千葉県白井市の建設会社からの口利き疑惑・金銭受領疑惑をかけられた安倍内閣の重要閣僚、アベノミクス推進の要経済再生担当相の甘利明が1月28日に記者会見して説明、2回の現金授受を認めはしたが、政治資金として適正に処理するよう指示ことから自身に過ちはないとしながら、秘書が受け取った500万円の内、政治資金収支報告書に未記載の300万円は秘書の私的流用が原因で、その監督責任と政治家としての矜持、今後の国会審議への影響などを考慮したとして閣僚を辞任する意向を表明した。
その秘書はもう一人の秘書と共に建設会社の総務担当者から飲食や金銭授受の接待を複数回に亘って受けていたことから、その責任を取って辞表を提出、1月28日付で受理したという。
どうもトカゲの尻尾切りに見える。甘利明自身にしても、逃げ切れないと観念しての閣僚辞任表明に見える。政治家は逃げ切れると計算できたなら、徹底的に逃げるからだ。閣僚辞任で全ての幕引きを謀るつもりではないのだろうか。
安倍晋三がその夕方のうちに辞任を認めて、公認に石原伸晃を任命した、前以て準備していたからできる迅速過ぎる決定にも逃げ切れないと観念した様子を窺うことができる。
甘利明は 2013年11月1日に大臣室で50万円を、2014年2月1日に神奈川県の地元事務所で50万円の合計100万円を受け取っている。
最初の11月1日から次の翌年2月1日まで3カ月経過している。何年も経過しているわけではないから、2度目の面会時に1度目の記憶は一定程度鮮明に甦(よみがえ)るはずだ。
このことが肝心だから、頭に入れておいて貰いたい。
この2度のカネの受領に関しての記者会見での説明には誰にでも見破ることができる単純なウソがある。このウソを「週刊文春」の記事が報道している事実とその事実に対応させて甘利明の説明を伝えている「NHK NEWS WEB」記事を利用して見てみたいと思う。
週刊文春(大臣室)「建設会社の社長と総務担当者が大臣室で菓子折の紙袋の中に封筒に入れた50万円を添えて大臣に手渡した。大臣は50万円の入った封筒を取り出し、スーツの内ポケットにしまった」
甘利明「菓子折の紙袋をもらったが、退出後に、秘書から中にのし袋が入っていると報告を受けた。政治資金としてきちんと処理するよう指示した。スーツの内ポケットにしまったというのは私の記憶とは違う」
「私の記憶とは違う」とは「記憶にありません」の体のいい言い替えに過ぎない。
50万円のカネの入った封筒を直接渡されたわけではない。「菓子折の紙袋」とは紙製の手提げ袋ということだと思うが、その中にのし袋にカネを包んで入れてあって、秘書からそのことを教えられた。
但し秘書に対して「政治資金としてきちんと処理するよう指示した」
要するに政治献金だと解釈した。しかも「きちんと処理する」ということはその政治献金を適正な性格のカネと判断していたことにもなる。適正なカネでないと判断していたなら、「政治資金としてきちんと処理するよう指示した」りはしない。
当然、秘書は甘利明の指示に従って直ちに建設会社に対して領収書を発行したはずだ。
だが、記者会見の詳報を伝えている「産経ニュース」記事によると、甘利明は「A秘書が大和事務所の経理担当者に持ってきた50万円と、この(大臣室で受け取った)50万円の合計100万円につき、S社からの100万円の寄付として、第13区支部として処理するように指示し、S社宛の領収書を作成してもらい、S社に送ったと思う」と説明している。
直ちに領収書を発行すべき適正処理が3カ月後になっている。ここに大きな疑問がある。
この疑問も問題だが、より問題なのは、菓子折りを入れた手提げ袋に一緒に収めてあったのし袋の中のカネをなぜ適正な政治献金だと判断したのかの疑問である。
甘利明の記者会見での説明によると、何も告げずに紙袋に封筒入りのカネが入れてあったのである。しかも建設会社とUR(都市再生機構)の間にトラブルが発生していて、その補償問題の仲介を甘利明が地元に構えている大和事務所に依頼していた以降に大臣室で封筒に入れたカネを何に使ってくれとかその使途について一切言わないままに紙袋に入れて手渡した。
そのようなカネを誰が適正な政治献金だと判断できるだろうか。判断できなければ、政治資金として適正に処理するよう指示はしない。
だが、甘利明が適正な政治献金だと判断したとしているところに単純なウソを見ない訳にはいかないし、そのウソを簡単に見破らなければならない。
一般的には大臣室とか事務所とか、あるいは車の中であっても、それが怪しいカネではない、正しい目的からの政治献金であるなら、それを手渡すときはカネの入った封筒を直接差し出して、「些少ですが、政治活動にお役立てください」と使途を言って手渡すはずだ。
受取る側は「政治資金として有り難く頂きます」、あるいは「政治資金として役立たせて頂きます」とか言って、その場で秘書に領収書を書かせる。政治資金収支報告書には判を押した領収書の控えを添付しなければならないからなのは断るまでもない。
勿論、秘書が同席していなければ、後からの領収書発行となる場合もあるが、政治資金収支報告書への記載を義務付けられている政治献金の受領であるなら、領収書の発行は、少なくとも3カ月後ということにはならないはずだ。
カネの受け取りにしても、領収証の発行にしても、このように則るべき適正な手続きに反して「菓子折の紙袋の中に」入れて目的も使途も何を告げずに差出したということなら、こっそりと手渡す必要性を持たせたカネであるということぐらいは海千山千の政治家なら理解できるはずで、それに応えることができなかったなら、返金するか、あるいは政治献金という形に変えることにして、そのように処理するために秘書に追っかけさせてでも領収書を切って渡したはずだ。
急いで追っかけたが、見つからなかったということなら、不正なカネを受け取ったのではないことの証明に可能な限り早い時期に領収書を整えただろう。
だが、甘利明はこっそりと手渡す必要性を持たせたカネであることを理解もせずに適正な政治献金だと判断して政治資金収支報告書へ適正に記載するように秘書に指示した。
単純なウソとしなければ、このような経緯を取ることはない。
そうである証明として週刊文春の報道の方が妥当性があることを挙げることができる。
「建設会社の社長と総務担当者が大臣室で菓子折の紙袋の中に封筒に入れた50万円を添えて大臣に手渡した。大臣は50万円の入った封筒を取り出し、スーツの内ポケットにしまった」
甘利明が袋の中の50万円入り封筒をその場で取り出すことができたのは建設会社の社長か総務担当者からそのカネの趣旨について何らかの説明があったからだろう。補償問題の仲介を頼んでいる都合上、「政治活動に役立たせてください」と言ったとしても、趣旨は政治献金としてではなく、骨折りに対する謝礼、「色々とお骨折り頂いている謝礼です」と説明したはずだ。
「スーツの内ポケットにしまった」かどうかの事実についてまでは今のところ分からないが、カネの趣旨について何らかの説明があったと見ることができる点で甘利明の単純なウソとせざるを得ない説明よりも妥当性ある説明とすることができる。
次に大和事務所でのカネの受領について。
週刊文春「総務担当者がURとのトラブルを説明する資料を大臣に渡した。大臣は資料に目を通したあと、秘書に対し資料は大臣秘書官に預けるよう指示した。その後、大臣は総務担当者が差し出した50万円が入った封筒を受け取った」
甘利明「総務担当者は以前、大臣室を訪問させてもらったお礼と病気の快気祝として事務所を訪れた。その際、総務担当者からは会社の敷地から産業廃棄物が出て困っているという話をされた。
秘書に対し産業廃棄物などに関する資料を東京の秘書に預けるよう指示した。その後、総務担当者から菓子折の入った紙袋と封筒を受け取った。これについて大臣室訪問の謝礼と病気を克服して頑張れという政治活動の応援の趣旨だと受け取り秘書に対して封筒に入っていた現金を適正に処理するよう指示した」
週刊文春の報道では建設会社の総務担当者が直接甘利明に50万円入り封筒を手渡したことになる。当然、社長なり、総務担当者なりがカネの趣旨を告げたはずだ。告げもせずに黙って差し出すはずはない。
一方、甘利明のこの説明だけではその場で菓子折の入った紙袋からカネ入りの封筒を確認したのか、一行が退出してから確認して、秘書に適正処理を指示したのかどうか分からないが、「大臣室訪問の謝礼と病気を克服して頑張れという政治活動の応援の趣旨だと」カネの趣旨を自分で予想しているところを見ると、大臣室と同じパターンで相手が封筒に入れたカネについて何も告げずに菓子折りの入った紙袋として差出したことになる。
紙袋の中に封筒入りのカネが入っていることを告げていたなら、カネの趣旨についても何か告げることになる。何も告げていないから、甘利明はその趣旨を自分から予想しなければならなかった。
いわば大臣室に続いて二度までもこっそりと手渡す必要性を持たせたカネをこっそりと受け取ったことになる甘利明の説明ということになる。
少なくとも大臣室で一度気づかないままにこっそりと手渡され、同じ菓子折りの入った紙袋を大臣室と同じパターで二度まで渡されたなら、カネ入りの封筒の存在を予測するだけの学習能力は持っていたはずで、事実政治資金規正法に則って適正に処理する判断を持っていたなら、二度目はこっそりを避けて、自分で中身を改めるのは憚れるとしたら、秘書に改めさせて、カネ入りの封筒を見つけた場合は、自分の方から「政治献金ですか」と聞くぐらいの良識は働かせたはずだ。
だが、そうしたことは一切しなかった。
受取るカネの適正な趣旨を直接確かめてこそ、そうすることが世間一般の極く当たり前の常識なのだが、そのカネの適正な処理という正しい関係が成り立つ。不正な趣旨のカネを政治資金規正法に則って適正に処理するいう関係は法律には違反していなくても、道義に反する行為となる。
勿論、不正なカネを収支報告書に載せずに使うというのは法律上も道義的にも最悪である。
当然のこととして、カネの趣旨を直接確かめずに自分に都合のいい趣旨をつくり上げたこのような金銭受領と秘書に対する適正処理の指示との間には矛盾が横たわることになる。
この矛盾は事実を事実通りに正直に説明できたなら決して生じることのない矛盾だから、その反対の説明できないための単純なウソがそうさせているものであって、誰もが見破ることができなければならない。
甘利明は辞任の理由として次のように発言したと上記「産経ニュース」が伝えている。
甘利明「閣僚のポストは、重い。しかし、政治家としてのケジメをつけること、自分を律することはもっと重い。政治家は結果責任であり、国民の信頼の上にある。たとえ、私自身は全く関与していなかった、あるいは知らなかった。従って、何ら国民に恥じることをしていなくても、私の監督下にある事務所が招いた国民の政治不信を、秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは、私の政治家としての美学、生きざまに反します」――
「私自身は全く関与していなかった、あるいは知らなかった」と自分を正しい人間としている。これを事実と取るか、誰もが見破ることができる単純なウソと取るか。