夫婦同姓は人間の存在性無視の基本的人権の侵害ゆえ、「家族の絆・家族の一体感」を保障する制度足り得ない

2015-12-08 09:14:46 | 政治


 昨日 2015年12月7日、NHK総合テレビ「クローズアップ現代」」で選択的夫婦別姓を取り扱っていた。題名は《家族の名字 どう考えますか? ~“夫婦別姓”のゆくえ~》

 当ブログでも何度か「選択的夫婦別姓」を取り上げているが、番組は既に記事になっていた11月の夫婦別姓に関わるNHK世論調査を取り入れて、「姓」はどうあるべきかを議論していた。確か女性キャスターが現在4組に1組の割合で離婚していると言っていたと思うが、聞き間違いかもしれない。

 厚労省の《平成26年(2014)人口動態統計の年間推計》(2015 年1月1日発表)によると、「婚姻件数は64 万9000 組」に対して「離婚件数は22 万2000 組」。約3組に1組の割合となっている。

 あるいは2015年に入って離婚数が急激に増えて、現在4組に1組の状況になっているのだろうか。

 家庭内離婚、あるいは家庭内別居、その他結婚の形は維持したままの事実上の別居(別住まい)の数を加えると、夫婦破局の数は相当数にのぼるに違いない。

 番組が結婚数に対する離婚数を上げたのは夫婦同姓が別姓反対の主たる理由としている「家族の絆」や「家族の一体感」を必ずしも保障する制度とはなっていないことを示したかったからではないだろうか。

 「家族の絆」、や「家族の一体感」を決める条件は夫婦それぞれの自身の姿勢と相手に対する姿勢の兼ね合い(折り合いと言ってもいいが)であろう。自分という人間の姿勢とときにはそれとは微妙に異なるかもしれない相手に対する姿勢との兼ね合い(折り合い)が自身に対しても相手に対してもそれぞれに受容されるかどうかが絆や一体感の決め手になるように思うが、どうだろうか。

 このように説明しない限り、結婚しない形で別々の姓で家庭生活を営む同居・同棲といった事実婚に於ける良好な男女の関係は説明できなくなる。

 決して制度が決める結婚、その他の男女関係ではない。
 
 同姓であろうと、別姓であろうと、相手が受け入れる自身の相手への姿勢が本来的な自身の人間としての姿勢と大きく異なり、その修正が効かなくなったとき否応もなしに精神的な苦痛に見舞われだろうから、離婚を含めた男女関係の破局へと場面は急展開するように思える。

 男尊女卑の権威主義性の名残を今以て引き継いでいて、夫が男の側の姿勢のみしか認めない場合、中にはそれを当然として受け入れる、同じく女性の側からの権威主義性に囚われている女性も存在するだろうが、囚われていない権利意識がそれ相応に発達した女性は自身の姿勢が認められないことの権利の不当性にぶち当たることになって、権利と権利の衝突、あるいは正当性・不当性の争いが起きて離婚等の夫婦破局に至るというケースもあるはずだ。

 夫婦同姓を以てしても2014年は3組に1組の割合で離婚が存在する事実、さらに家庭内離婚や家庭内別居、そして夫婦の家から出る形式の別居等の夫婦破局の事実を加えると、夫婦同姓を「家族の絆」や「家族の一体感」を保障する制度と見做すのは制度が作り出してきた慣習に置いているに過ぎないと見なければならない。

 以前ブログに書いたことをもう一度ここに記してみる。〈夫婦同姓であれば、「家族の崩壊」も「一夫一婦制の婚姻制度の破壊」も「家族の一体感喪失」も、起こり得ない、あり得ない現象だとでも言うのだろうか。〉――

 勿論、夫婦別姓にしても同様で、別姓にしたからといって「家族の絆」や「家族の一体感」を保障するわけではない。制度が決める問題ではないことに変わりはないからだ。
  
 実質的には男女それぞれの自身の姿勢と相手への姿勢への兼ね合い、あるいは折り合いが良好な男女関係を保障する結婚、その他同棲や同居といった事実婚の条件であることを無視できない以上、法律が決めた夫婦同姓という制度を優先して人間の存在性を無視するのは人間らしく生きる保障である基本的人権の侵害に関わってくるはずだ。

 10月21日から23日のNHK世論調査記事、《夫婦別姓 世論調査で賛否大きく分かれる》(NHK NEWS WEB/2015年12月7日 7時06分)  

 「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」50%
 「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」46%

 年代別の割合はNHK NEWS WEBNHK記事から画像を貼り付けた。

 「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」の理由

 「同じ名字を使うことが当然だから」28%
 「家族の絆や一体感が弱まるから」26%
 「子どもに好ましくない影響を与えるから」22%

 「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」の理由

 「個人の意志を尊重すべきだから」59%
 「女性が名字を変えるケースが多く不平等だから」17%
 「どちらかの名字が途絶えることがあるから」13%
 
 「事実婚」について

 「とても理解できる」10%
 「ある程度理解できる」49%
 「あまり理解できない」23%
 「まったく理解できない」12%

 「とても理解できる」+「ある程度理解できる」全体の約6割

 同姓賛成の「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」は、その理由としている「同じ名字を使うことが当然だから」にしても、そういう制度だから、そうすべきだとする制度を慣習としていることからの無条件の固着観念に過ぎない。70代以上の同姓賛成が多いのは(=別姓反対が多いのは)同姓の制度に長く浸っていて、その慣習が精神に染みついているからだろう。

 「家族の絆や一体感が弱まるから」を理由とした別姓反対は、「子どもに好ましくない影響を与えるから」を含めて、夫婦同姓を「家族の絆」や「家族の一体感」の絶対的保障と見ていることになって、夫婦同姓であっても、少なくない数の離婚や別居等の夫婦破局の事例が絶対的保障となっていないことを見ていないことになる。

 既に触れたように夫婦別姓反対は制度を優先して人間の存在性を無視する類い過ぎない。繰返し言うことになるが、夫婦同姓が「家族の絆」や「家族一体感」を絶対的に保障する要件ではないし、絶対的要件となり得ることもないことは様々な形の夫婦破局が証明している。

 夫婦同姓という制度を優先して人間の存在性を無視する基本的人権の侵害は誰であろうと許されない。

 最後に記事が伝えている賛成・反対のそれぞれの識者の発言を記しておく。

 二宮周平立命館大学教授「今回の調査では60代以上が回答者の55%を占めた。若い世代では、夫婦別姓を選べるほうがいいという人が60%を超えている。20代から50代は、別々の名字を名乗ってもいいと思っている人が多く、『賛否きっ抗、反対派が多い』という調査結果の見方は誤りだ。夫婦同姓といっても96%以上が、女性が夫の名字を選択している今、夫婦別姓には個人の尊重と男女の平等、2つの意味が込められている。

 (世代によって意見が大きく異なっていることについて)「高齢の世代は、自分たちのこれまでの生活を否定する意見を持てないので、理解できないのではないか。一方、働いている男性や女性から見ると個人の呼称、自己の人格の象徴として、氏名を捉える人が多くなっているのではないか」

 高乗正臣平成国際大学名誉教授「(世論調査で賛否が大きく分かれていることについて)個人に重点を置くか、公の利益に立脚するかの違いではないか。個人の権利が大事だと考えると婚姻や戸籍の制度は拘束されるもののように映るが、こうした家族の制度は社会の秩序の維持や子どもの福祉に貢献してきた。名字が同じであることは家族を統合する重要で有力な手段なので、選択的であれ、夫婦が別の名字であることを認めると、社会の安定や福祉の基盤が崩壊していく危険があるのではないか。

 若い世代は多様な選択肢に寛容だが、社会にとっての家族の重要性をどれくらい理解しているのかが若干心配だ。これに対し、高齢者は家族の大切さを経験的に理解しているのではないか」

 過去の日本では高齢者ほど、夫が自身を大切にして、妻や子どもの意見や主張を犠牲にしても許される時代を長く過ごしてきた。

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