安倍晋三・稲田等の皇位継承男系絶対主義は皇太子徳仁の価値を下に、秋篠宮文仁の価値を上に置いている

2017-02-21 09:57:19 | 政治

 2016年8月27日のブログに次のように書いた。

 《安倍晋三、菅義偉、稲田朋美、高市早苗たちの男系天皇尊重は本質的には男性上位・女性下位の価値観に基づく - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》  

 2005年(平成17年)1月26日、当時の小泉首相が私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を設置、同2005年10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を「皇族女子」と「女系皇族」へ拡大することを決めたが、後任の安倍晋三は女系天皇反対の立場から、有識者会議が結論づけた「直系長子優先継承、女系継承容認」の報告を白紙に戻している。

 「直系長子優先継承、女系継承容認」の「長子」とは第一子を指す。例え直系長子(=第一子)が女性であっても、優先的に皇位を継ぎ、その男系の女性天皇が一般男性と結婚して子どもを設けて、それが男性であれ、女性であれ、皇位を継げば女系天皇となるが、それを容認するとした。

 また男系とは例え女性天皇であっても、父方(父の血統に属している側)の血を遡って行くと、皇祖神武天皇の血に繋がる系統を言う。

 つまり皇祖神武天皇の血を父方を通して受け継いでいないと、例え男性天皇であっても、男系天皇とはなり得ず、皇位(=天皇)を受け継ぐ資格はないことになる。

 このことが旧皇室典範と同様、現皇室典範に於いてもその「第1章 皇位継承 第1条」で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」との規定となって現れている。

 有識者会議の報告に基づいて男系か女系かを現在の皇太子と雅子妃の子供である愛子内親王を例に取って説明すると、愛子内親王は直系長子(=第一子)として天皇の位を継ぐことができ、父は皇太子、祖父は今上天皇であって、父方の祖先を辿っていけば初代神武天皇につながる血統を有しているために女性天皇であっても男系の天皇ということになるから、問題はないことになる。

 但し愛子内親王が結婚して子を設けた場合、その父が男系の皇族でない限り、いわば一般男性であったとき、その父方の祖先をどのように辿っても初代神武天皇に辿り着くことができない非男系となることになって、愛子内親王の子は例え第一子男性であっても現在の皇室典範では天皇を継ぐことができず、継ぐには当時の有識者会議の報告通りの改正を待たなければならない。

 つまり皇祖神武天皇の血を父方を通して受け継いでいないことになるからである。

 それ程にも皇祖神武天皇の血に最大・絶対の価値を置き、なおかつその最大・絶対の血は父方の血を通して受け継いでいることが皇位継承の絶対要件となっている。

 安倍晋三が「皇室典範に関する有識者会議」の「直系長子優先継承、女系継承容認」の報告を白紙に戻した事実を取り上げるだけで、次の代で男系から外れる確率が高い女性天皇と男系とは無縁の女系天皇に猛反対、男系に拘っていることが理解できる。

 男系に拘るということは皇祖神武天皇の血と、父方を通して連綿として受け継いでいるその代々の血に拘っていることを意味する。

 だからこそ、日本民族の優越性を、あるいは天皇の絶対性を“万世一系”に置く。

 安倍晋三のこのような姿勢は、私自身は読むのはカネと時間の問題となるから読んでいないが、2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号に 『民主党に皇室典範改正は任せられない 「女性宮家」創設は皇統断絶の“アリの一穴”』と題する寄稿した一文に現れている。

 当時民主党野田政権が議論していた「女性宮家創設」に反対する意向を示した文脈の中で述べている発言だという。

 安倍晋三「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――

 「皇室の歴史と断絶」とは、勿論のこと、父方を通した皇祖神武天皇の血の断絶を指す。

 かくまでも天皇家が皇祖神武天皇に始まって代々受け継いている血に価値を起き、恭しいまでに尊んでいる。

 安倍晋三と国家主義的歴史認識の点で近親相姦性にある、当時自民党政調会長だった高市早苗も、2013年4月27日に読売テレビに出演、女性宮家の創設に関して「皇位継承の話なら明らかに反対だ。男系の皇統は堅持すべきだ」と述べたとマスコミが伝えていた。

 最後に安倍晋三一派と歴史認識に於いて同じ穴のムジナである稲田朋美の男系への拘り・女系への拒絶意識を2006年1月7日付で産経新聞に「正論」として寄稿した一文から見てみる。

 「『男系維持の伝統』は圧倒的に美しい」  

 稲田朋美「日本国の憲法である以上、国民統合の象徴としての天皇の存在(二千六百五十年以上も続くこの国の形である)は、成文憲法以前の不文の憲法として確立しており、これを改正することは革命でも起こさない限りできないのである」――

 天皇を現人神とし、帝国憲法で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とした戦前ならいざ知らず、民主化した戦後日本で天皇の存在を「二千六百五十年以上も続くこの国の形」だとし、この「国の形」は憲法に優先する「不文の憲法」だから、永遠不変のものだとしている。

 この考え方は国民は天皇あっての国民という存在形式を取ることになる。

 安倍晋三の「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもので、日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」とする認識、日本国の歴史の主人公を天皇に置いている考え方とそっくり同じである。

 稲田朋美は上記「正論」で、「皇位の継承の本質が何かは男女の平等や、今はやりの『ジェンダー』論争とは何の関係もない。皇位の継承は、現行憲法や旧皇室典範が制定される二千五百年以上も前から厳然として存在した。これを伝統といわずして何を伝統というのか。そしてその伝統の中心は男系の維持にあった」と書き、「皇位の継承における最初のAは、二千六百五十年以上も厳然と続いてきた男系維持の伝統(父をたどれば神武天皇になる)である。私はこの理屈を越えた系譜を圧倒的に美しいと感じている一人であり、日本人とはこれを美しいと感じる民族なのである」と書いている。

 稲田朋美が「皇位の継承の本質は男女の平等や、今はやりの『ジェンダー』論争とは何の関係もない」と言おうと、どう言おうと、「父をたどれば神武天皇になる」と書き、そのことを以て美しい「男系維持の伝統」だとしている以上、皇祖神武天皇の血と、それを父方を通して延々として受け継いでいる代々の天皇の血(=男系の血)に最大・絶対の価値観を置いていることの告白としかならない。

 この男系の血の最大尊重は、それが天皇家に限定した価値観だとしても、遠い過去に於いて天皇家とその周囲の世俗権力者たちが女性の血よりも男の血に絶対的且つ優越的な権威を置いていたからこそ成り立たせることができた男系であり、その繰返しとしての伝統であって、男の血と女の血に同等の権威を置いていたなら、決して歴史に現れることはなかった男系の維持であったはずである。

 いわば安倍晋三や菅義偉、あるいは稲田朋美や高市早苗等々の現代の天皇主義者であると同時に復古主義者たちは遠い過去の世俗権力者たちと同様に今以て男性上位・女性下位の価値観で天皇家を律しようとしている。

 その点に天皇家の価値を最大限置こうとしている。

 だからこそ復古主義者なのである。その復古主義は天皇主義をベースに置いている。

 小泉純一郎の設置私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」2005年10月25日報告の「直系長子優先継承、女系継承容認」を阻止した張本人・元凶は安倍晋三と言うことになる。

 尤も安倍シンパたちは阻止の最大功労者と見ているはずだ。

 但し小泉純一郎にしても2006年9月6日に秋篠宮が男系となる男子を設けると、皇位継承者が近い将来不在となる可能性が遠のいたと見て、「女系・女性天皇」誕生の歴史転換への意欲を喪失、2006年2月10日皇室典範改正法案の提出を先送りすることを発表、2007年の通常国会でも法案の提出を行わない意向を示しているから、天皇主義者の安倍晋三は待ってましたとばかりに欣喜雀躍したはずで、秋篠宮の男子誕生と小泉純一郎の意欲喪失が「直系長子優先継承、女系継承容認」阻止の伏線となったはずだ。

 それにしても右翼天皇主義者稲田朋美が「国民統合の象徴としての天皇の存在は二千六百五十年以上も続くこの国の形であり、成文憲法以前の不文の憲法として確立している」との物言いは上記ブログを書いているときには気づかなかったが、矛盾そのものである。

 「二千六百五十年以上も続くこの国の形」である「天皇の存在」は「成文憲法以前の不文の憲法として確立している」とする論理は天皇の存在を日本国憲法の外に置く考え方によって成り立たせていながら、天皇は「国民統合の象徴」だと現日本国憲法の規定内に置いている、この矛盾である。

 そしてこの矛盾は不文の憲法の下に日本国憲法を置いている。これを言い直すと、天皇を絶対的存在とし、その存在の下に国民を置いている。

 稲田朋美のお友達安倍晋三も野党時代の2012年2月号の「文藝春秋」の中で同じ考えを披露している。

 安倍晋三(野田政権による女性宮家創設議論および皇室典範改正に反対して)「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」(LITERA/2016.11.23)   

 安倍晋三も稲田朋美と同様に皇室を絶対的存在としている。

 「たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法」と言っているが、憲法は歴史によって論ずるべき対象ではない。理念に於いて論ずるべき対象である。人権の保障の仕組みや国の基本的な統治機構を如何に成り立たせて、恣意的な国家権力を如何に制約するか、その仕組みの合理性によって論じられるべき対象としなければならない。

 だが、安倍晋三は歴史の違いで論じているだけではなく、日本国憲法を軽んじている。皇室の歴史から比べたら、日本国憲法など取るに足らないではないかと。

 天皇の存在を絶対とし、天皇の歴史を絶対とすることは日本民族を絶対とすることに他ならない。だからこそ、戦前の日本の歴史の過ちを認めない姿勢となって現れることになる。

 このような天皇絶対主義を支えている礎が“万世一系”であり、“万世一系”を絶対的に価値づける要素としての“男系”である。

 安倍晋三は常々、女系ではいけませんよと言っていることになる。天皇の存在やその歴史を損なうことがあってはなりませんよと言っていることになる。

 安倍晋三や稲田たちの男系を上の価値に置き、女系の価値を男系の下に置くこの男系上位絶対主義は同時に男系男子を設けた皇族を上の価値に置き、女系に変わる確率の高い男系女子しか設けることができなかった皇族を下の価値に置く価値観と表裏一体を成している。

 後者の価値観なくして前者の価値観は存在し得ないし、この表裏一体性を失ったら、彼らが後生大事に崇め奉っている皇室の歴史そのものに瑕疵を与えることになって、我慢できないはずだ。

 この価値体系を現在の皇族に当てはめると、男系女子しか設けることができなかった皇太子徳仁の価値を男系男子を設けた皇太子の弟秋篠宮文仁の下に置いていることになる。

 そして安倍晋三にしても稲田朋美にしても、その他同類は、そういった目で二人を見ているはずだ。

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