安倍晋三の安倍晋三記念小学校と安倍昭恵名誉校長に関わる国会答弁にはウソ由来の矛盾が埋蔵されている

2017-02-27 11:09:08 | Weblog

 昨日の等ブログで2017年2月17日の衆院予算委員会での福島伸享民進党議員と2017年2月24日の衆院予算委員会での福島伸享民進党議員、さらに同日の今井雅人民進党議員の安倍晋三に対する森友学園が新しく設立する小学校「瑞穂の國記念小學院」に安倍晋三記念小学校と命名を依頼したことと安倍晋三夫人がまだ開校していないその小学校の名誉校長を引き受けていた件についてのそれぞれの追及と、その追及に対する安倍晋三の答弁を動画から文字起こしして掲載した。   

 今日は安倍晋三のその答弁が如何に矛盾だらけか、如何に巧妙にウソを埋蔵させているか、指摘したいと思う。
 
 先ず安倍晋三の各質問者に対する安倍晋三記念小学校の件とその妻安倍昭恵の「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長となっていた件についてのそれぞれの答弁を列挙してみる。文飾は当方。
 
 2017年2月17日衆院予算委員会・福島伸享に対する安倍晋三答弁

  福島伸享が森友学園の籠池泰典理事長が「安倍晋三記念小学校」名で小学校新設の寄付を集め、寄付応募者には安倍晋三記念小学校の寄附者銘板に名前を刻印、顕彰するといったことをしているが、安倍晋三はご存知かと質問。

 安倍晋三「私、あのー、そもそも、今、話を伺ってですね、初めて知ったわけでございますが、これは私が総理を辞めたときにですね、ときに、その、妻が知っておりまして、そしてその中でそういう、いわば私の考え方に非常に共鳴している方で、その方から小学校をつくりたいので、安倍晋三小学校にしたいという話がございましたが、私はそこでお断りをしているんですね。

 私はまだ現役の国会議員だし、総理大臣は辞めたけれども、この先、もう一回復帰することを諦めたわけではないので、現役の政治家である以上ですね、私の名前を冠にするのはふさわしくないし、そもそも私が死んだ後であれば別だけども、何かそういう冠をしたいのであれば、私の郷土の大先輩である吉田松陰先生の名前とかをつけられたらどうですか?というお話をしたわけでございます」

 安倍晋三が「その、妻が知っておりまして」と言っているところからすると、安倍晋三は森友学園籠池理事長が新設小学校名に「安倍晋三記念小学校」という命名を望んでいることを妻である安倍昭恵を通して知った。

 それを知ったのは第1次安倍内閣で首相を辞任した2007年9月26日以降、第2次安倍内閣成立の2012年12月26日以前ということになる。

 と言うことは、安倍晋三は当時世間的に「元総理大臣」という肩書が通用していて、元総理大臣としての“社会的信用性の価値”をそれなりに備えていた。その妻である安倍昭恵にしても元総理大臣夫人の肩書を以てして処遇され、それなりの“社会的信用性の価値”を有していたことになる。

 だが、安倍晋三はその命名を断った。「私はそこでお断りをしているんですね」

 それまでの文脈からすると、妻を通して断ったように見えるが、「何かそういう冠をしたいのであれば、私の郷土の大先輩である吉田松陰先生の名前とかをつけられたらどうですか?というお話をしたわけでございます」と、断った相手に対して「お」という敬語をつけている点からすると、安倍晋三自身が籠池泰典に直接断ったように受け取ることもできる。

 明確にはどちらか分からないが、追及しなければならなかった点だろう。

 但し常識を押さえるとすると、元総理大臣相手に「安倍晋三記念小学校」という命名を望み、その名前を世間に通用させたいと願っていたなら、籠池泰典は安倍晋三本人に直接会って、直接願い出て、直接承諾を求めなければならない用件であるはずだ。妻を通して片付ける筋の話ではないはずだ。

 この点に矛盾を見い出さなければならなかった。

 2017年2月24日衆院予算委員会・福島伸享

 福島伸享がテレビ東京の番組を参考にして安倍晋三夫人安倍昭恵が瑞穂の國記念小学校の名誉校長を引き受けたのは平成27(2016)年9月の森友学園の幼稚園での安倍昭恵の講演時で、昨日の2月23日に瑞穂の國記念小学校のホームページにあった安倍晋三内閣総理大臣夫人の挨拶が消されているが、名誉校長を辞任したのかと尋ねた。

 対して安倍晋三は安倍昭恵が名誉校長を引き受けた経緯と安倍晋三記念小学校の命名を断った経緯を長々と答弁している。

 ウソつきはウソでないことを信じ込ませようとしてついつい多弁になる。安倍晋三が聞かれてもいないことを長々と答弁したり、関係ない統計を持ち出してさも自身の政策がうまく言っているかのように装うのはウソつきは多弁の傾向を受けたものであろう。

 安倍晋三「この件については私への指摘ではなくて、私の妻、えー、のことであろうと思います。えー、今ご紹介頂いたんですが、私の妻からですね、経緯を聞いたんですが、確かに名誉校長に就いた経緯がご紹介頂いた通りででございます。

 実は講演の前にですね、講演の前の待合室に於いて名誉校長になってくださいと頼まれてですね、実は妻がそこで断ったそうであります。『それは申し訳ないけれども、それはお受けできないとこう申し上げていたわけでありますが、ウチの夫の関係もあるので、それはお引き受けできないと断っていたわけでありますが、しかしその後にですね、突然、その場でですね、えー、この籠池さんかな、籠池さんからそのように紹介されて、拍手をされた。

  そう言うことによってですね、その場でお引き受けできないとはっきりと言うことができなかったわけでございます。勿論、その場でですね、私はお受けできないと、父兄がいるわけですから、そこで、そこではそういう答をしてですね、しかしその後、やはりこれは、あれは急に出されて私も当惑ししましたと、お引き受けできませんよという話をしたんですが、その後何回も遣り取りがあり、この父兄の前でああ仰ったんだから、それは引き受けて貰わないと困りますよということで、まあ、最終的には引き受けることになったということでございます。

 しかしその後ですね、その後先方から(考え、考え話す。慎重に言葉を選んでいる様子)こうした出来事、福島委員が私に質問されて以降も、何ら説明もなかったものですから、家内から何回か連絡を取り、最終的にこの連絡を取った段階に於いてですね、ええー、これはそういうことはしっかりと説明されないということは教育者としては如何なものかということを自分は思うと相手に伝えたところでございます。

 また、私の安倍晋三小学校ということについては再三お断りしているにも関わらず、ああして名前を使われたことは極めて遺憾だということを伝え、そしてその後ですね、その後事務所の方から正式にですね、先方に連絡を致しまして、えー、妻としては自分がこうした経緯があるとは言え、名誉校長を引き受けていることによってですね、そこに通う子どもたちやご両親に却ってご迷惑をかけ続けることになるんで辞任をさせて頂くということを先方に申し入れたそうであります。

 で、改めて事務所の方からですね、安倍晋三小学校ということについては、それはお断りすると。

 実はこれはお断りしたわけでありますが、実はその、何回もですね、何回も事務所の方に、えー、これは依頼が、1回断ったんですが、ずっと来続けて、それは秘書が対応しておりましたが、秘書が連続してお断りし続けて、ですから、秘書の方から何回も何回もお断りし続けてるじゃないですか。

 であるにも関わらず、寄付集めでこうした名前を使われたことはこれは本当に遺憾であり、と言うことで抗議をしたところでございます。先方からもですね、それは一日ふつかしか使っていないと言う、そういう釈明があったんですが、しかしそういう問題ではなくて、これは名前を使わないというお断りをしているわけだということについては、これは大変遺憾であり、大変残念であるという強い抗議をし、先方からは申し訳ないという謝罪があった所でございます。

 ま、そういう経緯もあり、えー、先方のホームページ等々からは、えー、妻がですね、名誉校長ということで載っていたわけでありますが、先方がこちらの申し入れに従って削除したのではないかと思います」

 安倍晋三そもそも私は、私が講演するということが決まったときにですね、お断りしたんですが、お断りする際に電話に代わって話したのがですがね、殆んど唯一に近いと思うわけでありまして、その、個人的にお目にかかったということは。

 何か大きな会で来られていたかもしれませんが、それは余り記憶に無いことでございますが、そういう中でどういった、私自身は、日報のようなものを出されているので、ちょっと見たことがある程度でございますが、家内は会って、非常に、えー、情熱的のある方だということを言っていたということでございますが、今般、あの、『安倍晋三小学校の寄付を集めるために』を見ました。私も非常に驚愕を致しました。 

 安倍晋三が籠池泰典から自身新設の小学校に「安倍晋三記念小学校」と命名を希望されたのは元総理大臣の肩書時であるが、安倍昭恵が名誉校長を引き受けたのは平成27(2016)年9月、再び首相に返り咲いていたときで、安倍晋三は現職総理大臣の肩書、安倍昭恵は総理大臣夫人の肩書にあった。

 安倍昭恵が講演に招かれたのは総理大臣夫人の肩書があったからであり、名誉校長を依頼されたのも同じ理由からだろう。安倍昭恵から元総理大臣夫人の肩書だろうと総理大臣夫人の肩書だろうと、それらを取り去ったら、肩書を纏っていたときと同等の世間一般的な“社会的信用性の価値”、それを利用する側からしたら、“社会的信用性にあやかった宣伝価値”を失う。

 いわば安倍晋三が総理大臣だったからこそ講演に招かれて、名誉校長の依頼を受けた。安倍晋三あってこその安倍昭恵という関係にあり、影の主役はあくまでも安倍晋三でなければならない。

 このような関係性からの講演依頼のケースを考えてみる。  

 “社会的信用性にあやかった宣伝価値”は安倍晋三の方が遥かに上ということで安倍晋三自身に講演を依頼したケース。

 だが、安倍晋三が個人的な付き合いで幼稚園に出かけて、経営者の教育理念を肯定的な立場から講演するのは総理大臣という公職にある者としてふさわしくないからマズイと断り、その代理に安倍昭恵を派遣したケース。

 少なくとも安倍昭恵本人のみの承諾を得て依頼した講演は安倍晋三の承認を得た講演よりも“社会的信用性にあやかった宣伝価値”を減じることになることと、安倍昭恵を主役として扱っていることになるために新設小学校に安倍晋三の名前を冠することを望んだ心理と、いわば安倍晋三の精神を小学校の主役にしたいと願っている心理と整合性を異にすることになる。

 このことは福島伸享が平成27(2016)年9月に安倍昭恵が名誉校長を引き受けたときの幼稚園での講演で、「籠池理事長からは安倍晋三記念小学校にしたいと当初は言って頂いたんですが、名前を付けて頂けるのであれば、総理大臣を辞めてからにして下さいというふうに仰ってるんですよ」と紹介していることが証明してくれる。

 「総理大臣を辞めてからにして下さい」「仰ってる」主語は安倍晋三であり、安倍晋三の意向を安倍昭恵が自らの口で紹介したということでなければならない。

 もしそれが安倍昭恵の意向なら、自分の名前をつけることを頼まれたわけではない人間が勝手に断る僭越的態度となる。

 安倍晋三が例え安倍晋三記念小学校という命名を断っていたとしても、籠池泰典の精神の背景には「安倍晋三記念小学校」という命名の小学校があるはずだから、安倍昭恵はあくまでも準主役の位置にある。

 この関係性を考えると、籠池泰典は少なくとも小学校を安倍晋三記念小学校と命名し、名誉校長に安倍晋三の就任を望んでいたと見なければならない。

 だが、安倍晋三が再度総理大臣になったためにその希望が潰えた結果、次善の策として名誉校長に総理大臣夫人安倍昭恵を代理として持ってきた。

 このような観点からも安倍晋三の意向を介さない安倍昭恵の講演はあり得ないと考えると、様々な矛盾が浮かんでくる。

 安倍晋三は籠池泰典に「実は講演の前にですね、講演の前の待合室に於いて名誉校長になってくださいと頼まれてですね」と言っている。

 卑しくも総理大臣夫人が名誉校長に就任するとなると、小学校は一般的には夫人が持つ“社会的信用性の価値”を纏い、その価値に相応しい学校運営を取り続けなければならない。

 だが、小学校がその“社会的信用性の価値”にそぐわない学校運営が発覚した場合、“社会的信用性の価値”を提供した夫人のみならず、その価値の殆どは総理大臣が与えているものだから、総理大臣自身が自らの“社会的信用性の価値”を失う危険性を併せ持つことになる。

 いわば本質的には安倍晋三自身が表現している、当時は元総理大臣としての“社会的信用性の価値”を小学校に与えるためには安倍晋三自体が小学校の教育理念に余程のこと共鳴し、尚且つその運営に信頼を置いていなければ出来ない相談となる。

 当然、安倍昭恵が講演のために幼稚園を訪れて、時間待ちで待機することになった待合室でいきなり頼むといった筋のものではない。小学校経営者となる籠池泰典の教育理念に対する安倍晋三自身の共鳴と学校運営に対する信頼と安倍昭恵が名誉校長に就くことの承認の根回しがあって初めて依頼できる名誉校長ということであろう。

 籠池泰典が待合室で頼んで断られながら、講演会場でいきなり安倍昭恵に再度依頼して、来場者に「拍手して下さーい」と言って、その拍手を以って承認とすることのできる類いの案件であるなら、総理大臣が持つ“社会的信用性の価値”を非常に軽んじていることになる。それ程安っぽくはないはずだ。

 拍手を以って決めたのは皆んなで決めたことにする単なる演出に過ぎないだろう。

 事実そのように決まったなら、安倍昭恵は夫が総理大臣として持つ“社会的信用性の価値”や総理大臣としての立場よりも父兄の手前を優先させ、小学校側が手に入れることになる“社会的信用性にあやかった宣伝価値”に安っぽく身を委ねたことになる。

 要するに安倍晋三自身の釈明が総理大臣として自らが持つ“社会的信用性の価値”を自分から軽んじていることになって、そこに矛盾を見なければならない。

 矛盾は釈明にウソを混じえているから生じることになっているはずだ。

 安倍晋三は森友学園の籠池泰典理事長には一度も会ったことがないと言っている。但し依頼された講演を断るとき電話で一度話したことがある。あるいは自身が出席していた何かの大きい会合に籠池泰典も出席していたかもしれないが、「それは余り記憶に無いこと」だとの表現で会っていないと言っている。

 一度も会ったことのない人物だとすることで利害関係の希薄性を証明しようとしているのだろう。

 第1次安倍内閣の首相を辞任してから再び首相に返り咲く2012年12月26日以前に安倍晋三記念小学校の命名を依頼され。今回の国有地取得問題で様々な疑惑が報道されるようになってから、「改めて事務所の方からですね、安倍晋三小学校ということについては、それはお断りすると」と正式なお断りを入れた。

 この釈明には多くの矛盾が潜んでいる。先ず第一番に籠池泰典は安倍晋三にとって幽霊のような存在となっている。

 当時はそうであった元総理大臣に安倍晋三記念小学校という名前を冠したいと依頼するのに直接安倍晋三と会って、直接丁寧にお願いすることもしなかった。

 今回の森友学園に関わる疑惑が生じてから安倍晋三の事務所側から正式に電話で断った後も、籠池泰典は安倍晋三記念小学校という名前を使って募金していたことの謝罪も電話で済ませたのみで、直接来訪して直に頭を下げる謝罪もなかった。

 命名のお願いも迷惑をかけていることの謝罪も社会的通年としては逆のことをしなければならない。一切そういうことをしない幽霊として存在している。

 このような矛盾はそこにウソを混じえていなければ生じない。

 安倍晋三は籠池泰典が大きな会合に出席していたかもしれないが、そういった場所でも顔を合わせていなかったと話しているが、その会合のホストが安倍晋三でなくても,安倍晋三が出席していれば、元総理大臣という肩書か現職総理大臣という肩書によって、その辺のザコではないのだから、否でも目立つことになる。ときにはホストの存在感を奪って主役の座に躍り出ることもあるはずだ。

 当然、もし籠池泰典が出席していたなら、安倍晋三記念小学校という命名を依頼していた関係からも、安倍昭恵が名誉校長就任後なら、そのお礼なり感謝なりを伝えるために籠池泰典が自身の方から近づいて何らかの挨拶をするはずだし、しなければならない。常識中の常識であろう。

 いわば籠池泰典と面識がないことを以て利害関係の希薄性を証明するための譬えに「何か大きな会で来られていたかもしれませんが、それは余り記憶に無いことでございますが」と大きな会合を持ち出したこと自体が矛盾した釈明以外の何ものでもない。

 ゴマカシやウソに達者でありながら、上手の手から水が漏れたのだろう。尤もらしさを装おうとするあまりにウソが顔を覗かせてしまった。


 2017年2月24日衆院予算委員会・今井雅人

 今井雅人が安倍昭恵が名誉校長を引き受けたとき安倍晋三に相談があったのか二度質問したが、二度共答えていない。森友学園のホームページから安倍昭恵の挨拶のページが2月23日までに削除されたことを今井雅人が「また隠蔽するのかというふうに思いましたが」と発言したことを捉えて、隠蔽したとは妻を侮辱することだとか、私が隠蔽したというのかとか、公共の電波を使ったレッテル貼りだ、イメージ操作だ、だから、国民の信頼を受けることはできないんだと色をなして今井雅人を攻撃すると、今井雅人は腰が引けてしまったのか、安倍晋三に相談があったのかどうかは重要な点だったが、最終的には聞かずじまいにしてしまった。

 既に触れたように安倍晋三が総理大臣としての“社会的信用性の価値”に縛られている以上、世間の常識からすれば、相談ばかりか、安倍晋三の承認なくして就くことのできない名誉校長であろう。

 安倍晋三としたら、相談があったと言った途端に安倍昭恵が籠池泰典理事長に講演の時間待ちで待機することになった待合室でいきなり依頼され、一旦は断ったものの講演会場で再度頼まれて来場の父兄の拍手を求めることで無理やり引受されられたというシナリオがたちまち崩れることになる。

 相談はなかった、安倍昭恵の単独の行動だということにすると、上記シナリオは破綻させずに維持できるが、安倍晋三が纏っている総理大臣としての“社会的信用性の価値”があってこそ、安倍昭恵の総理大臣夫人としての“社会的信用性の価値”が維持できる関係にある以上、その関係の延長線上にある行動として夫の安倍晋三に断りを入れなければならないはずのところを、安倍昭恵の方から断りを入れずにその関係を蔑ろにする勝手な行動と言うことになって、今度は安倍昭恵自身が批判を受けることになり、相談しないということはできないはずだ。

 要するに相談はあったとも、なかったとも答弁することはできなかった。

 この点は見過ごすことはできない大きな矛盾である。何度でも言うことになるが、ウソをついていなければ、このような矛盾は生じない。

 森友学園の様々な疑惑に関わる安倍晋三の国会答弁にウソをついていなければ生じることのない数少なくない矛盾を私自身は見い出すことになった。ここに少しでも妥当性があるなら、その矛盾を以てして安倍晋三を追求することを願う。

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