【謝罪】 昨日2017年2月9日の当ブログで、南スーダン自衛隊PKO施設部隊の2016年7月時作成の日報(活動記録)の情報公開法に基づいた開示請求日を「2017年」9月と間違えて表記してしまいました。正しくは「2016年」9月でした。謝罪します。 |
改めて日報作成から始まったこれまでの経緯を見てみる。
「日報作成と開示の経緯」 ●2016年7月 南スーダンの首都ジュバで大統領派と反大統領派が激しい戦闘行為 現地PKO自衛隊施設部隊はその日報(活動記録)を作成、作成後、陸自の中央即応集団司令部に報告 ●2016年9月末 フリージャーナリストが情報公開法に基づいて開示請求 ●2016年9月、10月を中心に上記武力衝突が「戦闘行為に当たるかどうか」の国会質疑 ●2016年12月2日 陸自の中央即応集団司令部は説明資料に使った後、廃棄したとして非開示扱い。 開示請求に対して30日以内に対応を判断する必要上、電子データ保存の統合幕僚監部までは探索せず 〈PKO関連文書の保存期間は原則3年。例外的に「随時発生し、短期に目的を終えるもの」は廃棄が認められている。〉(時事ドットコム) ●2016年12月12日 この日を境に自衛隊南スーダンPKO派遣部隊に駆け付け警護と宿営地防衛の新任務が実施 ●2016年12月26日 統合幕僚監部で電子データー化された日報を発見 ●2017年1月27日 稲田朋美へ報告 ●2017年2月7日 防衛省、日報の存在を公表 統合幕僚監部「マスキング(黒塗り)処理などを行ったため、今月7日の公表に至った」(時事ドットコム) |
フリージャーナリストとは「平和新聞」編集長の布施祐仁氏だそうだ。
2016年7月に作成した南スーダン派遣PKO自衛隊施設部隊の日報を約3カ月後の2016年9月末にフリージャーナリストの布施祐仁氏が情報公開法に基づいて開示請求した。請求後、30日以内に開示するかどうかの対応を判断しなければならない決まりなら、2016年10月末までに開示か非開示かを連絡しなければならない。
だが、〈原則1ヶ月で開示決定すべきところを防衛省は期限を1ヶ月延長した上で12月初めに「廃棄済みにつき不存在」と通知してきた。〉(《布施祐仁 (@yujinfuse) Twitter》
「12月初めに」とは12月2日だと思われる。請求後、30日以内の対応判断が原則である以上、10月末には開示か不開示の決定を通知しなければならないはずだが、それがさらに1カ月余経過した12月2日の不開示決定となった。
2017年9月、10月を中心に上記武力衝突が「戦闘行為に当たるかどうか」の国会質疑が激しく展開されていた時期である。この第192回国会は臨時国会であって、2016年9月26日召集、11月30日までの66日間の予定を14日延長、さらに3日延長となって、2016年12月17日に閉会している。
そして臨時国会が閉会した2016年12月17日から起算してきっちりと10日後の2016年12月26日に電子データー化された日報が統合幕僚監部で発見されたと公表。12月17日の翌日からの起算だとしても、9日も経過した公表となる。
さらに自衛隊南スーダンPKO派遣部隊に駆け付け警護と宿営地防衛の新任務実施の2016年12月12日を間に挟んでいる。
別の言い方をすると、新任務実施の2016年12月12日が過ぎてから、公表に踏み切っている。
日報の開示請求から30日以内の対応決定に反して不開示の決定が60日以上も要したことと、新任務実施の2016年12月12日を間に挟んで統合幕僚監部での電子データーの発見が臨時国会閉会から9日か10日も経過していたことはどのような符合があってのことだろうか。
さらに2016年12月26日に統合幕僚監部で電子データー化された日報が発見されながら、防衛省に於ける一番の上司である防衛相の稲田朋美へ報告が約1カ月遅れの翌年の2017年1月27日となったのはなぜなのだろう。
そして日報の存在を公表したのは12月26日の発見から1カ月と12日も経過した2017年2月7日となったのはどのような理由があってのことなのだろう。
公表された日報は2016年年7月11、12日付分の約110ページと上級部隊の中央即応集団がその日報を纏めた「モーニングレポート」だそうだが、公表に日数を必要としたことを統合幕僚監部は「マスキング(黒塗り)処理などを行ったため」と言っているが、マスキング(黒塗り)処理に1カ月と12日も必要なのだろうか。
一般的にはマスキング(黒塗り)が必要な場合は印刷してあった元の日報を河野克俊統合幕僚長にしても稲田朋美にしても目を通しているだろうから、どのような文字をマスキング(黒塗り)するか指示を出し、指示を受けた職員が電子データーをWord文書等にしてパソコンのモニターに表示、その文字を検索すれば、範囲指定した状態でヒットするから、そのまま蛍光ペンの機能で黒色を選択すれば、簡単にマスキング(黒塗り)できる。
日報が110ページだとしても、それを纏めた「モーニングレポート」は日報以下のページだろうから、全体で200ページ以下の文書を検索、範囲指定、蛍光ペンの作業を繰返すだけで済むのだから、そんなに時間はかからない。
完了したら、それを再び印刷して、河野克俊統合幕僚長と稲田朋美に閲覧に回して、両方で両方で200ページ以下の文書を仕事の合間を見て読むにしても、それ程時間を必要とするわけではない。両者から了解を得れば、公表可能となる。
稲田朋美が事実目を通していなかったとしても、閲覧に一人が抜けるだけのことで、却って時間短縮を図ることができる。
ところが2016年12月26日の日報を発見からマスキング(黒塗り)に2017年2月7日まで1カ月と12日も必要とした。稲田朋美への2017年1月27日の報告から11日も必要とした。
もし稲田朋美への報告が事実、2017年1月27日であるなら、2017年2月7日の公表までの11日間の間に稲田朋美は文書に目を通していたことになる。
上司たる稲田朋美が目を通さずして文書の存在を公表することはないからである。
だとすると、河野克俊統合幕僚長が目を通す場合も似たような時間であるはずである。両者が目を通す時間はほぼ重なっていて、それ程のズレはないはずだから、要したとしても15日以内と見なければならない。
それが発見から公表までに1カ月と12日という日数の経過があった。
但し一つ疑問が残る。日報には11個所も「戦闘」という言葉が記載されているとマスコミは伝えている。国会質疑上不都合な「戦闘」という言葉をなぜマスキング(黒塗り)を掛けなかったのだろうか。
日報には大統領派と反大統領派が戦車や迫撃砲を用いて激しく戦闘を展開したといった表現があったという。「戦闘」という文字のみにマスキング(黒塗り)を施しても、「戦車」や「迫撃砲」という文字を残したなら、却って疑惑を招く。
「戦闘」という文字のみならず「戦車」という文字や「迫撃砲」という文字までをマスキング(黒塗り)したなら、衝突の状況まで隠すことになって、既に南スーダンのPKO国連本部やマスコミが激しい戦闘を繰り広げたと報道していることと整合性が取れなくなることから、これまた疑惑を招くことになる。
勿論、「戦闘」という言葉を「武力衝突」という言葉にも、単に「衝突」という言葉にも変換可能である。
だが、変換した場合、南スーダン現地の自衛隊員の中には何人かが変換を知ることになって、その内の一人か、あるいはその者がある意図を持って他人に知らせ、その他人がマスコミ等に内部告発しない保証はない。文字を変換できたとしても、情報隠蔽のための変換に憤って内部告発しようとした場合のその意図まで変換することはできない。
結局のところ、昨年9月、10月の国会質疑同様に“法的な意味では戦闘ではない”という手で逃げることにしたといったところではないか。
昨日のブログにも書いたが、最近は事後、何のために必要になるかもしれないために文字で記録した文書はバックアップも取って電子データ化して残すの通例となっている。その上で廃棄してもいい文字文書は廃棄する。
このことを考えると、フリージャーナリストが2016年9月末に南スーダン自衛隊PKO施設部隊の日報を開示請求してから、1カ月以内に開示か否かを通知しなければらない原則を破って不開示の通知までに2カ月余かかったこと、一旦破棄したとしていた日報が統合幕僚監部に電子データーとして残されていたと公表したのが南スーダンの治安情勢が国会で問題となっていた臨時国会閉会の2016年12月17日以後の2016年12月26日であったこと、さらに発見から稲田朋美への報告が1ヶ月も経った2017年1月27日という緩慢な連携であること、さらに日報の存在の公表が稲田朋美への報告後、11日間も間を置いたこと。
全てが表向きの事情でなければ、防衛省という組織は機能していないことになる。
もし機能していると見るなら、 表向きの事情とはその裏に情報隠蔽を存在させていなければ、このように仕向けられることのない事の次第となるはずだ。
自衛隊の南スーダンPKO派遣部隊に駆け付け警護と宿営地防衛の新任務を2016年12月12日から実施するに前以て、それが実現できない不都合を避ける情報隠蔽と見るのが極く自然であるはずだ。
勿論、この情報隠蔽たるや安倍晋三や稲田朋美の意を受けた策略と見なければならない。