菅官邸ぐるみのSPEEDIの存在も米エネルギー省放射能拡散データーも知っていた情報隠蔽?

2012-06-20 13:06:36 | Weblog

 昨日(2012年6月19日)の当ブログ記事――《文科省・保安院のアメリカ政府福島上空放射線量測定地図情報隠蔽の誰も信用しない釈明 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の書き直し。昨日の文章と重なる部分が大分あるが、視点を変えて、菅官邸ぐるみの情報隠蔽ではないかということを書いてみたいと思う。

 先ず、官邸で原子力災害対策本部に関わる誰もが東日本大震災発災当時はSPEEDIの存在そのものすら知らなかったと証言している。

 海江田経産相「私は今回、この福島の事故の対応で、自分自身に色々と反省することもございます。その中の、やはり一番大きな問題が先ずスピーディの存在を私自身、知らなかったんです」(2011年8月27日、民主党代表選共同記)

 枝野「私がスピーディーというシステムがあるということを知ったのは、震災後の15日か16日くらいだったと思う」(国会の調査委員会に参考人)

 菅仮免「所管する文部科学省などから説明がなく、事故から数日たってもその存在すら知らなかった」(民間事故調参考人証言/NHK NEWS WEB記事)

 菅仮免に関しては2010年10月20日に浜岡原発事故を想定した「平成22年度原子力総合防災訓練」をテレビ会議システムの使用も含めて行い、SPEEDIを用いて漏れた放射能の拡散予測していながら、その存在を知らないと言っている。

 但し2011年5月2日の記者会見細野補佐官の発言はSPEEDIの存在を知っていた事実に基づいた言葉遣いとなっている。

 細野補佐官「(SPEEDIの予測結果を)公開することによって、社会全体にパニックが起きることを懸念したというのが実態であります」

 SPEEDIの予測結果は社会全体にパニック発生の懸念を持ち得る程に高い数値を示していた。だから、未公開としたと言っている。

 公開・未公開の最終決定判断は細野にあるはずはなく、菅仮免にあるはずである。菅はSPEEDIの存在を知っていなければならない。

 とすると、保安院が3月12日午前1時頃 、官邸に送ったSPEEDI予測結果は官邸の担当部局のところに止まった状態にあって、菅仮免のところには届かず、情報共有するに至らなかったと言っていることは事実ではないことになる。

 大体が東電が水素爆発直前の3月12日午後3時20分に原災法に基づく通報連絡で、福島第1原発から保安院に対して「今後準備が整い次第、消火系にて海水を注入する予定」とファクス送付していながら、保安院が受領を認めたのは5月25日になってからで、当然官邸に伝えていなかったとしていること、あるいは米エネルギー省の福島上空放射線量測定データー地図を文科省と保安院が官邸に報告しなかったといった連絡ミス、情報停滞が多過ぎる。

 当たり前の組織なら、考えられないことである。

 もし何らかの失態を隠蔽するための意図的につくり出した連絡ミス、情報停滞だとすると、辻褄が合ってくる。

 ここで再度東日本大震災発災からSPEEDI作動、避難指示等の官邸の初期対応に関わる各事象を情報未伝達の出来事も含めて時系列で眺めてみる。

 2011年3月11日午後2時46分――東日本大震災発災
    3月11日午後4時49分――「SPEEDI」作動
    3月11日午後6時頃 ――調査結果が出る時間帯(計算に1時間かかるという。)
    3月11日午後9時23分――第1原発半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ圏内屋内退
               避指示

    3月12日午前1時頃 ――SPEEDI予測結果が保安院から首相官邸にファクスで報
               告
               官邸の担当部局のところにとどまる

    3月12日午前3時05分――海江田経産相、記者会見でベント実施方針を発表
    3月12日午前5時44分――第1原発半径3キロ圏内から半径10キロ圏内に避難拡大指
                示

    3月12日午前6時50分――政府、原子炉等規制法に基づくベントを東電に命令
    3月12日午前10時17分――1号機でベント開始
    3月12日午後6時25分――第1原発半径20キロ圏内避難指示
    3月15日午前11時00分――第1原発周辺半径20~30キロ屋内退避指示
    3月15日夕方    ――文科省、SPEEDI予測調査
    3月15日午後9時頃  ――上記予測調査に基づいて原発から北西およそ20キロの福島県
                浪江町に職員派遣
                1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定
                測定結果は官邸に報告、報道機関に資料配付、インターネット
                公開
    3月17日~3月19日 ――アメリカ・エネルギー省、福島上空の放射線量測定
               データー地図を作成して、日本外務省に報告

               外務省、文科省と保安院に伝達
               文科省と保安院は首相官邸に未伝達
    3月23日      ――SPEEDI予測結果一部のみ公開     
    4月25日      ――SPEEDI、全面公開(以上)

 最初からSPEEDIの存在を知っていて、SPEEDIの解析結果に基づいて避難を決めていたことを前提に文章を進める。

 菅仮免は3月11日午後9時23分に「第1原発半径3キロ圏内避難と3~10キロ圏内屋内退避」指示を最初に出している。最初のSPEEDIの予測結果が出たのが3月11日午後6時以降と推測すると、官邸で議論する時間も必要になるとしても、ちょっと遅すぎる感はあるが、当時は与野党からの菅退陣機運が高まっていた頃で、東日本大震災が菅を命拾いさせたと言われていたくらいだから、多分、避難範囲が失敗した場合の責任問題を恐れて慎重を期すために時間がかかったことも考えられるが、果たして約3時間前後もかけて上記避難範囲を決めたのだろうか。

 この疑問はあとで答える。

 もしこれがSPEEDIの予測に基づかない避難指示・屋内退避指示だとしたら、文科省が事故直後のSPEEDI予測データを外務省を通じてアメリカ軍に提供していた事実が整合性を失うことになる。

 文科省は正確な放射線放出量が把握できない仮定値に基づいた予測で、無用な混乱を避けるために公表しないとしていたが、だとしたら、アメリカ軍は正確ではないデータに基づいて物事を判断する矛盾が生じるし、正確ではなかったとしても、アメリカ軍に提供しても、国民には公表しない矛盾も出てくる。

 3月11日午後9時23分の「第1原発半径3キロ圏内避難と3~10キロ圏内屋内退避」指示から3時間半後に保安院がファクスで首相官邸にSPEEDI予測結果を報告。さらにその約2時間後の3月12日午前3時05分、海江田経産相が記者会見でベント実施方針を発表している。

 ベントは原子炉内の圧力を下げるための作業だから、当然放射性物質を外部に放出することになる。保安院報告のSPEEDI解析と併せて、海江田記者会見の時点で第1原発半径3キロ圏内避難と3~10キロ圏内屋内退避が妥当か否か判断し、決定しなければならないが、「第1原発半径3キロ圏内から半径10キロ圏内に避難拡大指示」は海江田記者会見から約2時間40分も経過している。

 素早い対応とは決して言えないが、最初の「第1原発半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ圏内屋内退避指示」がSPEEDIの最初の予測結果から約3時間前後だとすると、それ程の時間差はない。

 さらに放射性物質の放出を伴う3月12日午前6時50分のベント命令の時点で直ちに行わなければならない「第1原発半径20キロ圏内避難指示」が約11時間半後の3月12日午後6時25分となっているばかりか、午前10時17分の1号機ベント開始から約8時間も経過している。

 ということは、ベントを基準とした半径10キロ圏内から半径20キロ圏内への避難区域拡大ではないことになる。

 では、何を基準にした避難区域拡大かというと、刻々と予測していたSPEEDI以外に考えることはできない。

 ベントを基準とした避難区域決定ではないとすると、海江田記者会見で直ちに行わなければならなかった避難区域拡大を行わなかったことも頷ける。

 最初のSPEEDIの予測結果から推定で3時間半後の「第1原発半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ圏内屋内退避」決定となった遅さも、その予測からの決定ではなく、時間と共に放出放射性物質が拡大していく進行形のSPEEDI予測結果に基づいた、いわば直前の数値に基づいた避難指示、屋内退避指示だと考えると、矛盾は払拭できる。

 ではなぜ、SPEEDIの存在を知らないと言ったのだろうか。避難範囲はSPEEDIの解析結果にのみ基づく決定ではなく、ベント等の事故対応や水素爆発等の突発的事象等に応じた決定であるべきを、少なくともベント対応に関しては避難に生かすことできなかったからではないのか。

 避難が同心円となったことについて、SPEEDIの存在を知らなかったこと、解析結果が官邸に報告されていないことを理由に挙げているが、文科省は3月15日夕方、職員を原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に派遣、放射線量を実測している。結果、1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定。

 この測定値を官邸に報告、マスコミにも公表しているが、文科省はSPEEDI予測結果に基づいて決定した実測地点であることは情報隠蔽していた。

 なぜ隠す必要があったのだろうか。官邸がSPEEDIの存在を知らないとしていたことと整合性が取れなくなるということ以外に考えることはできない。

 ウソにウソを重ねるというやつである。

 そして文科省の浪江町実測から2日後の3月17日から3月19日にかけて、米国エネルギー省が軍用機を使って福島上空の放射線量測定。

 解析結果の地図を見ると(画像参照)、1時間当たり125マイクロシーベルトを超える地域が北西方向に伸び、しかも政府決定の避難範囲半径20キロ圏を超え、1時間当たり21.7マイクロシーベルトとなると、半径40キロ圏をも超えている。

 政府の避難範囲は半径20キロ圏止まりである。

 文科省のSPEEDI解析に基づいた浪江町放射線実測もそうだが、米エネルギー省上空測定も高濃度放射線は北西に伸びていて、この事実は政府の同心円避難範囲の否定を意味している。

 要するに文科省の浪江町実測を導くに至った、北西方向への高濃度放射線の放出を示すSPEEDIの予測結果も、同じく北西方向への高濃度放射線の放出を示す米エネルギー省上空測定結果も、政府の同心円避難範囲決定に都合の悪い存在であった。

 特に文科省浪江町測定結果がSPEEDIの解析に基づいていた事実はSPEEDIの存在を知らないとしていた事実と真正面から齟齬を来すことになる。

 さらに最初からの同心円避難範囲決定がその後の放射性物質北西方向偏向放出となって出たSPEEDI解析結果に対する判断を制約することになった。

 避難範囲同心円決定の失態とSPEEDI解析のみに頼った避難範囲決定の失態が招いた、菅仮免が自らの失態に対する責任を恐れるあまりの以上見てきた情報隠蔽というこということではないだろうか。

 勿論、他にも情報隠蔽と疑うことのできる出来事はある。

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