文科相馳浩の「公営住宅のある学校の家庭は混乱」発言は公営住宅住人に対する人間蔑視・人間差別

2016-01-25 11:20:15 | Weblog

文部科学相、元体罰教師の馳浩が1月23日、茨城県つくば市で行った講演での発言を2016年1月23日付「asahi.com」記事が伝えている。 

 この講演は全国の市区町村教育委員会の教育長約60人を対象にしたセミナーで行われたものだそうだ。

 このような発言ができるのだから、元体罰教師らしい真の教育者なのだろう。あるいは安倍晋三率いる内閣の一員に相応しい、その精神を受け継いだ温情味のある人間理解者でないはずはない。

 馳浩「公営住宅のある地域の小中学校は、家庭が混乱している。子どもたちも日常生活が混乱しているのだから、なかなか授業に向き合える状況にはない。

 朝ご飯、晩ご飯も食べさせてもらえなかったり、洗濯さえしてもらえなかったりする子どもがいっぱいいる。風呂にも入れてもらえないという状況だ。みなさんは現場で(教員)人事に配慮をしておられると思う。我々は大問題だと思っている」

  講演後、朝日新聞の取材に対して――

 馳浩「教育困難な学校には適切な教員配置が必要だとの趣旨で申し上げた。公営住宅にお住まいの方々、ご家庭を軽んじるような意図はない。誤解を生むようであるなら申し訳ない。今後言葉には配慮したい」・・・・・

 馳浩が言わんとしたことは、公営住宅の子どもたちは親が規律がなくて朝ご飯や晩ご飯を食べさせて貰えなかったりして家庭が混乱しているから、日常生活も混乱していて満足に授業に向き合うことができない、親の規律のなさが子どもの規律のなさとなっていると公営住宅の親と子どもたちの状況を述べ、教育委員会がそういった公営住宅の家庭を抱え込んだ小中学校の教員配置は色々と配慮しなければならないから大変だし、文科省としても大問題であると認識しているということなのだろう。

 要するに公営住宅の親から子へ伝染病のように影響している両者それぞれの規律のなさ(=家庭の混乱)を原因としたそのような家庭の子どもたちの授業が身に入らない状況を教員配置という人事問題でのみ見て、配置に費やす労力は大変だという問題意識で把えていることになる。

 と言うことは、公営住宅の家庭の混乱(=親の規律のなさとそれを受け継いだ子の授業の場に於ける規律のなさ)は由々しき問題だとはしているが、どうにかしなければならないといった問題意識として把えてはいないことになる。

 そのような問題意識を持っていたなら、教員配置の大変さのみを訴えはしない。

 公営住宅の家庭の混乱(=親の規律のなさとそれを受け継いだ子の授業の場に於ける規律のなさ)は授業が身に入らない単なる原因とするのみで、そこにはどうすべきかとする問題意識は存在しない。

 さすが安倍晋三に文科相に抜擢されただけのことはある真の教育者なのだろう。人間をこよなく理解していなければ、教員配置の煩わしさだけを考えることはしない。

 家庭の混乱の原因はどこにあるのだろうか。親が規律をなくし、そのせいで子までが規律をなくしていく原因。義務教育だから毎日学校に行くという慣習から惰性で学校に行き、同じ慣習から惰性で授業を受けて、自分から学ぼうとする規律性(=規律ある態度)を持つことができない原因。

 子どもが親に「朝ご飯、晩ご飯も食べさせて貰えない」原因は殆どの場合、親に朝食・夕食を用意する持間がないからだろう。持間があって、用意しない親が存在したとしても、ごくごく少数派であるはずである。

 その根拠を2001年の《公営住宅管理に関する研究会報告書 参考資料》から挙げてみる。文飾は当方。

 〈公営住宅の入居収入基準の月額は20万円(4人世帯で年収約500万円に相当)以下となっており、既入居世帯の収入(月額)ごとの分布状況は20万円以下の世帯が全入居世帯の約84%を占めている。また、一番低い収入(月額)区分である12.3万円以下の世帯は年々増加しており、平成13年度末では全入居世帯の約68%を占めている。一方、入居収入基準の月額が20万円を超える世帯も平成13年度末で約16%存在している。〉

 〈一番低い収入区分の月額12.3万円以下の世帯が平成13年度末で全入居世帯の約68%を占めている。〉

 資料は2001年と些か古いが、日本は長い不況時代にあったから、給与は殆変わっていないはずだ。月額12.3万円以下の世帯は例外は少しはあるかもしれないが、夫婦2人の共稼ぎとは考えにくい。

 母子家庭が殆で、父親一人世帯が少しは混じっているかもしれない。父親が子育てを担いながら働くとなると、日中8時間、そして2時間程度の残業といった規律ある定職に就くことは子育ての時間が取られて難しく、選択せざるを得ない時間の自由が効く仕事は給料が安く、しかも肉体労働といった誰もが就きたくない仕事しか残されていないということがよくある。

 慣れない肉体労働で身体が慢性的に疲れてくると、疲れを少しでも取るために生活の生命線である仕事の手を抜くことはできず、自ずと子育てや家事の手を抜くことになっていったとしても不思議はない。

 母子家庭にしても事情は大して変わらないだろう。子育てまでしながら、何のためにこんな安い給料で大変な仕事をしなければならないのだろうと疑問が先に立つようになったら、仕事の手を抜いたら仕事を失うことになるから、家事や子育ての手を抜いてしまうことになる。

 要は大本の原因は極度の低収入、あるいは貧困であることにあるはずだ。

 公営住宅自体が低収入世帯や貧困世帯が自然と寄り集まる一種の吹き溜まりの役目を果たしている。カネに余裕のある者が誰が好き好んで制約の多い低家賃の公営住宅に入居するだろうか。

  《悪化する日本の「貧困率」》(nippon.com/2014.08.29)なる記事には、〈厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」(低所得者の割合を示す指標)は16.1%。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」は16.3%、共に過去最悪を更新。〉、〈日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類〉されていて、日本のこの貧困率は〈OECD諸国で4番目に高い貧困率〉だという記述がある。 

 文科相の馳浩は子どもたちの教育行政を与る身としてこういった統計を頭に入れているはずだ。いや、常に頭に入れて置かなければならない。

 そしてこのような貧困層が経済格差と教育格差の連鎖の影響を最も強く受け、単身世帯を含めた貧困世帯が主として行政の援助を受ける形で低家賃の公営住宅に吹き寄せられていく傾向にあるなら、公営住宅の家庭の混乱(=親の規律のなさとそれを受け継いだ子の授業の場に於ける規律のなさ)は格差是正、あるいは底辺世帯の収入のアップを解決策としなければならないことになる。

 教員の配置のみで片付く問題ではない。

 文科相を務めていながら、教員配置にのみ問題意識を持って、「大問題だ」と深刻ぶっている。文科相の資格があるのだろうか。

 本質的解決策が社会や家庭や子どもの存在性や教育を蝕んでいく格差の是正にありながら、安倍晋三のアベノミクスは格差是正どころか、逆に格差拡大に拍車をかけて低所得層に打撃を与えている。当然、公営住宅の家庭の混乱(=親の規律のなさとそれを受け継いだ子の授業の場に於ける規律のなさ)は悪化傾向を辿ることになる。

 このことにこそ安倍晋三共々目を向けるべきであるにも関わらず、教育行政を与る馳浩は教育に於ける由々しい問題として横たわっているこのような公営住宅の家庭の混乱を表面的に眺めるだけで、教員配置の面からしか、つまり教育行政の面からしか問題意識を持つことができなかった。

 この理由は国政を担う閣僚として極度の低収入や貧困に喘ぐ親や子どもをそれぞれに個を成している国民の一人であると見ることができないからだろう。見ることができたなら、安倍晋三にしてもいの一番に格差是正に取り組むはずだ。

 散々格差を拡大させておいて、ここに来て格差是正策を打ち出したのは相対的貧困率を見ても分かるように格差が最悪の状態に差し掛かりつつあるからだろう。だが、アベノミクスは上に厚く、下に薄い国家主義を基本構造としているのだから、格差縮小よりも格差拡大の方向により強く力が働くことになる。破れた服に継ぎ接ぎを縫い込むだけのことしかできないはずだ。

 日本国憲法第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有す」と規定している。

 公営住宅の家庭の混乱を問題意識に置くこともなく言うことで図らずも露わにした国民一人ひとりを等しく見ることができない馳浩の大臣としての感受性は、どう弁解しようとも、公営住宅の住人を下に見ていなければ出てこない感覚であろう。

 公営住宅の住人に対するそれとない人間蔑視意識・人間差別意識を見ないわけにはいかない。

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