自民櫻田義孝の慰安婦は「職業としての娼婦、ビジネスだ」発言は歴史認識の誤認と女性蔑視を含んでいる

2016-01-15 12:07:33 | Weblog


 自民党の櫻田義孝が党の外交部会などの合同会議で次のように発言したと「NHK NEWS WEB」が伝えている。  

 櫻田義孝「(従軍慰安婦は)職業としての娼婦、ビジネスだ。犠牲者のような宣伝工作に惑わされすぎている。仕事をしていたんだ」

 ネットで調べてみると、櫻田義孝は千葉県柏市生れの66歳。選挙区は千葉8区で6選を果たしている。元文部科学副大臣。現在2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。

 なかなかの経歴である。

 記事は櫻田が午後に衆議院本会議を出席したあと記者団から発言の真意を質問されたが、何も答えなかったというが、別の「NHK NEWS WEB」記事が、「発言には誤解を招くところがあったので、撤回させていただく。ご迷惑をおかけした関係者の皆様に心よりおわび申し上げる」とのコメントを発表したと伝えている。

 どのように撤回しようと、最初の発言がホンネの歴史認識であることに変わりはない。そのホンネの歴史認識を内心に持ち続けて、料亭などに飲みに行った際、席で飲食のサービスをしている女性に酔った勢いで、「本当は職業としての娼婦、ビジネスとしてやっていたんだ」と自らの歴史認識を、俺が言っていることが正しんだ、批判する奴らが間違っているという憤懣遣る方ない思いで喋ることになるに違いない。

 確かに生活のため、カネを稼ぐために日本軍が行っていた従軍慰安婦募集に自発的に応じた女性も存在していただろう。 

 だが、そういった自発的慰安婦ばかりではなかった。日本軍占領下のインドネシアでは未成年の15、16歳の少女までが何人かで家の前や近くで遊んでいたところへ10人近くの日本軍兵士が日本軍の幌付きの軍用トラックに乗って突然現れ、力ずくで荷台に放り込み、走り去って、少女たちを慰安所に閉じ込めて1日二十何人もの日本兵相手に強制的に売春を強いられたいう何人もの元慰安婦の証言が存在するし、同じく占領インドネシアで日本軍設置の軍政の中枢機構である「日本軍政監部」が市役所や町役場等々に当たるインドネシアの下部行政機関に現在の中高生に当たる年齢の男女に対する口頭の日本への留学募集を行い、そのうち未成年の女性を慰安所に連れて行って監禁、強制売春に従事させられたという何人もの証言も存在する。

 日本軍政監部が文書ではなく、口頭で留学を募集したのは証拠を残さないためなのは誰にもで理解できる。当時の日本軍はどこにいても恐ろしい程の威嚇性を備えていた。日本国内でも軍、あるいは憲兵に睨まれることは自由な社会的活動の喪失、あるいは停滞を意味していた。

 そのようにも恐ろしい存在である日本軍の命令あるいは指示は文書でなくても、口頭であっても、十分に従属させるだけの力を発揮したはずである。

 いや、口頭である方が、「世界一優秀な日本の学校への留学を断る者がいると思えない。我々のメンツをよもや潰しはすまい」等々、文書と違って威したりすかしたりの自由が効くから、効果的かもしれない。

 フィリピンでも台湾でも、日本軍が看護婦募集や事務職募集で若い女性を応募させて、無理やり従軍慰安婦に仕立てられたとする元慰安婦の何人もの証言が存在する。

 証拠が残らないように口頭で留学話をデッチ上げて、集まった少女たちを慰安婦に仕立てた歴史の事実は、2007年3月8日に辻元清美が提出した《安倍晋三の「慰安婦」問題への認識に関する質問書》に対する2007年3月16日閣議決定の政府答弁書の、〈政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉とする旧日本軍の従軍慰安婦強制連行否定根拠が如何に歴史の事実に則っていないかが分かる。

 旧日本軍が行ったことは日本の刑法で犯罪だとして禁止している未成年者略取誘拐罪であり、猥褻姦淫罪であった。


 旧刑法

 第10節 幼者ヲ略取誘拐スル罪

 第342条 十二歳以上二十歳ニ満サル幼者ヲ略取シテ自ラ蔵匿シ 若クハ他人ニ交付シタル者ハ一年以上三年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス其誘拐シテ自ラ蔵匿シ若クハ他人ニ交付シタル者ハ六月以上二 年以下ノ重禁錮ニ処シ二円以上二十円以下ノ罰金ヲ附加ス

 第11節 猥褻姦淫重婚ノ罪

 第348条 十二歳以上ノ婦女ヲ強姦シタル者ハ軽懲役ニ処ス薬酒 等ヲ用ヒ人ヲ昏睡セシメ又ハ精神ヲ錯乱セシメテ姦淫シタル者ハ強姦ヲ以テ論ス 
 証言が存在する以上、事実を記述した資料がないからと、その事実を即否定すること自体が土台無理な話である。

 悪事は証拠を残さない。例え記録することはあっても、二重帳簿等を作成、非正規の帳簿等は巧妙に隠して秘密にする。そして悪事が露見したとき、いち早く非正規の帳簿等を焼却処分にしたり、廃棄処分にしたりして証拠隠滅を図って、罪から逃れようとする。

 また職業として自発的に従軍慰安婦に志願した女性であったとしても、全てを好き好んだ職業選択だとすることはできない。

 江戸時代やそれを遡る封建時代、食えない農民は妊娠すると、口減らしのために強制的に堕胎し、子どもが居て食えなくなった場合、間引きと称して子どもを殺し、あるいは娘を女郎に、男の子は商家に売った。

 女の子を商家に売らなかったのは売買の仲介業者である女衒(ぜげん)を介して売った方が商家に売るよりもカネになったからである。ネット上に、〈『世事見聞録』(文化13年)には、「越中・越後・出羽の貧農が生活に困り、3~5両で娘を売っている」という意味の記述がある。〉との解説がある。

 江戸時代の1両は大金である。同じくネット上に〈江戸時代の1両で1日23人の大工が雇えたという事例がある。〉との記述も存在する。現在、大工は1万5千円程度稼いでいるから、23人で34万5千円が1両の値段になる。これが3両だとしても、100万を3万5千円超える大金となる。

 器量が良ければ、売れっ子となる将来性を見込まれて、5両という値段になったのだろう。

 このような貧困からの遊郭、あるいは売春宿への娘の身売りは江戸時代で幕を閉じたわけではなく、明治・大正・戦前昭和と続き、そして戦後昭和でも暫くは続くことになった。

 東北地方の寒村や北陸等の裏日本の寒村がその供給地となったという。
 
 書籍『戦後日本の人身売買』藤野豊著)の、その下巻のネット上の内容紹介には〈人身売買はどのような論理で維持されてきたのか。

 超インフレ、ドッジ不況、農地改革、北海道・東北冷害、炭鉱合理化…目まぐるしく変動する戦後の日本で、女性・子どもの人身売買は「暗黙の了解」としてまかり通っていた。

 敗戦まもない1940年代後半から高度経済成長に向かう1950年代を中心に、全国各地の史資料を渉猟、現代につながる問題の実態を明らかにする。研究史の空白を埋める貴重な成果。〉との記述がある。

 手許にある『売春』神崎清著・現代史出版会)には戦後の人身売買について次のように記述している。文飾は当方。

 〈戦後の人身売買については、労働省婦人少年局が、継続事業として、既に前後5回に亘って調査報告の結果を公表している。ここでは第5回(昭和26年7月~同27年6月)の報告書に基いて、人身売買の現状と動向を明らかにしてみたい。

 ――(中略)――

 1.被害者の数――第3回が674名。第4回が1489名。第5回が1883名というふうに増加する一方である。

 2.性別と年齢別――男女別に見ると、男が6.7%。女が93.3%で、売春関係が圧倒的に多い。年齢別では、16歳の24.2%、17歳の40.1%が年齢曲線の高い山を描いている。

 ――(中略)――

 3 身売りの動機

 経済的に圧迫された貧困な家庭がその犠牲を子どもの口減らしや出稼ぎに転化することが原因である。特に悪質な親は子どもを収入の源泉と考え、芸者置屋や赤線区域に売り渡しさらに転売しながら恥としていない。親孝行のつもりで、身売りする哀れな子どもがまだ跡を断たない。仲介の人の甘言に、親子して惑わされる者、貧しい家庭への不満から家出して、人身売買ブローカーの手にかかる者。無知と欲望の悲劇が報道機関の度々の警告にもかかわらず拡大再生産されていくのである。〉・・・・・・・

 これは警察に発見されたり、警察や行政機関に逃げ込んだりして発見された人数であって、警察が見回りに来たら店の者がいち早く隠すか、あるいはワイロを使って、見回りの日を前以て教えて貰って、その日は未成年者を店に出さなかったりして隠しただろうから、氷山の一角と見なければならない。

 売春をさせる目的の身売りだから、女性のうちでも若い年齢が利用価値が高く、値段も高い。そのために16、17歳をピークに93.3%も女性が占めることになっているこういった方面の価値を弁えていて、その日の暮らしに困っている親が手っ取り早い現金収入として娘を売る。

 娘の中には未成年ながら、家のため、親孝行のためだからと観念して自ら進んで売春婦として身売りされていく。

 こういった状況が1950年6月25日(昭和25年)に朝鮮戦争が始まって(休戦は1953年(昭和28年)7月27日)、その特需で日本の景気が良くなりつつあった昭和26年7月~同27年6月まで日本の社会に存在していた。

 これ以後も少なからず存在していたに違いない。

 こう見てくると、旧日本軍兵士に直接略取誘拐される形で従軍慰安婦とされた女性を除いて、一見して職業として自発的に従軍慰安婦に志願したと見える女性の中にも、親が娘を仲介業者に身売りし、仲介業者がその娘を軍慰安所に送り込んで慰安婦とした女性がかなりの数で存在していたと見なければならない。

 2007年4月8日日曜日の朝7時半からのフジテレビ「報道2001」で従軍慰安婦の強制連行を否定している歴史家の秦郁彦秦が出演、従軍慰安婦の給与について発言している。

 「(日本植民以下の韓国の)京城帝国大学のね、卒業生の初任給が75円と言うときで、300円で、前借(前借)が3000円ですから」

 つまり高額のカネに釣られて慰安婦に志願したのだとしている。

 仲介業者は娘を身売りする親に多額のカネを払っているから、京城帝国大学卒業生初任給75円の40倍近くする前借3000円は自身の利益として懐しただろうし、京城帝国大学卒業生初任給75円の4倍もする給料の300円からも、かなりの額を月々ピンハネしたはずだ。

 こういう遣り方が娘を売春婦として売り込む仲介業者の通常の斡旋方法となっている。

 つまり、例え従軍慰安婦が自発的な職業選択に見えても、「職業としての娼婦、ビジネスだ」とは決して一概には言えないということである。

 その多くが親や仲介業者といった幼い娘よりもより大きな力を持った権威主義の強制力を受けた、その犠牲の側面を持った売春行為と見なければならない。

 だが、櫻田義孝は何もかも一緒くたにして幸福にも「職業としての娼婦、ビジネスだ」と言い切ることができる。

 人間を見ないで職業だけを見て、その価値を決める、何もかも一緒くたの扱いは慰安婦という職業に対する職業蔑視、あるいは慰安婦という女性存在に対する女性蔑視を介在させた感受性のみが発信できる統一的な固定観念としての姿を取っているはずだ。

 こういった女性蔑視・職業蔑視は人権意識を欠いているからこそできる。

 このような人間が教育行政に関わる文部科学副大臣をかつて務め、現在2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事を務めている。

 決して看過できない発言であり、役目の適格性を問わなければならない。

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