日本と韓国の間で長年懸案となっていた従軍慰安婦問題が2015年12月28日の日韓外相会談で日本側が旧日本軍の関与を認めたことで一応の合意を見たが、その3日程前に安倍晋三が合意の条件に韓国の日本大使館前に設置の強制連行された従軍慰安婦を象徴する少女像の撤去を求めているとの報道に接して、12月25日の当ブログに安倍晋三が否定している旧日本軍の関与を歴史の事実として認めなければ従軍慰安婦問題は解決しないだろうが、少女像撤去要請は旧日本軍の関与を歴史の事実として認めていない証左となるといった趣旨のことを書いた。
ところが、安倍晋三は日韓外相会談で外相の岸田文雄をして旧日本軍の関与を認めた。そこにゴマカシがなければ、旧日本軍の関与による従軍慰安婦強制連行を「河野談話」同様に安倍政権も歴史の真正な事実と認めたことになる。
当然、少女像にしても従軍慰安婦強制連行の歴史を証明する象徴としての正統性を日本政府からも与えられたことになる。戦没者慰霊碑を歴史の証明として建てるのと何ら変わりはない。特に旧日本軍が関与していたとなると、韓国ソウルの日本大使館前の少女像は何よりの歴史の証言者と見做し得る。
残るのは旧日本軍の関与を認めながら、何故にそのような少女像の撤去を求めるのか、その矛盾である。
この矛盾を解かないかぎり日韓双方共にメデタシ、メデタシですべてが解決する段取りとはならないはずだ。
事態は矛盾を解く方向ではなく、矛盾を抱えたままの方向に突き進んでいった。
2015年12月30日、31日付でマスコミが合意の一つである韓国政府設立元慰安婦支援の財団に日本政府が行うとした10億円の資金拠出に関して安倍晋三がソウル日本大使館前の少女像撤去が前提との意向を示していると報じた。
このような意向の提示は少女像撤去要請と旧日本軍の関与を歴史の事実として認めたこととが矛盾することに安倍晋三自身が気づいていないか、旧日本軍の関与を認めたことがゴマカシに過ぎないか、いずれかを反映していることになる。
但し撤去を前提としている理由は、国内世論の理解が得られないと判断しているからだと伝えている。
国内世論は旧日本軍の関与を認めたことで従軍慰安婦強制連行に関して歴史の事実としての正統性を日本側からも付与したことになって、少女像は強制連行の歴史の証明としての、あるいはそのような歴史を証言する建造物としての正統性を同時に付与したことになると国民に説明し、納得を得さえすれば片付く問題であるはずである。
だが、国民へのそのような手続きは取らずにあくまでも少女像の撤去を求めていくようだ。
2016年1月4日午前の閣議後会見。
岸田文雄「(少女像は)適切に移設されるものと私は認識している」(asahi.com)
2016年1月6日の自民党外交部会等の合同会議。
稲田朋美「慰安婦問題は日韓の最大の懸案事項であると言って過言ではないが、今回の合意で最終的かつ不可逆的に解決をするということは、大変意義があることだ。
謂れなき非難に対しては断固反論するのが、わが党の立場であり、大使館前の慰安婦像の撤去はこの問題の解決の大前提だ」(NHK NEWS WEB)
安倍晋三の国家主義、その歴史認識の代弁者である稲田朋美は韓国ソウルの日本大使館前の慰安婦像(=少女像)を日本に対する「謂れなき非難」だと激しく反発を示している。
つまり稲田朋美は従軍慰安婦の強制連行を象徴している少女像を旧日本軍の関与を認めた日韓合意によって歴史の事実としての正統性を得た証明とすることも、歴史の証言者としての正当な地位を得た対象とすることも認めていないことになる。
このことはやはり既に触れたように合理的判断能力を欠いていてその矛盾に気づいていないか、実際には旧日本軍の関与を認めたとするのはゴマカシか、いずれかということになる。
前者であるなら、矛盾に気づかなければならない。後者であるなら、旧日本軍の関与は見せかけで、少女像撤去を交換条件に元従軍慰安婦支援資金拠出という体裁で10億円というカネで歴史の事実の抹消を企んでいることになる。
例え前者・後者いずれであったとしても、さらには安倍晋三一派が頑強に否定したとしても、少女像は当初から歴史の証明としての地位を、あるいは歴史の証言者としての正統性を担っている。
それを撤去せよと強要するのは、譬えるなら、米軍が原爆を投下し被爆した歴史を証明し、その証言者としての原爆ドームをアメリカが目障りだからと撤去しろと要求する無理筋に等しい。
アメリカの歴代政府は原爆投下を正当だとする立場に立っているが、だからと言って、実際に目障りだといった難癖をつけて撤去を要求したことがあるだろうか。
例えアメリカが要求したとしても日本は決して応じないのと同様に日本の少女像の撤去要求に対して韓国政府や韓国民が応じないのは正当性ある当然の態度である。
にも関わらず、いつまでも撤去に拘っている。安倍晋三たちはよく考えるべきである。