横浜市専門委員会のイジメに於ける加害者・被害者の関係構造を見ない150万円支払いの原発イジメ判断

2017-02-04 11:18:08 | 教育

 福島第一原発の事故後の2011年8月に福島県から横浜市へと自主避難した家族の現在中学1年生で、当時小学校2年男子が転校当初から同級生に名前に「菌」をつけられてイジメを受け、150万円相当奢(おご)らされていた。

 これら一連の行為をイジメと認定したものの、150万円奢らされていた行為はイジメとは認定しなかった横浜市教育委員会に対して中学1年男子は家族と共に2017年1月10日、イジメと認めることと150万円の返金を求める文書を提出したとマスコミが伝えていた。

 調査主体の「横浜市いじめ問題専門委員会」から横浜市教育委員会に宛てた、《調査結果と再発防止策》(2016年12月12日)(原題は長たらしい物となっている)から、なぜイジメと認定しなかったのか見てみる。


 原題「いじめ防止対策推進法第28条第1項に係る重大事態の調査結果と再発防止の取り組みについて」(こども青少年・教育委員会 平成28年教育委員会事務局)

 2.Aが小学2年生で■小学校に転校してきた直後頃から、同じ学級の児童がAを執拗lと追い回したり、鬼ごっこの鬼をわざとやらされたり、ランドセルを引っ張ったり、「○○菌」と呼んだりすることがあって、Aは嫌な思いをした。

 担任は、Aから訴えがあったときは、その都度、■には注意をした。また、Aから■に「家に鉛筆がいっぱいあるからあげるよ。」と言われ、■は2回ほど鉛筆をもらった。    
                    
 3.Aが小学3年生になると、平成24年6月から10月まで不登校となった。当時、Aの保護者は担任に「学校とは関係_ない。被災で傷ついている。」と言っていた。Aは、この時のことを「いじめられるのが嫌だな、辛いと思づて、行かなくなった。」と述べている(本委員会での聴取)。

 4.(小学校4年生になって)Aは鉛筆を折られたり、ノートが無くなったり.蹴られたり、ものさしで叩かれたり、階段で押されて落とされそうになったりした。このようななことをAに対して行ったのは、主に■であったとAは本委員会の聴取で述べている。

 しかし、この頃のAは、これらの事実を担任に相談しなかったので、担任や学校はこれらの事実を把握していない。

 一方、Aは苛立つと机や壁や文房具にあたり.鉛筆を自分で折ってしまうこともあった。

 5.平成26年4月Aは小学5年生になった。■ごっことかプロレスごっこと称し、A1人が数人の児童から叩かれるようなごとがあった。その際には見張り担当する児童もいたとAは本委員会の聴取で述べている。

 6.同年5月頃、Aは他の関係児童10人くらいと、当初は■駅近く、後半は横浜駅近くや、みなとみらい遊園地等のゲームセンターでたぴたぴ遊び、遊興費・食事代・交通費等をすぺてAが負担した。Aによると、このようなことは10回くらいあり、1回につき5万円から10万円くらい使ったと言っており、そのお金は自宅にある親のお金を持ち出していた。

 これに関し、Aは、■に今までにされてきたことも考えて、威圧感を感じて、家からお金を持ち出してしまったという。Aが約10人の関係児童の遊興費等を負担(いわゆる「おごり」)することで、それ以降はプロレスごっこ等のいやなことは一切されなくなり、更にAは他の児童に対し、友好感が生じることができたので、同様のことが多数回繰り返されてしまったと思われる。

 7.この頃学校はAと他の関係児童との金品のやり取りについて知ったが、Aらのゲームセンターでの遊興はこの後のものが大半であった。同月20日、学校に■保護者からAが何人かの関係児童にゲームセンターでおごっているようだとの連絡が入った。しかし、その後も(たとえぱ、5月24白、同月28日)Aらのゲームセンターでの遊興は続いた。

 8.同年5月28日には、Aの保護者から「■帽子がなくなった。隠されたのではないか。」との訴えがあった。■帽子はロッカーの上で発見された。
 9.Aは、同月■より不登校になり、その後同28年3月の卒業まで全く登校していない。

 学校は、Aと約10人の関係児童との金品のやり取りについて、同26年6月より調査に入った。

 (5)本事案の経過といじめに係る事実分析

  これらのことから、本事案一見小学校2年生当時に児童が■小学校に転じてきたときから、数々の事態が起こっているのであるが、それが同様な内容が繰り返し起こっていたのではなく、学年進行に従って様相を代えながら、断続的に起こっていた事案が積み重なったものであるということがいえる。

 それぞれの様相が認められる時期を分類すると、以下の5つの期間に分けることができる.

 ①■小学校に転入時(2年生の8月)から最初の不登校に至る期間(3年生の6月まで)
 ②最初の不登校期間(3年生の6月から10月まで)
 ③再登校期(3年生の10月から4年生最終まで)
 ④5年生の最初の期間(4月から5月)
 ⑤2度目の不登校期間(5年生の6月から現在)

 「事実分析」は上記のように5つの期間ごとに分けて、〈一定の「いじめ」があったと認定する。〉とか、Aが〈友人関係等を構築するまでにいたらず、「いじめ」に繋ったと推察する。〉、あるいは、〈この時期の当該児童の不登校状態については「いじめ」との因果関係は否定できない。〉と継続的な身体的・心理的な攻撃を加えて、Aに心理的な苦痛を与えていたことを認めているが、これらの表現自体から判断すると、イジメの程度を過度のものとは判定していない。

 これを正確な分析だと認めたとしても、このような判定がAがイジメ加害者に遊興費の一切を支払っていたことをイジメと認定しなかったことに影響しているはずだ。

 事実分析は④以降を見てみる。


 ④5年生の最初の期間(4月から5月)

 この時期の事案については、表面的には「いじめ」事案というよりも、非行・虞犯行為が中心となっているが、この点についても、学校側は、児童の生活指導上の問題として捉え、適切た対応を行っていたとは言えない。

 当該児童は、登校の意思を持ち、その中で友人関係等をより良いものとしたいという思いで努力をしていたことは、聴取等から認められた。    

 しかしながら、当該児童としての精一杯の適応行動は、友人等のゲームセンターでの遊興費等を“おごる”という形で、過去における「いじめ」と同等の行為を受けないようすることであったと推察できる。

 当該児童の聴取時に訴えていた内容では、加害を疑われている児童たちから「おごるよう言われた気持ち」になっていた。

 学校側からの報告書等では当該児童から加害を疑われている児童たちに、自主的に“おごった”こととされているが、思春期前期にさしかかり他の児童たちとの相互関係の在り方に伴う不安定さに由来すると考察すると、どちらが真実であろうかと認定することは難しい。

 ただ、認定しうる“真実”とすれぱ、当該児童が聴取時に、当時の5年生の教室の横に■という場所があり、ここで日常的に「プロレスごっこ」が行われており、それも見張りを立て、教員に見つからないようにした中で、当該児童がその標的となっていたが、「おごる」ようになって、それが無くなったと話した。

 ■小学校の現地調査において、当該児童の聴取時の発言とおりの物理的環境が確認でき、十分に真実と認定できる心象を得た。 

 これらのことから、当該児童が複数回にわたり加害を疑われている児童を中心にゲームセンター等に一緒に出掛け、金銭を負担していたことも、採られた方法論は明らかに間違っているが、「いじめ」から逃れようとする当該児童の精一杯の防衛機制(適応機制)であったということも推察できる。

 これらの問題に対しての学校側の対応としては、表面的な問題行動のみに注視して児童の内面的な葛藤に対しての対応ができておらず、教育上の配盧に欠けていたといわざるを得ない。

 金銭的な授受の問題についても、当該児童と関係児童の言っている金額の相違などを問題にする前に、小学生が少なくても万単位の金額を“おごる・おごられる”ということをすること自体、生徒(児童)指導の対象と考え、教育的な支援を行うことが必要であった。しかしながら、「正確な金額がわからないので、その解明は警察にまかせたい」とか、「返金問題には学校は関与しない」として、学校は上記の教育的支援を十分に行ったといえない。

 学校は、加害を疑われている児童たちに対しても、適切な教育活動を行ったとは言えず、当該児童及び関係児童全てに対し、行うべき教育的指導・支援を怠ったと言わざるを得ない。

 以上のことから、この時期については、おごり・おごられ行為そのものについては 「いじめ」と認定することはできないが、当該児童の行動(おごり)の要因に「いじめ」が存在したことは認められる。

 以上取り上げた中から遊興費負担以外の報告について点検してみる。

 「報告書」は、イジメは〈小学校2年生当時に児童が■小学校に転じてきたときから、数々の事態が起こっているのであるが、それが同様な内容が繰り返し起こっていたのではなく、学年進行に従って様相を代えながら、断続的に起こっていた事案が積み重なったものであるということがいえる。〉と書いているが、イジメを受けていないのは不登校となっていた時期であって、例え〈学年進行に従って様相を代えながら〉であっても、不登校期間を除いてイジメ行為自体はその種類を違えていたとしても、継続していた以上、〈同様な内容が繰り返し起こっていたのではなく〉ても、あるいは〈断続的に起こっていた事案が積み重なったもの〉であったとしても、イジメ自体の一貫性は認めなければならないはずだ。

 イジメは一方的な上下の人間関係、あるいは強弱の人間関係を出発点としている。そのような人間関係が暴力介在や金銭強要の介在を構造として成り立たせる。

 いわばどのような形で推移しようと、イジメの一貫した継続は、そこに一方的な上下・強弱の人間関係の一貫した継続性を同時に見なければならない。

 〈「一定の『いじめ』があった」と認定〉している以上、イジメ加害者と被害者の間に“一定の”上下・強弱の人間関係が一貫して継続していたことになる。

 このような観点から、被害者の加害者に対する遊興費支払いに関わる報告書の妥当性を見てみる。

 「横浜市いじめ問題専門委員会」は遊興費支払いを、〈当該児童が聴取時に、当時の5年生の教室の横に■という場所があり、ここで日常的に「プロレスごっこ」が行われており、それも見張りを立て、教員に見つからないようにした中で、当該児童がその標的となっていたが、「おごる」ようになって、それが無くなったと話した。〉Aの証言と、〈学校側からの報告書等では当該児童から加害を疑われている児童たちに、自主的に“おごった”こととされている〉との〈学校側からの報告書等〉から判断することになったのだろう、「報告書」に〈当該児童としての精一杯の適応行動は、友人等のゲームセンターでの遊興費等を“おごる”という形で、過去における「いじめ」と同等の行為を受けないようすることであったと推察できる。〉、あるいは、〈「いじめ」から逃れようとする当該児童の精一杯の防衛機制(適応機制)であったということも推察できる。〉と書いてあって、遊興費支払いはイジメ回避の自主的な“適応行動”と見ている。

 〈当該児童から加害を疑われている児童たちに、自主的に“おごった”こととされている〉としているこの推測は何を意味しているのだろうか。もしAが「自主的に“おごった”」と証言したなら、推測の表現を取ることはないし、150万円の支払いをイジメと認めることとその返金を求めることはないし、求めることはできない。

 もし加害生徒にのみ聞き取りをし、その証言に基づいていた在籍していた小学校なのだろうか、〈学校側からの報告書等〉であるなら、推測の表現とならざるを得ない。

 だが、一方でそのような推測情報に基づいて150万円支払いをイジメかどうかの判断材料とすること自体、「横浜市いじめ問題専門委員会」の感覚、その姿勢を疑わなければならないことになる。

 だからだろう、〈思春期前期にさしかかり他の児童たちとの相互関係の在り方に伴う不安定さに由来すると考察すると、どちらが真実であろうかと認定することは難しい。〉ことを理由に、〈おごりおごられ行為そのものについては 「いじめ」と認定することはできないが、当該児童の行動(おごり)の要因に「いじめ」が存在したことは認められる。〉とどっちつかずの結論となったのではないだろうか。

 また、Aが加害生徒の遊興費まで全額払うようになってからイジメの標的とされることはなくなったとAが証言しているのに対して平成28年5月からAは〈不登校になり、その後同28年3月の卒業まで全く登校していない。〉としていることに関しての「専門委員会の認定」を見てみる。

 〈⑤2度目の不登校期間(5年生の6月から現在)

  この時期の不登校は、直接的に「いじめ」と因果関係は認められないが、金銭問題が発覚したこと、学校側と当該児童及ぴそめ保護者との関係が悪化してしまったこと、当該児童が抱く「いじめ」再発への漠然とした不安等の複合的な要因が絡み合った結果の不登校とはいえる。

  しかしながら、学校として、当該児童への不登校支援は至って消極的であり、たとえ当該児童の保護者等との関係が悪化していたことを斟酌しても、当該児童及びその保護者の心情をきちんと聴取することなく、一方的な思い込みで、事態の収拾のみに奔走していた傾向が認められることは残念である。

  このことが、本事案を長期化させた原因の一つであり、当該児童の「教育を受ける権利」を侵害する一因になってしまったことは否めない。

 卒業までの最後の不登校の原因は、〈直接的に「いじめ」と因果関係は認められないが〉、金銭問題が発覚して学校とAとその保護者の関係が悪化したことと、Aのイジメ再発への不安等の複合的要因だとしている。

 だが、不登校が〈当該児童が抱く「いじめ」再発への漠然とした不安〉を要因の一つとしていることからも、〈7.この頃学校はAと他の関係児童との金品のやり取りについて知ったが、Aらのゲームセンターでの遊興はこの後のものが大半であった。同月20日、学校に■保護者からAが何人かの関係児童にゲームセンターヤおごっているようだとの連絡が入った。しかし、その後も(たとえぱ、5月24白、同月28日)Aらのゲームセンターでの遊興は続いた。〉という、学校が金銭の遣り取りを知った後もそれが続いていたという事実関係からも、不登校の間も加害者たちの被害者に対する一方的な上下・強弱の人間関係に心理的な支配を受けていたと考えなければならない。

 また、イジメ加害者と被害者を結びつけていたこのような一方的な上下・強弱の人間関係に縛られてからこそ、その程度がどれ程のものであっても、遊興費の支払いが行われていたはずである。

 もし対等な関係だったなら、奢ったり、奢られたりの関係にあったはずである。金額がはっきりしないということだが、一度に遊びに使う小遣いが1万円でも大金であるはずの小学校5年生、6年生からしたら、奢ったり、奢られたりだったなら、一人が使うカネは1万を超えることは滅多にないはずで、ましてやそれが10万、20万を超えて、100万も超えるといったことは普通どころか、異常そのものですらある。

 それを自主的な奢りだとすることができるのだろうか。百歩譲って自主的な奢りだとしても、奢る方も異常なら、黙って奢られる方も異常である。関係性の程度の違いはどうであれ、一方的な上下・強弱の人間関係抜きには考えられない異常さであろう。

 だが、「横浜市いじめ問題専門委員会」は〈「おごり・おごられ」行為そのものは、「いじめ」であったとまでは認定できない。〉とし、〈友人等のゲームセンターでの遊興費等を“おごる”という形で、過去における「いじめ」と同等の行為を受けないようする〉適応行動だと判断している。

 この判断に妥当性を見い出すことのできない根拠を挙げてみる。

 「横浜市いじめ問題専門委員会」は、〈当該児童が聴取時に、当時の5年生の教室の横に■という場所があり、ここで日常的に「プロレスごっこ」が行われており、それも見張りを立て、教員に見つからないようにした中で、当該児童がその標的となっていたが、「おごる」ようになって、それが無くなったと話した。〉と報告している。

 現在はうるさくなったが、かつてのヤクザは標的としたバーにサングラスのチンピラを何人か客として通わせて、ホステスに「可愛いネエチャンだなあ、こんなネエチャンと付き合いたいなあ」とか、来た客に「サラリーマンは気楽でいいなあ、酒飲んで社長の悪口を言っていりゃあいいんだから」とか声をかける。ホステスも客も変に絡まれたら厄介だからと、ホステスは客に愛嬌を振りまくこともできず、客は酒を飲んでも酔うこともはしゃぐこともできず、満足に話もできなくなって、客足は遠のき、店は暇になる。

 そこへカタギらしい身なりの紳士がやって来て、「こういった連中の溜まり場になったら、繁盛する店も繁盛しなくなる。こいつらの上の人間と顔見知りだから、何だったら話をつけてやるよ」と申し出る。「但し少しはカネはかかるよ」

 月々の用心棒代を支払うことに話がつくと、チンピラは一斉に姿を消し、店は元の姿を取り戻すことができる。と言っても、用心棒代というオマケがついて離れないことになる。

 ヤクザたちがこのようにできることも、自分たちと店との間に一方的な上下・強弱の人間関係を置いているからである。

 イジメの〈標的となっていたが、「おごる」ようになって、それが無くなった〉と言うことと同じ構造のカネの遣り取りである。

 例え“奢り”がA自身が申し出た自主的な支払いだっとしても、イジメ加害者と被害者の両者間を一方的な上下・強弱の人間関係で結びつけていた以上、弱い側の人間が強い側の人間に少しでも気に入れられようとする媚から出た支払いであるはずだ。

 また「報告書」が〈Aから■に「家に鉛筆がいっぱいあるからあげるよ。」と言われ、■は2回ほど鉛筆をもらった〉としている件に関しても、一方的な上下・強弱の人間関係下にあって、そのことから出た気に入れられようとする同じ構造の媚からの行為と見なければならないだろう。

 結果、従来のイジメが遊興費支払いの強要というイジメに姿を変えた。例えそれとない体裁を取ったとしても。

 但し一旦支払うと、それが暗黙のものであったとしても、際限もない要求(厳密には強要)へとエスカレートしていき、100万や150万になったということであって、一見Aから支払っているように見えたとしても、一方的な上下・強弱の人間関係の力学に縛られていたからこその奢ったり奢られたりの対等性から外れた、奢る一方の支払いと見なければならない。

 イジメに関係していく一方的な上下・強弱の人間関係に囚われていなければ、小学生5年生、6年生の誰が自分のカネではない、親のところから持ち出した100万も200万もという大金を他人の遊興費の支払いに当てるだろうか。

 1月20日に横浜市教育委員会の岡田優子教育長が、「関わったとされる子どもたちが、『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」(NHK NEWS WEB)と述べたところ、林文子横浜市長が1月25日の定例の記者会見で、「教育長は第三者委員会の結論を尊重する立場から、『認定は難しい』という考え方を答弁したということだった。生徒がつらい思いをしている中、丁寧に趣旨を伝えるべきで、至らない、大変申し訳ない発言だった」(NHK NEWS WEB)と謝罪したそうだが、岡田優子教育長の発言を見ると、加害生徒の証言を主たる理由としてイジメではないと判断したことになる。

 上に上げたヤクザの譬え話は例え警察に事情を聴かれることがあったとしても、最終的に警察がどう判断しようと、「俺達が用心棒代を強要したわけではない。店の方から払うと申し出あった」と言い張るだろう。

 いずれにしても「報告書」は、イジメが一方的な上下、あるいは強弱の人間関係を出発点として、そのような人間関係が暴力介在や金銭強要の介在を構造とすることを踏まえて、このような関係の一貫性の有無でイジメかどうか判断しなければならないはずだが、この点を抜きに150万円としている遊興費の一方的な支払いをイジメとは認定できないとする検証不足に陥っている。

 奢ったり奢られたりではない、奢るだけであった点だけを見ても、そこに一方的な上下、あるいは強弱の人間関係を見なければならないはずだ。

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