天皇退位は安倍晋三等の天皇を日本国家の中心に据えたい国家主義者による自らに対する神格化を恐れたからか

2017-02-17 11:45:42 | Weblog

 82歳となっている現天皇が2016年8月8日、生前退位の意向をビデオメッセージで表明した。退位の意向は5、6年前から周囲に漏らしていたという。5、6年前と言うと、2010年か2011年頃と言うことになる。

 理由については、「象徴としての務めを果たすことが困難になった場合、象徴の務めについてどのように考えればいいのか」と述べていたとマスコミは伝えている。

 一見すると、自身の体力と向き合った存意のように見える。

 天皇はメッセージの中で次の一節を述べている。

 「天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります」――

 最初に挙げた高齢による象徴としての務めを果たすことの困難と次に挙げている問題の影響は現天皇に限らない。次の天皇にも降り掛かってくる。いわば天皇は安倍政権が考えている現天皇の退位のみを認める一代限りの特例法ではなく、民進党が提案している皇室典範改正による恒久的な制度を視野に入れたメッセージと見ることができる。

 安倍晋三みたいな天皇を絶対的な存在と意義付け、日本国家の中心に据えたいと執着している右翼国家主義者たちは自分たちが考えているその天皇の絶対性に一致させたい観点から、明治時代の旧皇室典範大10条の「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」の、死んだらという規定をそのまま受け継いだ昭和22年の現皇室典範第4条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」の規定に則って生涯天皇を望み、その生涯性に天皇の絶対性を反映させようとしている。

 何歳まで生きた、息を引き取るまで、天皇であらせられた、日本国の天皇として息を引き取ったと。 

 長く生きれば生きる程、国民の天皇への思いの強さと敬虔さを証明することになる国民の自粛ムードが昭和天皇が重態に陥ってから全国的に広がり、死去するとさらに高まったように逆に天皇の存在自体の価値を上げることになるからだ。

 それが生前退位で死去した場合の国民の自粛ムードは生涯天皇で高齢の末に死去した自粛ムードと比較した場合、その高まりは後者程には期待できない危険性は天皇の存在価値自体に影響しないとも限らない。

 また、長く生きれば生きる程、盛大な葬儀自体に込めることになる厳粛さに違いが出てくる。あるいは盛大な葬儀に国民が込める厳粛さ・惜別の思いは強まり、高まる。

 安倍晋三みたいな戦前日本国家を理想の国家像としている天皇中心の右翼国家主義者にしたら、天皇が重病の状態で長らくベッドに伏せていることを願っているのではないだろうか。国民の病気回復の祈願が長く続き、それが深まって、国民の意識の中に天皇の存在とその存在に対する敬虔な思いが吸着していくことを願って。

 そして死去してからの葬儀に対する国民の思いと自粛ムード。それが大掛かりであることによって、天皇の存在価値が高まる。

 要するに内心は生前退位を認めたくないが、天皇のその意向まで無視することができないために安倍晋三以下は一代限りに退位を認める特例法にすることにした。

 天皇が生前退位の理由に上げている高齢になった場合の「象徴としての務めを果たすことが困難」は皇太子が代行することで省くことができる。

 省くことができないのは生前退位の理由としてもう一つ挙げた生涯天皇で死去した場合の葬儀の盛大さと自粛ムードの広がりであろう。そして自粛ムードは天皇という存在に対する国民の敬虔な思いや厳粛な思いを背景としているが、生涯天皇とその死と葬儀と国民の自粛ムードを利用して天皇の存在価値自体を高めようとする安倍晋三一派の魂胆に危惧を抱いているからこそ、それを少しでも阻止するための生前退位の意向ではないだろうか。

 少なくと国民の天皇に対する意識は生涯天皇でいるよりも次期天皇に移っていくだろうから、いわば直接的に天皇という存在ではなくなって、前天皇に対するのと現天皇に対するのとその意識に強弱の違いはあっても、ある程度二分されることになるだろうから、安倍晋三一派の魂胆もある程度は制御できる。

 安倍晋三等の国家主義者たちの天皇を日本国家の中心に据えたい衝動は色々な場面に現れている。その典型的な例を一つ挙げてみる。

 2012年9月16日の当ブログに一度書いたことだが、再度ここに記載してみる。文飾は当方。 

 2012年9月2日日テレ放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で、〈「名場面」スペシャル!未公開映像も蔵出し…〉なるコーナーが設けてあって、2012年5月20日放送の安倍晋三登場の場面を再放送していた。

 安倍晋三「そもそも田島(陽子)さんもですね、編集長(加藤清隆時事通信社解説委員長のこと)も、いわば天皇という仕組み、天皇、皇室、当然、認めていないんだと思いますね」

 田嶋陽子「そう」

 安倍晋三「経緯もね。そうでしょ?そういう人がですね、どうあるべきかっていう議論をするのはあまり・・・・」

 田嶋陽子「そんなことはない」

 安倍晋三「(手を振って)いや、いや、いや。最後まで聞いてください。これは理性万能でもないし、合理でもないんですよ。・・・・(聞き取れない)でもないんですよ。

 これは私達は軽薄だと思ってるんですよ、そういう考えっていうのは。

 ですから、むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。

 この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになるのであって、天皇・皇后が何回も被災地に足を運ばれ、瓦礫の山に向かって腰を折られて、深く頭を下げられた。あの姿をみて、多くの被災地の方々は癒された思いだと語っておられたでしょ。あれを総理大臣とかね、私たちがやったって、それは真似はできないんですよ。2000年以上経って、ひたすら国民の幸せと安寧を祈ってきた、皇室の圧倒的な伝統の力なんですよ

 三宅久之「あのね、田島さん、安倍さんのこれだけ条理を尽くした話を、まだ分からない。これを分からないというのは日本人ではない」

 田嶋陽子「話はわかるけど、正しいかどうかですよ」(以上)

 「天皇・皇后が何回も被災地に足を運ばれ、瓦礫の山に向かって腰を折られて、深く頭を下げられた。あの姿をみて、多くの被災地の方々は癒された思いだと語っておられたでしょ。あれを総理大臣とかね、私たちがやったって、それは真似はできないんですよ。2000年以上経って、ひたすら国民の幸せと安寧を祈ってきた、皇室の圧倒的な伝統の力なんですよ」

 この発言には天皇を国民の上に置いた特別な存在だとする思想が脈々と生きづいている。特別な存在とし、国民の上に置いている以上、国家の中心に据えたい願望を併せ持っていることになる。

 安倍晋三が戦前日本国家を理想の国家像としていることは上記で触れた。戦前日本国家は天皇を現人神としていた。いわば神格化していた。当然、安倍晋三の意識の中には天皇を神格化したい思いも持っていなければならない。

 神格化していなければ、「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」といった発言は出てこない。

 文化は様々な層を成し、各層が上下様々に入り混じって、渾然一体となって全体を彩っている。神格化のメガネを通さない限り、すべての文化が天皇という上から発して下にまで達していると見ることはできない。

 単なる特別な存在ではない、神性を持たせた天皇の存在の実現を夢見ている。

 2013年4月28日、天皇・皇后出席のもと開催された政府主催の「主権回復の日」式典で天皇・皇后の退席時、誰かが壇上の天皇に向かって「天皇陛下バンザイ」と唱えると、壇上の安倍晋三その他も見習い、2回目の「バンザイ」から加わって両手を上げ下ろしして三唱を行った。

 改めて言うまでもなく、「バンザイ」は漢字で書くと「万歳」であって、万年という長い年月を意味する。そこに天皇という言葉をつけて、戦前日本に於いて万年も生きよ・栄えよと天皇を歓呼した。

 いわば「天皇陛下バンザイ」は戦前日本国家で神格化した天皇の永遠性を願う言葉である。

 そのような言葉が戦後の民主化された日本の政府主催の「主権回復の日」式典の場で三唱された。しかも安倍晋三たちは「主権回復の日」を日本国家と社会を民主化した占領軍から解放された日と価値づけている。

 当然、その解放は、少なくとも安倍晋三たちの精神性に於いては戦前日本国家と戦後日本国家が占領軍によって断ち切られていた連続性を回復する意味合いを持たせていることになる。

 天皇を戦前の日本国家での在り様と同じように特別な存在とし、神格化させたい願望は同時に日本人を特別な民族だとする優越性を背景としている。日本人は特別な存在である神格的な天皇を頭に戴いている特別な民族なのだと。

 天皇はこのような安倍晋三たち国家主義者の精神の在り方が天皇自身が生涯天皇を長く続けることによって助長することにならないか危惧したのではないだろうか。 

 この危惧は2001年12月23日の昭和天皇誕生日に際しての12月18日の記者会見での発言に現れている。翌年2002年5月31日から6月30日にかけて日韓共催のFIFAワールドカップを間近に控えていた。文飾は当方。

 記者「世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」

 昭和天皇「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。

 こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております」

 日韓関係は日本の歴史教科書の問題や首相となった小泉純一郎が2001年4月の自民党総裁選で「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約したことと、2001年から2005年までは国内外からの批判に配慮して8月15日以外の日に靖国参拝をしていたが韓国や中国を刺激して、悪化状態にあった。

 要するに天皇が言っていることは日本人は純粋民族ではない。多くの渡来人の血が混じって日本人としての歴史を歩んできた。天皇自身も朝鮮半島の血が混じっている。神武天皇以来の特別な存在でもないということであろう。

 当然、天皇を特別な存在とし、神格性を持たせて日本国家の中心に据えたいと希(こいねが)っている安倍晋三のような国家主義者に対する戒めの言葉と位置づけることができる。

 このような安倍晋三が日本の国家指導者となり、戦後レジームからの脱却を唱え始めた。戦後レジームとは占領政策によって形作られた日本の民主的な政治・社会体制を言う。

 安倍晋三が天皇主義者である以上、脱却は戦前日本国家を理想の国家像としているからこそ、目指すことが可能となる。

 生前退位は神格化されない内に象徴の舞台から降りた方が無難だ、安倍晋三を利することはないとの思いが働いた意向としか見えない。

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