たされた側の妥協劇ということになって、理想と一線を画した現実の姿を露にすることになる。

 野田政権は既に子ども手当に関わる法案を通すために自公に対して大幅な譲歩を演じている。民主党が当初決めた子ども手当から、自公時代の児童手当に名称を回帰させている妥協は数の力がどちらに有利に働いていたかを物語って余りある。

 また、6月1日のBS朝日番組収録での仙谷由人の、自公両党に申し入れた消費増税関連法案の修正協議についての発言は与野党協議や熟議に対する数の影響を象徴的に言い表している。

 《修正協議「丸のみ」も=大連立が一番-民主・仙谷氏》時事ドットコム/2012/06/01-12:52)

 仙谷「法案をどう実現するのか道筋が付けば、丸のみと言われようと社会保障のための財政規律を確立するという点で、同じ立場に立てる可能性がある」

 最初から熟議の正体をタネ明かししている。だが、ここには最早民主党政策の優越性に対する誇りはない。消費税増税を果たしさえすれば、「社会保障のための財政規律を確立」できるんだからそれでいいんだと丸呑みを正当化しているが、民主党の社会保障改革政策そのものが変質を迫られるのであって、自党政策の優越性の放棄、全面降伏となる。

 野田首相が記者会見で言っている「長い時間をかけて法案(社会保障と税の一体改革)をまとめた民主党の同志の皆様の汗」のなり振り構わない否定である。

 仙谷「消費税と原発を(次期衆院)選挙の争点にするのはいかがかという気持ちは、民自公とも持っているのではないか。そうならないようにする決め方としては、連立の形が一番素直だ」

 自らの政党としての存在証明となる政策の優越性実現を放棄して、政権維持だけを考えている。あるいは政権与党に属し、権力の一端にありつくことだけを考えている。最も卑しい部類に入る政治家だと言うことができる。

 前首相の菅仮免が2010年参院選に敗北して参議院与野党逆転のねじれが生じると、2010年8月10日の記者会見で次のように発言している。

 菅仮免「私は今回のこの臨時国会で、新しい民主主義あるいは新しい議会制民主主義の可能性を感じております。

 つまり従来の長い間の55年体制というのは、官僚任せであったり、あるいは族議員中心の政治であったわけですけれども、これからは議会の場で闊達に議論する中から結論を得ていく、そしてその背景には、国民のいろいろな意見を反映したこの民主主義制度、私の言葉で言えば参加型の民主主義というものが、ある意味でこのねじれ国会という天の配剤の中で誕生しつつあるのではないか。そういう期待を感じることができました。そういった意味で、私たちは国民の生活が第一、そして元気な日本を復活させるという目標を、この国会の議論を通して国民的な議論の中からその方向性を定めていきたいと改めて感じたところであります」(MSN産経

 そして2010年9月1日の民主党代表選日本記者クラブ公開討論会では次のように発言している。

 菅仮免「参議院の選挙の結果については私自身の責任も含め、反省をしてまいりました。その上で、ねじれという状況になったことについて、私はもちろん一般的には厳しいわけですけれども、ある意味では天の配剤ではないかとも同時に思っております。

 (中略) 

 私の経験では、確か1988年(1998年の間違い)でしたか、金融国会というものがありまして、長銀、日債銀の破(は)綻(たん)寸前になったときに、当時の野党でありました民主党、そして自由党、公明党で、金融再生法というものを出しました。いろんな経緯がありましたけれども、最終的には当時の自民党がそれを丸飲みされた。私は政局しないと申し上げて、小沢さんから少し批判をいただきましたけれども、しかし、あそこで政局にしていた場合には、私は日本発の金融恐慌が世界に広がった危険性が高かったと思いますので、そういう意味では、そういう真摯な姿勢をもって臨めば、野党の皆さんも合意できるところはあって、これまで超えられなかった問題も超えていくチャンスだと、このようにとらえて努力をしていきたいと思っております」(MSN産経
 
 各政党が自党政策の優越性を掲げて競い合うことを政党の存在証明としているものの、最終的には数が決定する優越性である宿命にある以上、数の力が介在しない熟議など存在しないにも関わらず、それが政治の現実だと看做す冷徹な現実主義的認識能力も持てずに参院選敗北のねじれを「熟議」成立の機会となる「天の配剤」だと言い出した。

 そして「熟議」の顕著な例として1998年の「金融再生法」の自公政権の民主党案丸呑みを挙げた。

 ここには与野党立場を替えたことに対する認識は何一つない。衆参ねじれ現象下での「丸飲み」は野党が仕向ける与党行為であって、その逆の与党が仕向ける野党行為では決してない。

 1998年の金融再生法が既にこのことを証明しているが、谷垣自民党総裁発言も「丸飲み」が野党が仕向ける与党行為であることを証明してくれる。

 《【消費税増税】対案丸のみなら応じる 修正協議で谷垣・自民総裁》MSN産経/2012.6.4 15:17)

 5月4日午後の党会合。

 谷垣総裁(消費税増税関連法案の修正協議について)「自民党の対案を丸のみすれば、受けなければならない」
 
 菅は参院選敗北、衆参ねじれによって自分たちが自党政策の優越性放棄に当たる「丸飲み」の立場に立たされることも考えずに参院選敗北を「天の配剤」だと言ったのである。

 現実主義であることから離れたこの呆れ返るばかりの判断能力ゼロが言わせた「天の配剤」論としか言いようがない。

 そしてここに来て野田首相が消費税増税関連法案を通すために菅が遺産とした「熟議」を持ち出すに至った。「政局よりも大局」だ、「建設的な議論」だ、「国会は言論の府」だとキレイゴトを口実にして。

 「熟議」が実現したとしても、待ち構えている障害は妥協、譲歩、丸のみであって、数の力関係の手前、避けることできない障害となっている。

 政治家は冷徹な現実主義者でなければならないにも関わらず、菅仮免と同様に政治の現実に目を向ける認識を欠いているからこそ可能とした、記者会見で見せることになったキレイゴトの数々の理想を散りばめた、非現実的な理想的政治の在り様(ありよう)、非現実的な理想的国会審議の在り様という逆説なのだろう。

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