ここで言う「政治家」とはいずれの分野の職業であっても、その職業の専門の知識や技術によってではなく、あるいは良好誠実な人柄や人格によってではなく、ハッタリや駆引き、立ち回り上手、馴れ合い、保身、自身を前面に出す、これらの能力を巧妙に発揮して地位をのし上がっていく者を言う。
「コトバンク」が「ブリタニカ国際大百科事典」を引用して政治家を、「政治活動に従事する人間。政治家はしばしば politicianと statesmanとに分けられる。イタリアの政治学者 G.モスカは,前者を『統治システムにおける最高の地位に達するのに必要な能力をもち,それを維持する仕方を心得ている人物』と定義し,後者を『その知識の広さと洞察力の深さによって,自分が生きている社会の欲求をはっきりと正確に感じ取り,できるだけ衝撃や苦痛を避けて,社会の到達すべき目標に導く最善の手段を発見する方法を知っている人』と定義して,両者を区別している」と解説しているが、ここで言う「政治家」とは、後者であるよりも前者に近い。
「彼はなかなかの政治家だ」という言葉は、当然、その職業の専門の知識や技術に長けているという意味ではなく、立ち回りや駆引きが長けていることを言う。
政治の世界ではこの言葉が意味する人間はザラにいる。それでも政治家をしていくことができるのは必要な知識・情報は役人が必要に応じてその都度その都度与えてくれるから、ハッタリや駆引き、立ち回りだけで副大臣だ、大臣だと地位をのし上がっていくことができる。
昨年、2015年10月12日夜、沖縄県豊見城(とみぐすく)市の小学4年の男児(当時9)が首を吊って自殺を図り、病院に搬送され、7日後の10月19日に死亡した。
男児は、学校が9月29日に実施したイジメに関する無記名の定期アンケートの自由記述欄に「消しゴムを盗まれた。いじめられていて転校したい」(琉球新報)と書いていたという。
だが、担任の男性教諭は読んでいなかった。自殺を図った翌日の10月13日、担任はアンケートを読み、記述に気づき、筆跡などから男児の記述だと判明したという。
担任がアンケートを実施した9月29日から約2週間、それに目を通すのを放っておいて、自殺の翌日に初めて目を通したということは、自殺の動機となる何らかの訴えが記述されていないか疑ったからであり、急いで目を通したということであろう。
と言うことは、イジメのアンケートにはイジメを知らせる何らかのサインがあり得ることの知識を持っていたことになる。
実際にはアンケート実施から早い時間に目を通していて、イジメを訴える記述に気づいていたが、どうってことはないだろうと軽く見て放っておいたところ、自殺を図った、気づいていたことが知れるとヤバイことになるからと、読んでいなかったことにして、自殺を図った翌日に初めて目を通したことにしたのではと疑うこともできるが、事実そうだとしたら、相当な政治家で、行くゆくは出世間違いないだろう。
事実は今のところ分からない。今後共分からないかもしれない。少なくともアンケートでイジメを訴え、「転校したい」と居場所を失って孤立している状況のSOSを発信し、約2週間、助けを待ったに違いないと推測することは決して間違っていないと言うことができるはずだ。
男児通学の小学校校長が1月10日、市役所で記者会見している。
校長「いじめへの対応には注意していたが、男児から相談はなく、事実を把握できなかった。
(担任がアンケートの内容を2週間読んでいなかったことについて)もう少し早く読んでいたらとも思うが、1学期の終わりで、成績表を一から作らなければならない時期。そちらの業務を優先したのだと思う」(asahi.com)
9歳という余りにも若過ぎる年齢の自殺死に対する切実さは言葉のどこからも微塵も感じ取ることができない。「男児から相談はなく、事実を把握できなかった」と言って、そのことを以ってイジメを認知できなかったことの理由としているが、生徒側からの直接の相談のみをイジメの把握手段としているなら、何のためにアンケートを行っているのだろうか。
2013年9月28日施行の「いじめ防止対策推進法」に基づいて文科省はイジメの早期発見とその防止等を内容とした「いじめの防止等のための対策の内容に関する事項」を2013年10月11日策定、各学校に通知している。文飾は当方。
〈早期発見
いじめは大人の目に付きにくい時間や場所で行われたり、遊びやふざけあいを装って行われたりするなど、大人が気付きにくく判断しにくい形で行われることが多いことを教職員は認識し、ささいな兆候であっても、いじめではないかとの疑いを持って、早い段階から的確に関わりを持ち、いじめを隠したり軽視したりすることなく、いじめを積極的に認知することが必要である。
このため、日頃から児童生徒の見守りや信頼関係の構築等に努め、児童生徒が示す変化や危険信号を見逃さないようアンテナを高く保つ。あわせて、学校は定期的なアンケート調査や教育相談の実施等により、児童生徒がいじめを訴えやすい体制を整え、いじめの実態把握に取り組む。〉――
当該小学校が9月29日に実施したアンケートもマスコミは「イジメに関する無記名の定期アンケート」と伝えているが、文科省通知に基づいたイジメ早期発見を目的に定期的に行っているアンケート調査だったはずだ。
校長というその学校での一番の責任者の立場で子どもの知・育・徳の教育に携わりながら、生徒側からの直接の相談のみをイジメ把握の手段とすることができる。とても教育に詳しく、同時に教育に誠実な態度・人柄が可能とした校長職とは考えることはできない。
であるなら、ハッタリや駆引きといった資質のみで出世を望み、目指した政治家の体質がこの男を校長にまで上り詰めさせたと見るしかない。
文科省通知にあるように〈いじめは大人の目に付きにくい時間や場所で行われたり、遊びやふざけあいを装って行われたりするなど、大人が気付きにくく判断しにくい形で行われることが多い〉人権侵害行為であって、教師たちがそのことを常に強く認識していたなら、いわばイジメとはそのような性格のものだとする切迫した危機管理意識を持っていたなら、担任している子どもたちの様子が何事もないように見えたとしても、万が一ということを考えて、万が一ということを考えて備えることが危機管理なのだが、何はさておいても、例え他の用事が忙しくても、第一番に目を通さなければならないアンケート調査であったはずであり、担任自身にしてもイジメのアンケートにはイジメを知らせる何らかのサインがあり得ることの知識を持っていたはずだから、目を通すことは緊急性を要していたとしなければならない。
例え結果的にイジメに関する記述もなく、自殺を選択する子どもが出てこなかったとしてもである。
だが、担任は、自身の証言が正しければ、そうはしなかった。自殺を図ってから目を通したということは、児童が自殺を図らなければ、永遠に目を通さなかった可能性が強いことになる。
このことは何事がなくてもイジメの万が一の存在を疑い、自分から進んでそのことに備えようとする危機管理意識を持ち合わせていないことの証明でもある。
当然、校長は教師管理の全責任を負う者として担任が何事にも優先させて目を通さなかった行為を認めることができない態度とし、担任としてのそのような責任不履行を学校自体の責任、校長の教師管理の不行き届き・怠慢の責任としなければならない。
校長がいわゆる政治家タイプの教育者ではなく、専門の知識や技術共に備えた人柄や人格が自ずと校長職に導いた教育者であるなら、担任の責任を自らの管理責任としたはずである。
だが、「もう少し早く読んでいたらとも思うが、1学期の終わりで、成績表を一から作らなければならない時期。そちらの業務を優先したのだと思う」と、担任の何事にも優先させて目を通さなかったことの責任を免除している。
担任への責任免除は校長の管理責任免除へと自ずと繋がっていく。
市教委が11月下旬に男児の自殺を伏せて4、5年生全員対象に無記名アンケートを行ったところ、9人が「意地悪されているのを見た」と回答していたとマスコミが伝えている。
例え調査の結果、イジメが自殺の直接の原因ではなかったことが判明したとしても、担任が9月29日実施のイジメに関する無記名の定期アンケートに早期に目を通していたなら、約2週間後の自殺行為を止めることができた可能性は否定できないし、止めることができたなら、自殺死を背景とした2回めのアンケート調査を行うこともなかったはずだ。
一度の責任不履行・怠慢が人の生き死にに関係していく。校長・教師は子どもたちの学校教育を預かっているだけではなく、生物学的な命を預かり、同時にそのような命と連動している喜怒哀楽の生きて在る存在性を預かり、そのような存在性が生物学的な命と共に他の生徒による物理的、あるいは精神的暴力によって損なわれないよう極力防止する責任を負っているはずだ。
だが、校長だけではなく、担任からもそういった責任を感じ取ることはできない。この担任がゆくゆくは校長に出世していくのかどうか分からないが、校長がこのような責任感なくして、あるいは責任意識なくして既にその地位に就いているということは、やはり政治家であることが幸いした校長職ということなのだろう。
学校校長にとどまらずに、教育力ではなく政治力を益々発揮して教育委員長や学校教育に関する諮問機関等の有識者メンバーとして出世の階段を登って行くに違いない。