思想・信条の自由で把えるべき夫婦別姓を認めない民法規定最高裁合憲判断、裁判官が変われば、違憲となる

2015-12-17 10:30:33 | 政治


 2015年12月16日、最高裁大法廷は民法の第750条の規定「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」が憲法に違反するかどうかで争った裁判で規定は合憲だと判決、夫婦別姓を選択できないのは違憲ではないと判断した。

 ネット上に最高裁判決が出回るには時間がかかるだろうから、「NHK NEWS WEB」《夫婦別姓認めない規定 合憲判断も5人が反対意見》 (2015年12月16日 17時15分)の記事の範囲内で合憲判断の妥当性を自分なりに考え、ネット上に出回ってから、改めて見てみたいと思う。 

 文飾を当方。

 訴訟理由「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」

 判決理由――

 寺田逸郎裁判長夫婦が同じ名字にする制度は、わが国の社会に定着してきたものであり、社会の集団の単位である家族の呼称を1つにするのは合理性がある。現状では妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと思われるが、旧姓の通称使用で不利益は一定程度、緩和されている。

 今の制度は社会の受け止め方によるところが少なくなく、制度の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ」――
  
 「夫婦が同じ名字にする制度は、わが国の社会に定着してきた」ことが全体的状況であったとしても、絶対的状況となっているわけでない。いわば絶対的定着ではない社会的事実を以ってして全体的定着に合理性があるとする判断となっている。

 そうである以上、そこに“こぼれ”が生じていることになる。その“こぼれ”に対する判断が次の判決である。

 「現状では妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと思われるが、旧姓の通称使用で不利益は一定程度、緩和されている」
 
 日本国憲法第3章第24条は夫婦平等を規定している。

1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 “旧姓の通称使用による一定程度の不利益”が女性側にのみ影響して、男性がその不利益は一切関知せずであったなら、厳密な意味で憲法が規定する夫婦平等に反する。

 夫側も“旧姓の通称使用による一定程度の不利益”を負ってこそ、夫婦平等であるはずだが、夫は自分の生まれながらの姓を名乗ることができることによって、何ら不利益を被らないでいることができる。

 女性側の何よりの不利益は真に夫婦別姓を望む女性が結婚届を止むを得ず夫の姓に統一し、仕事上は旧姓を通称使用した場合、仕事関係以外の人間から夫の姓で呼ばれる精神的苦痛であろう。精神的には自身の姓を生まれながらの旧姓のままとしていながら、異なる姓の人間として呼ばれる。

 夫の姓で呼ばれたときの精神的な不統一感は自己同一性を壊されるような違和感(後で裁判官が使っている言葉「自己喪失感」)をもたらすのではないだろうか。

 他にもあるこれらの不平等を解消して、憲法の保障通りの夫婦平等を実現するには選択的夫婦別姓を民法で認める以外に方法はないはずだ。

 女性が婚姻後も自身の姓を名乗ることを望み、別姓を選択したい思いは自己の思想・信条に基づいた信念からの判断であるはずだから、日本国憲法が保障している「思想・信条の自由」の基本的人権に深く関わる問題となるはずである。

 だが、最高裁大法廷は夫婦同姓の民法規定を合憲とし、結果として選択的夫婦別姓の民法への規定を違憲とした。

 記事は裁判長の最後の発言を「今の制度は社会の受け止め方によるところが少なくなく、制度の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ」と伝えているが、「今の制度」とは民法第750条の規定「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」を言っているのではなく、制度という言葉には「社会的に公認され、定型化されている決まりや慣習」をも意味するから、夫婦別姓を望む女性が少なからず出てきている社会的状況を言っているはずだ。

 「制度」を民法第750条の規定とすると、前後の文脈が一貫性を欠くことになる。

 「夫婦別姓は社会的には受け止められている慣習となっているから、夫婦別姓に関しては国会で議論し、判断すべきだ」と、国会に委ねたということであろう。

 だが、安倍政権下では安倍晋三を筆頭に高市早苗や現在は政権に入っていない稲田朋美、山谷えり子、その他、どれもが明治以来の天皇制下の国家体制・社会制度・家族制度を尊ぶ右翼国家主義者であり、何よりも伝統的な家族のあり方を信奉している。

 国会でどう議論されようと、安倍政権が圧倒的頭数を誇っている間は判断の落ち着く先は決まっている。

 記事は15人の裁判官の内、5人が夫婦別姓を認めないのは憲法に違反するとして連名で意見書を出したと伝えている。

 5人連名意見書「女性の社会進出は著しく進み、結婚前の名字を使う合理性や必要性が増している。96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状は、女性の社会的、経済的な立場の弱さなどからもたらされている。妻の意思で夫の名字を選んだとしても、その決定過程には、現実の不平等と力関係が作用している。

 多くの場合、女性のみが自己喪失感などの負担を負うことになり、両性の平等に立脚しているとはいえない。今の制度は結婚の成立に不合理な要件を課し、婚姻の自由を制約する」――

 要するに民法に選択的夫婦別姓を規定しないのは日本国憲法第3章第24条に対する憲法違反だとした。

 「96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状」は男尊女卑の名残としてある男性を上に置き、女性を下に置いた男性優位の力関係に基づいた権威主義的な社会的慣習への無条件的な従属に過ぎないと看破している。

 いわばそうなっているから、従っているに過ぎないと。
 
 記事は他にも憲法違反だとする2人の裁判官の発言を伝えている。

 木内道祥裁判官「同じ名字でなければ夫婦が破綻しやすいとか、子どもの成育がうまくいかなくなるという考えは根拠がない」

 山浦善樹裁判官「平成8年に法制審議会が夫婦別姓を認める民法の改正案を出したのに、今も制度を変えていないのは、国会が立法措置を怠っているということだ」

 いずれにしても、15人のうち、10人の判断が優先されることになって、夫婦同姓は合憲と判断され、選択的夫婦別姓を認めないことは憲法に違反するとする判断は排除された。

 もしこれが逆なら、夫婦同姓の民法規定は憲法違反となり、選択的別姓を認めてこそ憲法に適うとする判断が優先されることになる。

 同じ考えを持つ人数の多少によって判断される以上、例え最高裁判断だとしても、絶対ではないということである。

 安倍政権は「憲法の最終的な判断は最高裁」だとして砂川最高裁判決を集団的自衛権行使の合憲説として唱えたが(最もデタラメなな解釈に過ぎなかった)、裁判官の構成によって判断も変わるということも念頭に置いて置かなければならない。

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