小林同友会代表幹事の「原発事故は地球儀的にはローカル」発言から全体主義的国益観を見る

2015-12-03 09:31:05 | Weblog


 経済同友会の小林喜光代表幹事が12月1日の定例会見で地球温暖化の影響との比較で、「原発(事故)は地球儀的にいえば極めてローカルだ。ものすごく不幸なことだが、『劇症肝炎』みたいに一部が瞬間的にやられる」と述べたことを、〈性質の異なる問題を病に例え、原発事故を軽視しているとも受け止められかねない発言〉だと「asahi.com」記事が批判気味に伝えていたので、削除されているかもしれないと思いつつ経済同友会のサイトにアクセスしてみたら、ちゃんと載っていた。   

 定例記者会見だからだろう、株価や首相官邸開催の官民対話とか、税制とかの記者の質問に答えていたが、問題の発言の個所だけを取り上げてみる。小林氏の応答は段落なしに表記されていたから、読みやすいように適宜段落を入れた。

 小林氏の発言の丸括弧をつけた付け足し・注釈は最初から書き入れてあった。当方の注釈は青文字で記入した。

 《代表幹事定例記者会見(12月1日)発言要旨》(公益社団法人経済同友会/2015年12月01日)
    
 記者「COP21について、2030年までに2013年比26%削減という目標を掲げているが、日本の産業界、日本企業にとってビジネスチャンスになるのか。それとも、フランス、ドイツが訴えているように産業界で排出される炭素に価格をつけるという流れが足かせになるのか」

 記者の質問は砕けた言い方をすると、要するに「COP21」(「気候変動枠組み条約第21回締約国会議」)で決めることは日本にとって儲け話となるのかならないのかを趣旨としている。

 小林氏がこの趣旨にどう応じたかによって、原発事故の譬えの意味するところがわかってくる。

 小林代表幹事「130カ国以上の首相が行かれて、安倍首相はG20、APEC、ASEAN、パリとあちこち飛び回っている。特にCO2問題というのは世界の問題。テロもそうだが、グローバルになっている象徴的なものだ。中国で出そうが日本で出そうが、CO2は大気圏のなかでブロックされ、大気圏外に排出されるのに400年くらいかかる。一回溜まってしまうとほとんどアウト。どこから出ようが、一回出してしまったら(溜まるばかりだ)。

 産業革命以来(温暖化が進み、現在温度上昇を)2度以内に抑えようというと、2050年以降、CO2は出してはいけないとなる(状況だ)。私が常々言っているのは、原発(事故という大惨事)は地球儀的には(地球全体で考えると)ローカル(局地的)である。原発事故というのはものすごく不幸なことで、病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のものだ。きわめて瞬間的にやられる。

 CO2は気が付かないうちにむしばまれ、気が付いたら命を落とすような慢性の疾患のようなものだ。2100年になって5度も上がったら海水海面が80数センチも上がり、南の島しょ国は存在できないというくらい怖い病だ。そのような意味で、130カ国以上が一堂に会して問題意識を共有するという段階だと思う。

 非常に発展した国と、今から発展する国、これによってお金の考え方が全然違う。安倍首相は1兆3,000億円の補助をすると演説したが、新興国にとっては、先進国が勝手に今までさんざん(CO2を)出してきて、自分たちがこれから同じように発展しようと思ったらブロックするというのは、それはないだろう、だから援助を、というのは分かる。

 日本国としても1兆3,000億円と大盤振る舞い、比較的前向きに対応している。加えて、日本の場合は、石炭火力一つとっても、CCS(Carbon Capture and Storage)を含め、進歩した技術を持っている。化学業界では、10年くらい前からLED、有機系太陽電池、あるいはリチウムバッテリーより高度な蓄電池システムなど(に投資し)、日本は間違いなく進んでいるので、今から発展する国へ技術的支援をする。

 地球全体が汚れていくのをどれだけ防いでいくか、日本は統計にもよるがかつて(世界の)4%、いまだと2.8%。化学工業はかつてすごくCO2を出したが、技術を限界まで歩留まりを上げてCO2を出さないようにしてきている。そういう技術を中国なりインドなりで使えば、世界全体として良くなる。

 ICCA(国際化学工業協会協議会)で年に2回、アメリカとヨーロッパで会議があり、去年は日本であったが、特に化学産業など、エネルギー多消費型産業は、最も先鋭的にCO2のエミッション(放出・放射・大気汚染物質)を減らす研究開発をやってきた。

 それをいかに新興国に転換するかを、各業界もCOP21に行き宣伝している。京都議定書の後、こうして機運がようやく高まった。宣言してノーオブリゲーション(「義務は負わない」)、単に「私は2030年までに2013年比26%減らします」と言うだけでだけでいいのか、法律的な規制が加わるのかという議論はこの10日間で行われるのだろうが、アメリカ・中国はあまり乗り気ではない(ようだ)。

 当面は、皆がこうした問題意識をもって2030年に向かってやるというのが落ち着きどころかと思う。温暖化ガス、GHGとは、CO2だけでなくメタンもフッ素系もある。ある国ではCO2しか測っていない。日本はメタンもフッ素系も測っており、メタンは30倍ほども(温室効果の)ファクターが高い。フッ素系は1万倍以上高い。測定法、分析方法もまだ標準化されておらず、それぞれ独自にやっている段階だ。ヨーロッパや日本など先鋭的に地球環境(保護に取り組み)、GHG(Greenhouse gas=温室効果ガス)を減らすという貢献を事業とともにやれば、最後はビジネスチャンスになると思う」(以上)

 「非常に発展した国と、今から発展する国、これによってお金の考え方が全然違う」という発言、「日本国としても1兆3,000億円と大盤振る舞い、比較的前向きに対応している」という発言、そして最後の「先鋭的に地球環境(保護に取り組み)、GHG(Greenhouse gas=温室効果ガス)を減らすという貢献を事業とともにやれば、最後はビジネスチャンスになると思う」という発言、これらを通すと、儲け話(=ビジネスチャンス)の文脈となっていて、記者の質問の趣旨に添った発言ということになる。

 当然、日本の技術は「間違いなく進んでいるので、今から発展する国へ技術的支援をする」と言っている技術支援、日本の優れた有害大気汚染物質排出抑制技術を「いかに新興国に転換するかを、各業界もCOP21に行き宣伝している」と言ってい技術転換はすべて儲け話(=ビジネスチャンス)の観点からの物言いと見なければならない。

 では改めて「asahi.com」記事が問題とした発言を見てみる。

 「私が常々言っているのは、原発(事故という大惨事)は地球儀的には(地球全体で考えると)ローカル(局地的)である。原発事故というのはものすごく不幸なことで、病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のものだ。きわめて瞬間的にやられる。

 CO2は気が付かないうちにむしばまれ、気が付いたら命を落とすような慢性の疾患のようなものだ。2100年になって5度も上がったら海水海面が80数センチも上がり、南の島しょ国は存在できないというくらい怖い病だ。そのような意味で、130カ国以上が一堂に会して問題意識を共有するという段階だと思う」――

 地球温暖化問題の深刻さを訴えるためにわざわざ原発事故を持ち出して、後者の深刻さが、例え「病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のもの」であったとしても、「地球儀的にはローカル」な問題に過ぎないと見做して、前者の深刻さを「地球儀的」な規模のものだと遙か上に置く位置づけで両者を対比させたのも、「気が付かないうちにむしばまれ、気が付いたら命を落とすような慢性の疾患のようなもの」だとする前者の譬え、「一度に命を落とすような劇症のもの」だとする後者の譬え自体は不適正ではなかったとしても、国家規模の儲け話(=ビジネスチャンス)を背景に置いた、その範囲内の発想からの緊急な解決必要性を訴えた発言ということになる。

 原発事故による原子炉からの放射能物質の大量の漏洩は自国の原発事故を想定させることで放射能汚染に対する不安は世界中に広がるとしても、被害自体は地球規模から見た場合、原発事故を起こした地域と周辺地域、日本のように国土が狭ければ、その一国、あるいは陸続きの国が原発事故の地域と近接していたなら、その隣国等々に限定されて、確かにローカル、局地的な問題と言うことができる。

 だとしても、そのローカル(局地的)な中で放射能被害を受けた住民にとってはいくら地球儀的な規模の被害ではなくても、放射能被害の中心に置かれることになって、ローカル(局地的)では済まされない非常に深刻な重大な被害に見舞われることになる。小林氏の譬えを借りると、「病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のもの」、「きわめて瞬間的にやられる」状況下に生命が曝されることになるのである。

 だが、儲け話(=ビジネスチャンス)の観点から温室効果ガスの問題を原発事故と対比して「地球儀的にはローカル」な問題だとすることができたのは、あるいはこの指摘が間違っていて、そのような背景からではなく、温室効果ガスの問題は地球儀的な問題であり、原発事故を「地球儀的にはローカル」な問題だと単純に対比させせた過ぎないとしても、そのように対比させることができたのはローカル(局地的)では済まされない状況下に置かれている、あるいは置かれることになるだろう一人ひとりを見ていないからだろう。

 もし原発事故下の一人ひとりを見ていたなら、とてものこと、「地球儀的にはローカル」だと、地球規模で把えた事故の規模で見ることはできない。

 見ることができたのは、やはりこれらの発言が儲け話(=ビジネスチャンス)を基本としていたからだろう。儲け話(=ビジネスチャンス)を基準とすることによって温室効果ガスの問題の方が遥かに儲け話(=ビジネスチャンス)に合致することなる。

 小林代表幹事のこの一人ひとりを見ない視点には全体主義的傾向を感取しないわけにはいかない。全体主義とは個人の利益よりも全体の利益を優先する思想を言う。個人は全体の利益に奉仕することによってのみ個人としての利益を得ることができる。

 安倍晋三を見れば理解できることだが、上に立つ者がこの傾向に毒されると、国家を優先する考えに立つことになって、その分、個人個人を見る目が弱められることになる。結果、原発事故に見舞われた被災者一人ひとりの不安を見ないことになる。

 地球温暖化で気温が「2100年になって5度も上がったら海水海面が80数センチも上がり、南の島しょ国は存在できないというくらい怖い病だ」と言っていることも、日本の優れた温暖化ガス排出抑制技術の活用の機会に向けた儲け話(=ビジネスチャンス)を日本の国益として捉えた発言とすることができて、他の発言との整合性を見ることができる。

 上記「asahi.com」記事は小林氏は記者会見後、記者団に「温暖化は原発事故と同じくらい深刻な被害を招くと言いたかった」と釈明したと伝えているが、記者会見の趣旨と釈明の趣旨は全くの別物である。同じだとすると、原発事故は「地球儀的にはローカル」という言葉を使った意味を全く失う。誤魔化しているに過ぎない。

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